第10話 救世主作戦-執行-

 農奴に未来はない。

 それは、ヴィーゼル皇国に住まう誰もの共通認識だ。毎日、朝から晩まで必死に農作業に従事する日々を過ごし、そして採れた作物の八割が税として徴収される。結果として、食べ物を作っているはずなのに、食べ物に困るという矛盾が発生するのだ。

 だが、かといって税として供出する作物は、税務官による厳正な管理が行われているために、ごまかすことはできない。結果として、農奴の手に残る作物は微々たるものだ。それゆえに彼らは、飢える日々を過ごさなければならない。

 そして農奴がどれほど飢え死にをしようと、彼らを支配する者にそんなことは関係がなく、決められた税を納めなければ首を切られる。そして農奴に人権など存在せず、妙齢の女がいれば税務官の一夜の楽しみとさえなるのだ。そして、それに逆らうこともできない。

 彼らは、虐げられている。


「はぁ……」


 今月も、そろそろ税務官が来る頃だ――そう考えるだけで、エリーの口からは溜息が漏れる。

 税務官は毎月、決められた日に来る。そして歓待させなければ税を上げられるため、村の中の少ない食糧と、貴重な酒を提供してもてなさなければならないのだ。

 エリーが決して食べることのできない、それこそ満腹を超える量を平らげ、そして酒に浸った後に女を求める。税務官の目が向かないように、と必死に誰もが願う中で、運悪く目に留まった女は一夜の玩具とされるのだ。

 これまで、エリーは相手をさせられたことはない。だが、それも時間の問題だろう。


 エリーは、今年で十五になる。

 そして村長である父、母、姉との四人暮らしであり、エリーの下にいた弟と妹は人買いに売られていった。

 更に重なる労働の連続で、両親は体を壊し、特に父は病に冒されていた。だからこそ、このように広い土地の農作業を行っているのは、エリーと姉のユキだけだ。

 痩せ細った体で、必死に雑草を取る。


 この雑草も、野菜屑と合わせて煮込めば、まだ飲める汁になるのだ。味はあまり良くないが、空腹の前では些細なことに過ぎない。

 もう、家の備蓄はほとんどない。収穫まではまだ一月以上かかるだろうし、無駄遣いはできないのだ。

 だからこそ、こうして草を食んででも、生きて――。


「……」


 何のために、生きるのだろう。

 エリーは何のために生まれてきたのだろう。

 このように税務官を恐れ、彼らに供出するための作物を作ることに精を出し、一夜の玩具になるために、生まれてきたのだろうか。

 気付けば手が止まり、肩を落とす。

 誰だって死にたくはない。だけれど、この状態は死んでいることとどう違うのだろう。


「エリー」


「……姉さん」


「手を止めないで。まだ雑草はあるわ」


 止まったエリーを窘める、姉――ユキの声。

 ヴィーゼル皇国の農奴に、未来はない――そんなこと、分かり切っていることなのだ。

 だけれど、逆らうことはできない。

 そんな生活に、嫌気がさすのは、当然だ。


「だって……姉さん。もうそろそろ、あいつが来るわ」


「……大丈夫よ、エリー。もし今月、あなたが指名されたら……私が代わるから」


「姉さん……」


「心配しないで。私はもう、五回指名されているから。もう慣れたわよ」


 ユキがそう、弱々しい笑顔を見せる。

 そんなはずがない。

 最初に呼び出された次の日の夜、すすり泣いていたユキを知っている。

 ごめんね、ごめんね、と必死に、隣の家に住む恋人に謝っていたことを、知っている。

 だが――エリーには、何も言うことができない。

 はぁ、ともう一度落ちる溜息と共に、エリーは雑草に手を伸ばし。


――地響きが、聞こえた。


「……? 姉さん」


「ええ、何か聞こえるわね」


「何だろう……?」


 それは、何かが地面を駆ける音が、響いているような。

 思わず、エリーはその音の響く方へ、顔を向けて。


 そして――そこに、絶望を見た。


「ひっ――!」


 それは、二十ほどの人間。どれも、馬に乗っている。恐らく響いていたのは、馬蹄が地を蹴る音だったのだろう。

 それぞれ、右手に光る刃物を抱えながら。

 狂ったような笑みと共に、やってくる、それは。


 野盗――!


