全員殺して解決する悪役令嬢が失恋を見届けた時の話

鶴屋

第1話 これは地獄か

 後世の歴史家から希代の悪女と称されるアンヌ・ジャルダン・ド・クロード・レヴァンティン女伯爵だが、気が向けば慈善活動をすることもある。


 ほどよく暖かい晴れの日のことだった。


 瀟洒しょうしゃなお屋敷にあるテラスで、穏やかな陽だまりと深々と澄み渡る清涼な空気に包まれて、アンヌは令嬢しぐさを極めていた。


 彼方にいる純朴な領民たちが畑作業にいそしむのを『ご苦労様』と内心でねぎらいつつ、馥郁ふくいくとただよう紅茶の香りにうっとりと微笑む。


 ティーセットは最近売り出しの工房がオークションに出していた限定生産品の白磁。

 ケーキを取り分ける為のナイフもフォークも、ティースプーンも銀製で、妖精と華をテーマにした細緻な彫刻が施されている。


 庶民には手が届かない芸術品の域にある調度を扱うアンヌの容姿も、一流の画家が描いた絵のように美しかった。


 髪の毛は鮮やかな珊瑚珠色。陽の光を艶やかに反射させる見事に手入れの行き届いたサラサラの前髪の下にあるのは、神秘的な印象を与える細く長い眉に、トパーズの輝きを宿す黄土色の瞳。鼻は小高くくっきりとしたのラインを描き、薄紅色に引かれたルージュは蠱惑的な色をたたえて形の良い唇を彩っている。

 エメラルドグリーンのドレスが、良く似合っていた。

 胸元をかっちりと閉ざしているそのデザインは、華美な彼女の清楚さと気品とをいや増すようだ。


「平和ね」


 見晴らしのいい丘の上に、手入れの行き届いた庭があった。

 天気も良いことだし、持ち運びの出来る机と椅子とを設置して、一人でささやかなティータイムにしゃれこむつもりだった。


 アンヌはわくわくしていた。


 何しろ今日のおやつは特別製。

 貴族達垂涎の的である名店キューティ&クロアージュのケーキを、珍しく購入することができたのだ。


 が……。


 悲劇が、最悪な形で起こった。


 上空を飛ぶワイバーンがひねり出した人の頭よりも大きな糞が、優雅にお茶菓子をしばこうとしたアンヌと、特注したおやつの“とろり濃厚チーズケーキ”に直撃。


 ぼとり、ぐしゃり、べっとりという三段活用の大惨事だった。


 鮮やかな珊瑚色をした自慢の髪も、オートクチュールで仕立て上げたお気に入りのドレス――希少な天然真珠があしらわれていた――も、有名パティシエに半月前から予約して楽しみにしていたケーキも……、つまりは何もかもが台無しである。


「これは地獄か……!」


 アンヌは激怒した。


 “虐殺の悪女”はワイバーンを討伐することにした。


 侍女を呼んでドレスを焼却処分するよう命じ、お風呂に入り、念入りに身体を洗って着替えを済ませたアンヌが凶悪かつ厄介な空飛ぶ魔物の巣に出向き、二度と不幸な事故が起こらないようにと飛竜を一匹残らず駆除するまでの必要期間、わずか二時間。


 魔物退治の最高峰たるドラゴンスレイヤーもかくやという迅速さだった。


 結果論だが、アンヌの行動はワイバーンの襲撃に多数の人畜を殺されてきた近隣の村民たちを大いに喜ばせることとなった。




 それから、二週間が経った。



 ***




 凶悪なワイバーン討伐の噂に尾ひれがつき背びれが付き、巷では聖女だとか英雄だとか女勇者だとかもてはやされていたのだが当のアンヌはどこ吹く風。


 今日のおやつのザッハトルテにどんな茶葉を合わせようかしら、なんて優雅なティータイムのことを考えていた。


 そこへ――


「ここに、とても強い女勇者様がいらっしゃると聞いたのですけれども。会わせて下さらないかしら。非礼は承知でどうしても頼みたいことがあるの」


 如何にも悪役令嬢で御座います、という感じの、美人だが人相が悪い上に、そこはかとなく周囲からの怨恨臭を漂わせた女が現れてそう言った。


「どこで聞いた話なのか知りませんが、女勇者なんておりませんわ。お引き取り下さいな」

「嘘よ。だってきちんとした証拠を見てからここに来たのよ。ワイバーンの巣に単身で乗り込んで全滅させた強い女が居るって。近隣の人たちに聞いたらこのお屋敷に住んでいらっしゃるって」

「ああそれ。それだったら私のことよ。勇者様じゃなくてごめんなさいね」

「貴女が? まさかぁ!?」


 けらけらと笑うご令嬢。

 アンヌは足を引っかけてすっ転ばせようかと思ったが、


「だって、貴女みたいに綺麗で貴族の風格を全身からにじませてる淑女の見本みたいな人が、狂暴な魔物を素手で千切るなんて出来るわけがないじゃない」


 おそらく本心であろうその言葉に、一転して相好を崩した。


「そうね。そんなことあり得ないわよね」


 そのあり得ないことをアンヌは軽々しくやってのけられるのだが、何も知らない貴族が口で言って信じるかというとまず無理だろう。まあ、鎖を引きちぎったり硬貨に穴をあけたりというパフォーマンスをすれば信じるだろうけれども、このように“おいしい”状況をあえて壊すこともあるまい。


 というわけで、アンヌはすっとぼけることにした。


「確かに、この屋敷には荒っぽい事がとても得意の女性がいるわ。しかも素手でドラゴンを討伐できるくらいの実力がある。ただね、彼女への用事は全て私が取り次ぐことになっているのよ」


 嘘はついていない。

 ただ、用事を取り次ぐというアンヌと、荒っぽい事がとても得意の女性というのが同一人物であるだけだ。


「ところで、貴女はどちら様かしら?」

「ランカよ。カサブランカ・エル・テッド・ユーリアス。ユーリアス侯爵家の長女でケヴィン殿下の婚約者」


 自己紹介しつつも、ランカ侯爵令嬢の瞳は明らかにアンヌを値踏みしていた。


「私はアンヌ。アンヌ・ジャルダン・ド・クロード・レヴァンティン女伯爵。このあたり一帯を治める地方領主で、あなたが言う女勇者様を動かせるただ一人の女」


 回りくどい言い回しだが、嘘は言っていない。


「とすると、女勇者様はあなたの私兵か何かかしら?」

「似たようなものね」


 アンヌは引き続きすっとぼける。


「それで、頼みごとって何なのかしら?」

「悪い魔女を懲らしめて欲しいのよ」

「魔女?」

「あのクソ女、私の婚約者をたぶらかしているのよ」

「ふうん?」


 アンヌもお年頃のご令嬢なので、他人の色恋沙汰の話は嫌いではない。

 ちょうど暇でもあったので、アンヌは悪役令嬢(仮)に付き合ってやることにした。



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