君と出逢えた妖かしの場所。

吉井あん

第1話 忌み時。

 「なんで今の時代にスマホの電波の届かない場所があるのよ」



 リモートで商談できる時代にあり得ない!と、恵奈えなは何の役にも立たないスマホを手に一人悪態をついた。

 今朝から社用車のカーナビの調子が悪く、スマホのアプリのナビを駆使してようやくこの町にたどり着いたところだ。



 (なのに!! どうなってんのよ!)



 今度は頼みの綱のスマホがおかしい。

 町境を越えた途端に、スマホがネットに繋がらなくなったのだ。


 取引先との打ち合わせは午後2時。

 今は1時半。


 初っ端から遅刻とか最悪だ。

 とりあえず取引先に辿り着かなきゃいけない。住所はわかるのに土地勘のないこの町では、地図がないと行き着くことはできないじゃないか。

 

 助けを求めようにも周りに人影もなく、コンビニすら存在しなかった。

 この調子だと公衆電話も全滅しているかもしれない。


 途方に暮れると言うのはこのことかもしれないと、恵奈はため息をついた。



 「商談に来てもこれじゃどうにもならないわ」



 (連絡が取れないなんて、ね)


 全くあり得ない。



 「もう最悪!」


 

 恵奈はスマホを助手席に放り投げた。


 今まで都会の便利さの中で生まれ生きてきた。

 つまり全てが徒歩圏内に収まる世界で暮らして来たのだ。

 足らないものがひとつも無い豊かで自由な現代の利便性を惜しみなく味わえる場所が恵奈の世界である。



 (スマホが使えないなんて考えられない)


 

 不便さなんて不要でしかない。

 

 だからこの何もなく薄汚れ寂れた漁村になんて全く興味もなかった。

 それなのになぜここにいるのか。


 理由はただ一つ。

 社命のためだ。


 恵奈の勤め先は大手水産加工会社である。

 デパートで開催する“蒲鉾かまぼこのマルニチ“春のお魚祭り“で、この漁村の特産品の練り物を大々的に売り出す予定なのだ。



「でもここにいても仕方ないわ。広くない町だし何とかなるでしょ」



 恵奈は車に戻り、エンジンスタートのボタンを押した。

 ハイブリット車のエンジンが静かに起動する。



 「住所は白浪町字浦津しらなみちょうあざうらつ……。番地は……。とりあえず、この道へ出ればいいのね」



 プレゼンのファイルを広げ取引先の住所とそこまでの道順を頭に叩き込むと、恵奈はゆっくりとアクセルを踏んだ。


 過疎化の田舎町によくあるうらぶれた風景が左右に続く。

 完全に開発に取り残された感が満載だ。


 視界に入るのは昭和の中頃から終盤にかけて建てられた和風の家ばかり。

 懐かしいような都会ではとうの昔に失った風景だ。



 (昭和レトロとでも言えばいいんだろうけど)



 あまりに変化のない似たような家並みが続く。

 今自分がどこを走っているのかすら分からなくなりそうだ。



 (ほんと何もないのね……)



 すれ違う車も人の姿も、ない。



 「地図だとこの辺りなんだけどな」



 恵奈は車を止め再び地図を確認した。



 郵便局の前の交差点を右折。

 海岸沿いに出るのでそこを道なりに……。


 来たはずなのに、目当ての店舗はどこにも見当たらない。



 恵奈はスマホの液晶をタップする。


 時間は午後1時45分。

 打ち合わせの約束の時間まであと15分。


 ということは町境から車で3分程度の予定が15分もウロウロとしていたことになる。


 

 恵奈は舌打ちをし、間に合わない旨を伝えるために取引先に電話をかけた。



 呼び出し音は……



 鳴らなかった。

 ただ不通の音が流れるだけだ。



 なんてことだろう。

 集落の中にあるのに未だに圏外なのだ。



 (どうなってるの、この町は)



 「はぁ。もう間に合わないじゃない」



 この田舎町に数時間もかけてやって来たというのに、取引先にさえたどり着けないなんて。

 今日はここで契約をもらって置かないと、朝からの努力が全部無駄になってしまうではないか。

 

 恵奈は忌々しげに眉間に皺を寄せた。




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