soul symphony
結城輝夜
第1話
木から零れる日差しですら熱く感じる季節。蝉が引っ切り無しに鳴いては、汗ばむ額をぬぐっていた。
駆け足で引き戸を開けて、靴を脱ぎ捨たのは十六、七歳ほどの少女。
「おばあちゃん、ただいまー」
少女の声は木造の家に響き沁み込むようにして消えるも、それに応えるのは蝉の声だけである。
少女は、返事を求めて廊下を行き当たりまで進む。
少女の祖母はここの所、ダイニングで日光浴をしてそのまま
リビングから毛布をとって、ダイニングの扉を開けた。
一瞬、窓から差し込む光に目をつぶり、次第にそれにも慣れて目を開ける。
「おばあちゃーん……?」
戸に仕切られていた部屋はただ赤くそれは異質であった。少女の祖母を中心として散らばるように染まった床や壁は、小窓から差す光に赤く光っている。その光景を目に入れてから、少し遅れて鼻をついていた鉄さびのような匂いに気が付いた。
その異質な空間へ繋がれた廊下で凍えるように女の子はしゃがみ込んだ。
その光景を飲み込まないように、受け入れないように頭を下げて。
え? 血……?
うそ、だ……
嘘嘘噓だ……
「お前は誰だ? ババアには子供も孫もいないはずだが」
尖り声に視線を上げると、部屋の隅に少女の半身ほどはあろう赤い刀を手に据えた男がいた。
「え、いや……」
状況を未だ飲み込めず、自分に迫る危機にただ怯えて何もできず少女は動けない。
この男がおばあちゃんを殺したのだろうか?
このままだと自分は殺されてしまうのだろうか?
そもそもなぜこの男はここにいるのだろうか?
そんな無意味な疑問を自分のうちに浮かべては迫る現実をどこかで否定しようと逃げようとしていたのかもしれない。
ただそれは無意味で、早まったはずの心音が何故か次第にゆっくりと感じられて、それは刻一刻と迫る"死"へのカウントダウンのようだった。
『逃げなさい』
少女に頭に声が響く。
その声は確かに少女の知る祖母のもので、その声は続けざまに語る。
『あなたを守りたいのよ』
『お、おばあちゃん?』
『逃げなさい』
『・・・』
言葉に込められた強い思いを感じ、少女の中で一つ思いがまとまる。
聞こえた声に震える足に手をそえて立ち上がり、そのまま男に背を向けて走った。
「逃げられるとは、思うなよ」
男は、刀を構えて呼吸を整えて上方から刀を振り下ろす。
刀身は淡い光を放ち振り落ろされた刀と共に青白磁の光が少女を捉え、迫る。
だが、それが少女に届くことはなかった。
少女を目前とした光がもう一つの光筋に包まれ止められた。
その光は少女の祖母から斜方状に幾重と伸びており、所々が赤く濁っていた。
「ちっ、死に損ないが」
✳︎
私は廊下を駆け抜けて、そのままに家から飛び出した。
ただ走る。少しでも遠くへ走る。
おばあちゃん……!
頬を流れる涙は熱いのに、体は冷たく凍えるように怖い。
街灯に照らされたアスファルトの道はぼやけて見えない。
靴を履かずに飛びだしてきたため足裏は切れ、破れた靴下は赤く滲んでいる。
体力はとっくに切れていて、やがてふらついて自分の足に躓いた。
「いた……」
涙を拭い、顔を上げた。ぼやけた視界に写るのは温度を感じない灰色の墓標。
月明かりに恭しく照らされて浮き上がった輪郭は直線的だった。
もう、いいや。
おばあちゃんも助からないし、私だって、きっともう、駄目だ。
このまま野垂れ死んだ方が苦しまないかもしれない。
『逃げなさい』
拳を握りしめて地面を叩きつけた。
拳からは血が流れ、痛い。
そうだよ。生きないと。何があっても生きないと、いや生きるんだ……!
ただ決意とは裏腹に現実は目まぐるしく姿を変える。
突然、背中を寒気が襲った。
さきとは比べ程にならないほどの恐怖を感じる。
コンクリートをふみしめる足音と共にその恐怖は増し、体が硬直して動かない。
逃げないと死ぬ、そう直感した。
その迫る死を実感しながらも、力を振り絞りなんとか首だけを後ろに向けた。
視界がまず捉えたのは私へと向けられらた白い刃。
その切っ先を辿るとそこには刀を握る長身の男がいた。
視界の隅に浮かぶ満月の光を受け、紺碧の髪は揺れていた。
「お前は、誰だ」
私を見据える尖った眼に浮かぶ色はただ黒い。
月光を受けてもなおそれは光を一切灯していない。
悲しみを背負い、その悲しみに飲み込まれたかのようなそんな眼であった。
その場を支配する沈黙が私をここに突き刺したかのように体は一切と動かない。
「沈黙を貫くならば――」
「――死ね」
振り向きざまに一閃。
その光景に遅れて、鈍い音がした。
その音は、ただ不快でまるで表現できるようなものではない。
赤い刀身と白い刀身が
散らばった光は再度刀へと収束し飲み込まれているように見える。
紺碧の髪の男が一歩外側へと踏み出し消えた。
それは文字通り見えなくなった。
もしくは目で追う事が出来なかったのかもしれない。
二つの光が追いかけ合い、削りあっている。
墓地の各所で光が散り、あの不気味な音でそこは満ちていた。
そして墓標を視界に入れるたびに何かが頭に流れ込むようで、何かを飲み込むたびにどことなく満足感に満たされる。
やがて辺りを行き来していた光は一点にとどまり、一つとなった。
「もっと研鑽を重ねるべきだったか」
「この差は並大抵の努力では埋まらない。安らかに逝け」
「そうかもな...ありがとさん」
頭を失った体は青白磁の光に焼かれ、闇に溶けるようにして消えた。
「人を……」
「あれは……いや俺たちは元より
男はこちらへ振り向くことなく少女の疑問へと答えた。
男の持つ白い刀が淡い光に飲まれ消えるとともに、男は墓を見渡しぽつり。
「ん……?」
依然に座ったままの少女を見下ろして苦虫を嚙み潰したような顔で言葉を吐き出した。
「お前、何者だ……?」
「私は……」
✳︎
「あれから、もう一年か……」
少女は全てが始まった日を思い出し、ふとそう漏らした。
紺碧の髪の男がそれに答える。
「たかが一年だ。ここからの方が長い」
「そっか、死ぬつもりはないんだね?」
そういう少女の顔は少し強張っており緊張が見て取れる。
「何度も言わせるな。俺は死人だ。それにお前は死なせん」
「わかった……じゃあ行こっか」
「ああ」
二人は、終わらせるために向かった。
物語は始まれば、いずれ終わる。
その結末が幸か不幸かそれは終わるまで分からず、その結果を誰がどう受け取るかによっても変わるだろう。
ただ言えるのは、この物語の幕は既に上がっているということだけだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます