【1月30日 第一巻発売】非科学的な犯罪事件を解決するために必要なものは何ですか?
色付きカルテ
Ⅰ
犯罪事件に巻き込まれる確率は?
――――拝啓、この世界のどこかにいらっしゃるであろう神様へ。
人間生きて80年、長くとも100年の時代となりましたが、まだまだ神様が望むような形を私たちはきっと出来ていません。
神様が望むような高度な知性体系を、いまだ私たちは築くことはできていないのです。
それどころか、人は日々間違いを犯すものです。
私たちが試行錯誤を繰り返して、最善だと思った道を進んでいても、それが間違いだったなんてことも多々あります。
幾度となく繰り返される間違いを目の当たりにして、貴方様がお怒りになるのは当然ではあります。
それでも、仕方のない奴らだと、優しく許すのが貴方様の役目なのではないでしょうか。
優しく許すのが難しくとも、多少の痛みが伴う程度の罰を与える程度に収めるべきだと思うのです。
ましてや私なんて15年程度しか生きていない、小娘です。
いくら私がこれまでの人生で盛大にやらかしていたとしても、軽い天罰を与える程度で十分だと思うのです。
少なくとも……そう、少なくとも、命にかかわるような罰はあまりに重すぎると思うのです。
15歳の小娘に与えるべき罰はもっと他にある筈です。
……なんて、そこまで考えて、私はそっと目の前の悪夢が収まっていないかと瞼を開くが、そこにある光景は変わらない、大きな出刃包丁を持った男がバスの運転手を脅している後ろ姿だ。
――――だからこんな、学校へ向かう早朝のバスの中で、たまたま刃物を持った男が私の乗ったバスをジャックするなんてあんまりだと思うのです……。
……ばい、一般女子高生、佐取燐香の嘆きの言葉。
‐1‐
私は何の変哲もない家柄の両親のもとに生まれ、兄と妹に囲まれてすくすくと育った。
家はぎりぎり都会と呼べる範囲で暮らすのには不自由ない程度には裕福な家庭。
私自身は取り立てて挙げるような特技もなく、人に誇れるのはそれなりの進学校に通っていることくらいだ。
進学校内での成績も悪くなく、私生活もアルバイトを少しやるくらいで目立つようなことはしていない。
少し友達が少ないだけの、どこにでもいる高校入学したての女子高生。
それが私、佐取燐香(さとり りんか)だ。
大きな山もなく深い谷もないような日々の暮らしではあるが、それを嫌だと思うこともなく、何気ない日常に私はそれなりに満足していたのだ。
平日は学校に行って勉学に励み、仕事で夜遅い親に代わって家では家事を行う生活。
全部を親にやってもらえている人達と比べれば私自身苦労しているのだろうとは思うが、これはこれで楽しいものだ。
少し刺激が足りないと思う時だってあるが、そこはゲームなどで発散することで解消できる。
外で遊びまわるだけが幸せではなく、科学が進んだ現代社会では私の様な学生でも十分楽しめる機器が身近に存在するのだ。
まあ、つまるところ、私は現状に何一つ不満を持つことなく、十分幸せに生活を送っていたという訳である。
――――だから断じて、非現実的な場面に遭遇したいと思っていた訳ではない。
「おらっ!! お前ら動くんじゃねぇぞ!! 少しでも反抗的な動きを見つければ、一人二人は始末してやるからな!」
体格のいい中年男性が運転席近くで吠え立てる。
手に持っているのは男の太い腕に見劣りしない大きさの出刃包丁。
そんな出刃包丁を持っているというのに、男は重さをものともせず、軽くそれを振り回していた。
「お前らは俺の財産だ! 使い道は俺が決める! 俺に反抗するような財産は処分する、言いたいことはわかるよなぁっ!?」
そう言って、一番近くの席にいた私と同じ年くらいの男子学生の隣の窓を叩き割る。
近くにいた男子生徒は顔を蒼白にして悲鳴を漏らしていた。
素人ではない、そう思う。
人の恐怖と言う感情を、この犯人はよく理解している。
身の危険をより身近に感じさせるのはいい手だ、あの砕かれた窓が自分だったら、そんな思考が一瞬でも頭をよぎってしまえば人は恐怖に打ち勝つことは難しい。
少なくとも力自慢にも見えるその動作で、乗客に残っていた僅かな反抗心は砕かれた。
男は運転手へと向き直る。
