第三章 予言者

第1話 襲撃

 予言が実現して、ステラとラルフは葉っぱに焼き付けられた地図を手に入れた。

 そこに何があるのかはわからないが、とにかくステラたちは、地図に描かれたその場所に向かって出発することにした。


 ステラは洞窟で手に入れた、地図の描かれた葉っぱを髪からはずして砂浜に広げた。

 今いる場所から北東に向かって、道筋を示す線が引かれていて、目的地と思われる場所に印がつけられている。


「まずは海岸線に沿ってこのまま北に上がろう」


 ラルフが地図を見ながら言った。


 海岸沿いの道は分かりやすく、そして比較的安全だ。

 ラルフとステラは海から吹いてくる風に当たりながら、まずは北へと進み始めた。


 ステラにとっては、ラルフがいることはとても心強かった。

 いくら海岸沿いは比較的安全とはいっても、飢えた肉食動物に出くわすこともあったし、夜ともなれば、夜行性の猛禽類が動き出す。

 人間の肉体を持ち、夜目の効かないステラにとっては、日没から日の出までの暗闇の時間帯は、なによりも恐ろしかった。

 

 だがそれでも、ラルフがいると思うだけでステラの恐怖心は和らいだ。


 ラルフは生まれついてからずっと、危険な森を生き抜いてきたオオカミだ。

 常に五感は研ぎ澄まされ、たとえ寝ているように見える時でさえも、少しの異変にも敏感だった。

 遠くからでも危険を察知できる耳と目と嗅覚は、ステラには到底及ぶことのできないくらい鋭いものであった。


 そして何より、ラルフから漂う王者としての威厳と風格は、闘わずして相手を退けるのに十分であったのだ。


 ステラは、ラルフと旅をしながら、初めて自然というものの過酷さを体験していた。

 それはブルームハートにいた時には感じたことのないものだった。


 〝生きる”ということは、〝食べる”ことだ。


 食うか食われるか、ステラにもやっとラルフの言っていた意味がわかった。


 出発から3日を過ぎて、ラルフとステラはようやく海岸沿いの草原から湿地帯に入ろうかというところまできた。

 湿地帯を過ぎれば目的地はもうすぐそこだ。


 湿地帯には草食動物がたくさん集まってくる。

 そしてその草食動物を狙って、肉食動物もやってくる。

 ステラはもちろんだが、オオカミであるラルフにとっても危険の多い気の抜けないエリアだ。


 普段森の中に棲んでいるラルフにとっては、湿地帯はあまり得意ではない。

 水によって脚が封じ込められることは、大きな武器を失うことになるからだ。


 とにかく昼のうちに湿地帯を抜けてしまいたい。


 ラルフとステラは、慎重にあたりを見回しながら、ジャブジャブと水の中を歩いた。

 湿地帯特有の背の高い草が茂っていて、草の陰に隠れて進むことができるのは好都合だが、こちらからも先が見通せない。

 ラルフとステラはぬかるみの中を、四苦八苦しながら前に進んだ。


「なんだ!?」

 

 突然、ラルフが脚を止めて辺りを警戒した。

 ラルフのただならぬ様子に、ステラも立ち止まって恐る恐る辺りを確認する。


「何かが集団でこっちにやってくる、、、」


 ラルフが、五感を集中して気配を察知しようとしていた。


「これは、、、鳥なのか?」

 

 オオカミにとって、水鳥は恐れる相手ではないが、それにしても何故?

 敵に見つからないように静かに近づいてくるという風でもなく、鳴き声を上げながら集団で迫ってくる気配に、ラルフは奇妙な違和感を感じていた。


「変だな。ほかの肉食獣にでも追いかけられているのか、、、」

 

 そう考えている間にも、水鳥らしき鳴き声や、草をかき分けて近づいてくる気配はどんどん大きくなって、ステラにもはっきり感じ取れるようになってきていた。


 さっさと走り抜けてしまえばいいのだが、足元がぬかるんでなかなかそうもいかない。


 ラルフは水鳥らしき集団が迫ってくる方向に向かって、ウーっとうなり声を上げて威嚇した。

 

 ―無駄に闘う必要はない。


 これできっと逃げていくだろう、と思った次の瞬間、草の間から水鳥が飛び出してきて、長いくちばしでステラを襲ってきた。


 ラルフの周りにも、何十羽という水鳥が取り囲んで、次々に攻撃してくる。


 ラルフとステラはまず、鳥のくちばし攻撃をかわしながら前に進もうとするのだが、足元がぬかるんでいる上に、水鳥の数が多すぎて、なかなか上手くいかない。


 ついにステラの額のあたりに嘴攻撃がヒットして、白い肌から血が流れた。


 ラルフは瞬間に反応して、ステラの前に立ちはだかって、鋭い爪で水鳥の体を引っ掻いた。


「キキキキキキッ!」


 水鳥はつん裂くような鳴き声を上げて、血を流してバタバタしながら水の中に落下した。


「ああっ!」


 ステラも驚いて声を上げた。

 

 ステラにとっては、そんな攻撃を受けるのも初めてなら、自分を助けるためにラルフが水鳥の体を引っ掻き、おかげで水鳥が血を流すなんて、そんな光景を見るのも初めてのことだったのだ。