「うらぁぁぁぁぁぁぁ!!」


「食い物をよこせやぁぁぁぁぁぁぁ!!」


「うおぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 馬に乗った野盗の群れが。

 作物の実りかけた畑の中央を走りながら、目に付く村人たちへと、凶刃を振るう。


「ひっ!」


「隠れなさい! エリー!」


 農奴に、自衛の手段など与えられていない。

 武器を持たせて、反乱を起こされるのを懸念しているのだろう。農作業に使う道具ですら、鉄製のものは存在しないのだ。

 そして、そのような農奴は盗賊が襲いかかってきたとしても、己の身を守ることすらできない――。


「ぎゃああああ!」


「た、たすけ」


「いやだぁぁぁ!!」


 次々と、鮮血を吹き出しながら倒れてゆく村人たち。

 エリーはそれを、必死に隠れながら、見る。

 野盗は村人たちを虐殺しながら、村の中央にある倉庫へと向かう。

 恐らく、そこに溜めてある――税として納めなければならない作物を、狙いに来たのだろう。


「そ、それだけは! それはご領主様にお納めする……!」


「うるせぇ! 黙れジジイ!」


「ぐはっ!」


 父に代わる村長代行の老人がそう前に出て、野盗を止めようとする。しかし、そんな言葉に止まる野盗ではなく、代わりに老人が胸から血を吹き出した。

 あれだけの食糧があれば、村人はどれほど生きられるだろう。

 次々と運び出されてゆく俵を、ただ見つめることしかできない。

 野盗の周囲では、抵抗せずそれを見守る村人もいる。

 あれが盗まれれば、もう、税を納めることはできない。

 つまり。

 村は――滅ぶ。


「おい! なんだぁ? 女が隠れてやがるぜ!」


「きゃあっ!」


「上玉じゃねぇか! お頭! こいつ俺がもらってもいいっすかぁ?」


「あん? ほー……確かに上玉じゃねぇか。うし、連れて帰るか」


 そこで、襲ってくる更なる絶望。

 野盗の一人に、畑から引き摺り出された。

 姉――ユキの姿。


「姉さんっ!」


「お? こっちにも女が隠れてんじゃねぇか!」


「ちぃとガキだが、こっちも上玉だな! うし、連れて帰るぜ!」


「うぃっす、お頭!」


 そして。

 エリーへと迫ってくる、野盗の一人。

 いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。

 こんなことになるために、今まで生きてきたんじゃない。

 野盗の慰み者になるために、今まで生きてきたんじゃない。

 誰か、助けて。

 神様――。


「……あん?」


 だが。

 そんなエリーと、エリーに手を伸ばした野盗が。

 巨大な影に、覆われた。


「ごふぅっ!?」


 そして、エリーの目の前に現れた野盗の体が。

 突き出た黒い何かに胸を貫かれ、そして、倒れる。

 何が起こったのか、分からない。

 だけれど。

 エリーは――助かった。


「な、何だてめぇ!?」


「騎士たる者、名を問われ返さぬは恥。されど――貴様らのような屑に、名乗る名はない」


 ずん、と大きく大地の揺れる音。

 それと共に、エリーの隣を通り過ぎる、白銀の影。


 それは、巨大な一つの金属。

 エリーの倍はあろうかという巨体を、白銀に光る金属に包んだ、巨人だった。


 野盗たちが右手の武器を構えながら、白銀の巨人に相対する。

 だが、それと同時に。


「騎士たる者、名を問われ返さぬは恥。されど――貴様のような屑に名乗る名はない! いよっ! ユースのおれのかんがえたちょーつよいきしのせりふシリーズその七!」


「黙れアーデルハイド!」


 野盗たちの横から、彼らを横切るように。

 そこに――死が、過ぎた。


 真っ黒な外套と、そこから出た少女の顔立ち。

 しかし――その外套から飛び出す腕は、肉感の何一つない、骸骨のそれ。

 そんな死が、彼らを過ると共に。

 野盗が、炎に呑まれてゆく。


「ぎゃあああああ!?」


「ぐわあああああ!!」


「ひぃぃぃぃぃぃ!!」


 炎に呑まれながら、倒れてゆく野盗。

 エリーはただ、怯えながら彼らを見ることしかできない。

 白銀の巨人と、死の顕現。

 そして。


「く、来るんじゃねぇ! こいつを殺すぞっ!」


「ひっ!」


 一人だけ残った、野盗の頭であろう男。

 彼は右手に持った剣を、左手に抱えた――ユキの首筋に、あてていた。


「姉さんっ!」


「て、てめぇらが何者かは分かんねぇけどよ! こいつを見殺しにするかっ!」


「しないわよ」


 だが――そこで、男の動きが止まる。

 まるで何かに縛られているかのように、動きを止め。

 そして唯一自由に動くのであろう、両目だけをぎょろぎょろと動かし続け。


「もう大丈夫よ、怖かったわね」


 ゆっくりと男へ近付き、そしてその手からユキを解放して。

 そして、男を見据える――下半身が蜘蛛の、女性。


「私の糸は、あなた程度の力じゃ切れないわよ。さて……どうやって死んでみる?」


「んんっ! んんっ!」


「どうしましょうか? 息を止める? それとも全身を圧迫する? そうね、指を一本ずつ切り落とす、っていうのも面白そうね」


 嗜虐的な笑みを浮かべた女性に、必死に男は声にならない声を上げ続ける。

 そして、女性がくいっ、と右手を動かすだけで。


「でも、喜びなさい。少し事情があるから」


「んんっ!」


「すぐに殺してあげる」


「っ――!」


 びくんっ、と男の体が跳ね上がり、そして、動かなくなった。

 死んだ――それが何故なのか、全く分からないけれど。


「お疲れ、ユース。いやぁ、悪いねぇ、ぼくがほとんどもらっちゃってさ」


「ふん。さすがは『焔腕』といったところか。あれほどの炎を出すことができるとはな」


「んー? 主にぼくだよ? 主に強いのはぼくなんだけど?」


「こらこら、ケンカしないの」


 状況は全く分からない。

 理解することすら放棄してしまいそうになる。

 だが。

 エリーは、ユキは、そして村は。


 三体の異形によって、救われたらしい。

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