「おい、高速に乗れ。絶対に停まるなよ。停まったらその度に一人殺す」
「お、落ち着けっ、こんなことしてなんになる……か、金なら払うから……」
「馬鹿かよ、バスに入ってる金程度でこんなことするか」
馬鹿にしたように男は運転手を笑うが、正直それ以上に馬鹿なことをしている自覚を持ってほしい。
ちらりと腕時計に目をやって、登校時間が過ぎゆくことに頭を痛める。
私はただ、学校へ通学したかっただけなのに……。
朝早くに起きてお弁当と朝食を作り、早めに家を出た日に限って、こんな事態に巻き込まれる。
自分自身の運のなさに辟易するが、そんなことをぐちぐち悩んでいても仕方ない。
取り返しのつかないことになる前に解決策を探すべきだろう。
バスジャックを起こした犯人は、顔を蒼白にしている運転手の横で電話を始める。
「――――聞こえてるか、今俺は10人以上が乗ったバスをジャックした。要求は三つ、一つ、逃走用の車両と拳銃30丁、現金10億円の用意。二つ、警察庁長官の辞任。三つ、刑務所にいる囚人の全解放だ」
「な――――何を言って……!?」
「うるせえ! 今電話してんだよ! お前を殺して乗客に運転させてもいいんだぞ!!」
「っ……!」
「……また電話をかけなおす。一つの条件につき猶予は一時間だ。一時間ごとに条件を一つも呑めなければ、その度乗客を一人殺す」
それだけ言って、犯人は電話を切った。
随分とまあ、大胆な要求だと思う。
そんな要求が本当に通るとは思っていないだろうに、どういうつもりなのだろう。
いらいらとした様子で窓をもう一つ叩き割った犯人に、乗客たちは肩を震わせて怯える。
バスの中を視線だけで見渡せば、乗客は犯人が言っていた通り10人程度しかいない。
その中のほとんどは、体格が良くおそらく武術の心得がある犯人に対抗できるようには見えない。
私のような学生が3人に、会社員の様なスーツの人が二人、主婦のような女性が二人とそのうちの一人に連れられた赤ん坊、あとはくたびれた雰囲気の若めの男と年配の老夫婦がいるだけだ。
どう考えたって、筋骨隆々の犯人に対抗できるようには見えない。
数的に見れば、戦力にならない赤ちゃんを抜いたって数倍ほどの人数差があるのだから、数で押せば押し切れそうな気もするが、何分犯人とは覚悟の差がある。
場合によっては犠牲者は多く出るだろう。
「……そんな死んだような目をするな少女。何とかなる。だから、大人しくして、不用意な行動は控えるんだ。いいな?」
そんな風に状況を確認していた私に話しかけたのは、私の隣に座るくたびれた雰囲気の若めの男性だった。
不健康そうな目の下のクマやこけた頬に目を奪われるが、彼の手は確かに武骨で大きい。
あの犯人とやり合える可能性があるとすれば、この人くらいだろうか。
「……あの、この目は生まれつきなんですが」
「はは、そんな死んだ魚のような目が生まれつきな筈がないだろう。まあ、冗談を言える余裕があるのは良いことだ」
「…………」
失礼な男である。
鋭い目で犯人を観察するこのおじさんの横顔を不満を訴えるように見つめる。
まあ、しかし、現状を解決しようとしてくれているようではある。
他の乗客は怯えて反抗しようとする意志すらないのだから、この男性は立派だ。
しかし、ここで動いてもこのおじさんの失敗は目に見えている。
通路側に座る私の精神を少しでも落ち着かせ、制圧時にすぐに退いてもらえるよう私に話しかけたのだろうが、まだ退く訳にはいかない。
「……あの、おじさん。今動くのはやめておきましょう。不利にしかなりませんよ」
「……なに?」
「…………」
言葉にせず、視線だけで私の後ろを示す。
私が伝えようとしていることは伝わらなかったようだが、何か嫌な予感がしたようで、おじさんは閉口し動くのをやめる。
本当は会話すらしないほうが良い。
この、当日思い立ったかのような杜撰で意味の分からない犯罪行為だが、この犯人達はおじさんが思うよりもずっと危険で計画的な奴らなのだから。
「……ひっくっ」
「泣かないでっ……お願いだから、静かにしててっ……」
静寂に包まれていた車内に響く、赤ん坊のぐずる音。
それを必死に母親があやすが、苛立っている犯人の目は鋭く二人を捉えた。