 ステラは驚きと、そして恐怖を感じた。


「大丈夫だ。殺してはいない。急所は外してある」


 ラルフは、次々に攻撃を仕掛けてくる水鳥たちをかわしていく。

 しかしそれでも水鳥がの群勢は、怯むことなく攻撃を仕掛けてきた。


「なんなんだ、これは!?」


 水鳥がオオカミと人間を襲うなんて、聞いたことがない。


 そもそも水鳥は大人しい生き物で、余程のことがない限り、集団で襲うなど考えられなかった。


 ラルフとステラはわけがわからず、しかしとにかくこの場を切り抜けるためには、闘うしかなかった。

 ラルフは爪と牙で応戦し、水鳥の何羽かは傷を負って、水の中でもがいていた。


 ラルフは、水鳥を腹の足しにしたいという衝動に駆られたが、どうにかその気持ちを抑えて、淡々と闘いに集中した。


 ステラが望んでいないことをしたくないと思ったからだ。


 ―なんて弱気なオオカミだ。


 自分の気持ちに気づいて、ラルフは思わず


「オオカミのリーダーが聞いてあきれるよ」


 と呟いた。


 これは本当に、ステラの起こす愛の風とやらに当たったせいかもしれないな、とラルフは首をすくめた。


 しかし、そんな気持ちにいつまでも浸っていられる程の余裕はない。

 噛み付いたり引っ掻いたりしながら、どうにか水鳥をかわしたと思ったら、今度はまた草の陰から次なる敵が現れたのだ。


「ラルフ!ワニよ!」


 ステラが叫んだ。


 水鳥に気を取られている間に、ラルフとステラは周りをぐるりとをワニに囲まれていることに気づかなかったのだ。


「ステラ!」


「早く背中に乗るんだ!」


 ラルフに言われて、ステラは素早くラルフの背中に飛び乗った。

 ちょうどそのタイミングで、四方八方からワニが口を開けて襲いかかってきた。


「グアォーッ」


「グォォォォ」


 ラルフは跳び上がって、大きく開いたワニの口をかわした。

 そして群れているワニの背中の上を跳ねて、群れの外へ出た。


 うまくかわしたと思ったのも束の間、ジャブジャブと水をかき分けて進むラルフに、またすぐにワニたちが追いついてきた。


 水の中では、ラルフの自慢の脚も大して役に立ちはしない。

 今度こそ何十頭というワニの大群が、ラルフとステラに向かって、もう今にも襲い掛かろうかというところまで迫ってきていた。

 しかもまだ続々とその数は増え続けている。


 ―なんなんだ、これは!?まるで何かに取り憑かれているかのような目をしている、、、。


 ワニの大群に追い詰められながら、そのときステラもラルフと全く同じことを考えていた。


 ―こんなのおかしいわ。まるで何かに操られているようだわ。


「なあ、やめないか。ボクたちは敵じゃない。それに今闘う気分じゃないんだよ。あいにく腹はすいてないんでね」


 ラルフがワニたちに向かって、少し茶化すように言った。


 ラルフとしては、ワニにかかっている呪縛が緩んで解ければいいと期待したのだが、張り詰めた空気に変化はなかった。


 殺気と狂気に圧されて、ラルフは後ずさりした。

 そしてステラに、背中から降りて下がっているようにと言った。


 言い終わった途端、ついに一頭のワニがラルフに襲いかかってきた。

 闘いたくないなどと言っている場合ではない。


 ―殺らなければ殺られる。


 瞬間に、ラルフの全身に獣としての本能が蘇った。


 ―迎え撃ってやる。


 ウウウゥーーーーーーッ。


 ラルフもワニの喉元めがけて飛び掛かっていった。

 瞬く間に、水の中に血の色が広がった。


 ラルフがワニの喉元に喰らい付いて、それをワニが振りほどこうとして、激しく暴れて水しぶきが上がっている。


 一対一ならこれで勝負あったかと思われたが、そこにまた別のワニがラルフに向かって大きな口を開けて突進してきた。


 ワニの喉元に喰らい付いたラルフの胴体は無防備だ。

 大きく口を開けて近づいてきたワニに気づき、喰われるっ、とラルフが気配を察した、まさにその時だった。


「鎮まりなさいっ、お願い、鎮まって!鎮まるのよっ」


 ステラの叫ぶ声とともに、温かく湿ったオレンジ色の風が吹いてきた。

 ステラが吹かせた風だ。


 ステラが吹かせたその風には、この湿地帯の水の奥底に流れる、『生命を育む母なる愛』が溶け込んでいた。


 ステラは意識を湿地帯の水の中に潜らせて、母なる愛をすくい上げ、愛と癒しのオレンジ色の風に乗せて吹き渡らせたのだった。


 湿地帯全体に風が吹き渡ると、やがてそこは、なんとも言えない心地良い空間へと変わっていった。

 母なる大地の懐に抱かれて、ステラもラルフも、そしてそこにいるすべての動物たちが、ゆったりとした安らぎの感覚に身をゆだねていた。


 気がつけばラルフに襲いかかろうとしていたワニたちも、戦意を喪失してその場に大人しくじっとしていた。


「ラルフ、闘う相手は動物たちじゃないわ。今のうちにここを離れましょう」

 ステラの言葉にラルフも我に返った。


 ワニの喉元に喰らい付いていたのを解放してやり、また水の中をジャブジャブと、できる限り急ぎ足で、また目指す場所へと向かって進んで行った。


 


 

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