第17話

 僕を乗せたバスが駅のホームに着いたころ、携帯に着信があった。『相沢佐紀』と表示された画面に耳を当てると、すぐに彼女の声がした。


「いきなりごめんね。今、大丈夫?」

「ああ、別にいいよ」


 電話を片手に、僕は駅の改札を抜ける。

 昨日、突然帰ってしまった彼女が僕になんの用だろう。最後の忠告が気に入らなかったというのなら素直に謝ろう、と僕は考える。


「今、家じゃないんだ?」


 佐紀の声は、喜怒哀楽のどれにも当てはまらないように思えた。あえてそうしているのか、彼女の素がそうなのか分からないけれど、その平坦な口調からは感情が読み取りづらい。


「うん、ちょっと出てて。今から帰るところ」

「じゃあ今じゃなくてもいいよ」


 あっさりと会話を切り上げようとするあたり、僕のイメージの中の彼女らしい。執着、という言葉がこれほど似合わない人間もいない。


「いや、今でいい。まだ電車が来るまで時間あるし」

「そう。なら、手短に話すね。明日って空いてる?」

「え?」


 答えは言うまでもなく空いてはいたが、不登校児の僕はともかく彼女はまだ学校があるはずだ。その旨を伝えると、佐紀はあっけらかんと「私、明日から夏休みだから」と答えた。


「……そういうのは、あんまり賢くないと思うけど」


 諭すような立場にないことは分かっていたが、一応僕は苦言を呈す。自分が情けないと自覚しているからこそ余計に、ここで引き止められるのであればそうしたかった。


「別に、私は賢くなりたいわけじゃないもん」


 佐紀の口調は昨日よりも明らかに強みを増していて、どうやら今の僕に彼女を止めることはできそうになかった。そういうことなら、もう口を挟むのはやめよう。


「で、空いてるの? 空いてないの?」

「……まあ、特に予定はないけど」

「やった、決まり。明日の朝、迎えに行ってもいいかな」

「わざわざ家に来なくても、どこか場所を指定してくれれば行くけど」

「私がそうしたいの」


 彼女はきっぱりと言った。


「じゃあ、任せるよ。あんまり朝は得意な方じゃないから、十時以降だと助かる」

 さすがに三日連続で早起きをするなんて真人間的なこと、できる自信がなかった。彼方さんに明日は予定があると言われたとき、のんびりと眠れることに安心していた自分も少なからずいたくらいだ。


「十時だね、分かった。それじゃあ、また明日」

「ああ、また明日」


 要件を終えるとすぐに電話は切れた。無駄話の一つもなしだ。彼女らしい、と再び思った。

 自販機で冷たいカフェオレを買い、ホームにあるベンチに腰かけた。ベンチは日中の気温で温くなっていて、少し不快だった。

 プルタブを引き、無人のホームに空気の抜ける音が響く。

 僕みたいな人間が一日おきに別の異性と約束を取り付けるなんてこと、想像もしていなかった。別に彼方さんや佐紀のことを異性として意識しているわけではないが、事実としてはそうだ。

 僕は、何がしたいんだろう。

 あまり考えすぎると変なふうに拗れてしまいそうだったので、甘ったるい液体でそれらを全て流し込んでやることにした。

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