「おい、それを黙らせろ。できないんなら俺がやってもいいんだ」
「ひっ……すいませんっ、すぐに泣き止ませますからっ……」
犯人はなぜだかとても赤ん坊の泣き声を聞きたくないようで、母子を見る目は恐ろしいほど鋭い。
怯えながらも母親は必死に赤ん坊をあやすが、恐怖で引き攣った顔でやってもそんなものは裏目に出るばかりだ。
赤ん坊は母親の普段とは違う雰囲気に怯え、どんどん大きな声で泣き始めてしまう。
赤ん坊の泣き声が車内に大きく響き渡るのはそれほど時間は要さなかった。
「お願いっ……お願いだからっ……!」
それでも母親の必死な懇願も赤ん坊には届かない。
いらいらとした視線を向け続ける犯人がだんだんと限界を迎えていくのを眺めていたがそれほど時間もたたないうちに、母親の元へと進み出そうとしたため、仕方なく私が動くことにする。
席から立ち上がり、隣のおじさんの制止しようとする手を避け、犯人が止める間もないまま、私は彼女達の元に歩み寄った。
「はいはい、怖いですよね。でも大丈夫、お母さんと一緒にちゃんとお家に帰れますからね」
赤ん坊の頭を撫でる。
幼児特有のぐちゃぐちゃの思考を整えるために、人肌に触れさせ強制的に落ち着かせる。
あうあうと、しゃっくりを上げながら徐々に泣き止んだ赤ん坊の様子を見届けてから、不思議そうに私を見上げる赤ん坊の瞼を手のひらで覆い「おやすみなさい」と小さく囁いた。
そうすれば魔法のように、すう、と赤ちゃんが柔らかな眠りに落ちる。
なんとか犯人の要望通り赤ちゃんを静かにさせられた。
だが、これで一安心という訳ではない。
振り返れば、勝手に動いた私を冷たく見下ろしている犯人がいる。
「……小娘、自分が何をしたか分かっているのか?」
「不快にさせたならすいません、私も赤ちゃんの泣き声はうるさかったもので」
「俺が最初に言ったことを覚えているよな? お前は――――」
「ええ、ですから、警察が要望に応えなかった時の見せしめの一人目は私にしてください」
「――――……は?」
目を見開いた犯人を見上げ、目を合わせる。
赤ん坊を抱えた母親が何かを言おうと口を開き掛けたが、後ろ手に人差し指を母親の口元に当てて黙らせた。
「今殺すのもあとで殺すのも一緒ですよね? なら、財産は慎重に使った方がいいんじゃないですか?」
「……そりゃあ、そうだが……お前、自殺願望でもあるのか?」
「学生の私にそんなことを聞きますか、死にたくないですけど譲れないことってあるじゃないですか。それが当てはまっちゃっただけです」
「…………そうか」
ならこっちに来い、と乱暴に腕を引かれ、車両の前方まで引っ張られていく。
運転席の隣の床に座らされて、トンッ、と肩に出刃包丁の刃先が置かれる。
「なにかあればすぐにお前を殺す」
「ええ、はい。それでお願いします」
何とかその場で殺されるのを防げたと内心大喜びだが、周りはそう取らなかったようで、ほかの乗客が私に向けている感情は暗いものだった。
特にあの母親からの視線は、悲壮感が満ちすぎている。
止めてほしい、死ぬつもりなんて毛頭ないのだ。
私だって無策でこんな提案したわけじゃない、活路を見出しているから動いたに決まっている。
むしろこの位置に来るために、私があの母子を利用したようなものなのだから。
周りの乗客に聞こえない程度の声量で犯人に話しかける。
「犯人さん、少し会話しませんか?」
「……お前、本当に命知らずだな」
「どうせ死ぬことが決まっているなら、動機とか諸々を少し知りたいと思いまして」
「……何が知りたい」
ため息を吐くかのような言い方でそう聞いてきた犯人に、表情は変えずに、やはり答えてくれるかと安堵する。
「では、犯人さんの要求に合わせて三つだけ。まずは動機を教えてください」
「……交渉のためだ、さっき電話してただろうがあの要求が通れば、俺はお前らを解放していい」
「なるほど、じゃあ次に、その要求した物を持ってどうするつもりなんですか。」
「……さあな」
「なるほど――――では、貴方が本当に取り戻したいものを、この方法で本当に取り戻せると、思っているのですか?」
「――――…………何を、知っている」
知るわけがない。
でも、この犯人達の動機はある程度読めた。
あとは、ゆっくりと説得をしていけば……、なんていう風に悠長に考えていたのが悪かったのだろう。
バスの窓から見えたのは、近くを走る警察車両。
ヘリの音がわずかに聞こえるのを思えば、このバスの動向は上空から監視されているのだろうか。
犯人の顔色に緊張が走り、それでも、彼の目線は私から外れない。
犯人が震える声を出す。
「お、お前は……あの子がどこにいるのか、知っているのか?」
「ええ。彼らが何のためにその様な事をしたのかも、知っています」
警察がこの車両を包囲し始めているというのに、犯人の注目は私に向いたままだ。
チラチラと運転手が私達に視線をやり、なにが起こっているのかと動揺しているが無視をする。駆け引きの山場はここだろう。
「警察は信用できないですもんね。言いなりになるしかないですもんね。子供の無事を祈るしか、出来ることがないですもんね」
「っ……」
「――――大丈夫、私がやっておきます。貴方が取り戻したいものは、必ず私が取り戻しておきます」
肩にかかっていた出刃包丁の重みがなくなる。
見れば犯人の男は呆然と、泣きそうな顔で私を見ている。
(敵意がなくなりましたね、じゃあ、あとは後ろの方も――――)
よし、説得成功、と喜んだのもつかの間。
好機だと判断したのか、一番近くに座っていた眼鏡の男子生徒が犯人に飛び掛かった。
驚愕したのは私だけじゃなく、完全に私に注意が逸れていた犯人も思わぬ奇襲に少しよろめくが、すぐに組み付いた男子学生を振り払い、地面に叩き付けた。
「――――テメェッ! 死にてぇのかクソガキ!!」
「ひぃぃっ!!」
「あ、ちょ、ちょっと待ってください」
振り上げた出刃包丁が男子学生へと振り下ろされようとして、私は慌てる。
もう少しで言いくるめられたのにとんだ邪魔をしてくれた訳だが、だからと言って死んでも良いわけではない。
恐らく絶体絶命に見えた私を助けるために飛び出してくれたのだ。
その善性は褒められこそすれど、死に追いやられるようなものではない筈だ。
慌てて犯人の男を抑えようと手を伸ばしかけたところで、先ほど私の隣にいたくたびれた男が割って入る。
振り下ろされる出刃包丁をするりと受け流し、犯人の腕を掴み上げて、軽々と地面へ転がした。
「なっ――――ぐぉっ!!?」
「――――さて、あんたが呼んでた警察だ。大人しくお縄につくんだな」
めまぐるしく変わる状況に目を白黒とさせるが、こうなってしまえばもう1人の説得は難しい。
乗客席の後方にいた中年女性が音もなく立ち上がったのが視界の端に入った。
周りの人達は皆、刃物を持った男の身柄に注目しており、そんなことには気が付きもしていない。
床に倒され、関節を極められている犯人が苦しそうにもがくのを尻目に、くたびれたおじさんの背後に近付く女性。
これもまた、私がやるしかないのだろう。
「おばさん、やめといた方が良いですよ」
「……あら、何のこと? 警察の方の手助けをしようと近付いただけよ」
「そういうのは、手に持った刃物をしっかりと隠してから言うんですね」
私の言葉が終わる前に、おばさんは抱えていたカバンから果物ナイフを抜き取って、私目掛けて振り被る。
「っ……駄目だ! その子は傷付けるな!!」
抑え込まれている仲間の叫びさえ、鬼気迫る表情のおばさんは意に介さない。
強迫観念に囚われすぎて、周りに耳を貸す余裕さえないのだろう。
そして、当然そんなことは分っていた。
「熊用スプレー、強力ですよ」
女性が刃物を抜き出す直前に、私も懐から武器を抜き出していた。
熊用の撃退スプレー。
間違っても人に向けるものではない。
「――――ああああああっ!!!!!」
まともに顔面に噴射を浴びた女性が、悲鳴を上げる。
やたらめったらと手に持った果物ナイフを振り回し、ボロボロと涙や鼻水を垂れ流す女性はまともに周りが見えていない。
スプレーをした後は、しっかりと窓を開けておく。
直接かからなくたって、こういうのは周りにも被害はあるのだから大切だ。
「っ……運転手の方っ! 道端によって停車を頼む! 直ぐに警察が乗り込んでくるはずだ!」
「は、はいっ!!」
走り続けていたバスがようやく停まる。
次いで、扉が開き、乗り込んでくる警察隊員達に犯人達が確保され、とりあえず死者が出ずに事件が解決したことに安堵する。
人質になっていた乗客達が喜ぶ中で、私に向けるくたびれたおじさんの視線は気が付かないふりをした。
‐2‐
「本当にっ、本当にありがとうございました……!」
「いえそんな……思わず体が動いてしまっただけで、感謝されるようなことはしていませんよ」
どの口が言っているのだろう。
思わず、どころか、損得勘定をしっかりした上での行動だったのに、我ながら白々しい。
バスから降ろされ、人質だった私達が解放され、すぐに赤ん坊を抱えた母親がお礼を言いに来た。
一人ひとり怪我はないかと言う確認と念のために病院へ送られる説明を受けた直後で、まだ命の危機にあったという恐怖が抜けていないだろうに、ずいぶんと義理堅いことだ。
だがきっと、善人と言うのはこういう人のことを言うのだろう。
善人と関わるのは肩がこるが、腹黒い奴や根っからの悪人と関わるよりはずっと良い。
すやすやと寝息を立てている赤ん坊を軽く撫でて、じゃあまた病院でなんて言って母親たちの元を離れる。
学校は……どうやら今日はもういけないらしい。
警察や病院でいろいろなことに時間を食うと説明されてしまったのだから、もうそっちは諦めることにした。
今は入学式を終えたばかりの春真っ盛りだ。
友達作りの大切な時期に一日休みを取るなんて、高校デビューを目指す私からしたらかなり手痛いロスである。
……明日の学校が憂鬱だなぁ、なんて思いながら、手持ち無沙汰にぶらぶらする。
警察の人たちが忙しなく犯人達を運ぶのや、バスの中の検証をしているのを眺めていれば、そんな中から先ほどのくたびれたおじさんが私を見つけて近づいてくる。
「少女、無事で何よりだ。犯人に腕を掴まれた時はひやひやしたぞ」
「ああ、すいません。ご心配をお掛けしたようで」
「もう少し冷静な子だと思ったんだがな。まさか自分の危険も顧みず飛び出すなんて思いもしなかった」
少し諫めるような口調で言ったおじさんの言葉に、すいませんと返しておく。
危険はなかった、なんて言っても信じてもらえないだろうし信じさせるつもりもない。
根拠を聞かれても答えられないし、別に悪意がある言葉でもないのだ、ここは甘んじて陳言を受けておく。
「怪我はないな? 精神的に大きなショックは受けていないようだが、こういうのは後々に響いてくるものだ。信頼できる、親や友人にしっかりと苦悩を吐き出しておけよ。あとは……君が言っていた通り、その死んだ眼は元々なんだな……」
「……」
本当に失礼なおじさんだ。
三年以内に前髪がスカスカになってしまえ。
「……ところで、あー、その。君に、聞きたいことがあって、だな……」
「はい」
目が泳いでいる。
動悸が少しだけ激しくなり、心臓が鼓動する回数が通常時よりも多くなった。
何か聞きにくいことを聞くときの反応だ。
体をおじさんへと向けて、聞く体勢を取る。
「その、君の行動は少し、褒められたものではないが……結果的に見れば常に最善を導き出していた。俺が動こうとした時に君が止めてくれなければ、後ろから襲い掛かってきた共犯者にやられていたかもしれない。君が赤ん坊をあやしに行かなければ、犯人は母親ごと赤ん坊を殺害していたかもしれない。君の行動は危険ではあったが、確かに誰かを救う行為ではあった……」
「はい、そのつもりで動きました」
「……率直に聞く、君は何か特別な力を持っていないか? 例えばそう、透視をする力とか、そういうものを」
「…………本気で言ってますか?」
私が返した冷たい言葉を、おじさんは噛み締める様に瞑目した。
荒唐無稽なことを言っている自覚はあったようだ。
「……すまない。怖い思いをしたばかりの被害者にこんなことを聞くべきじゃなかったな。聞かなかったことにしてくれ」
「おじさんには助けられましたから、今のは忘れることにします」
悪いな、なんて苦しそうに笑ったおじさんが、そっと私の元から離れて警察の人たちと話しに行く。
事件の後に、おかしな話を被害者に聞かせるなんて警察官としては失格なのかもしれないが、正直私に不快感はない。
むしろ――――私は勘の鋭いくたびれたおじさんに心底感心していた。
よくそんなことに思い当たったものだと、私の心の中でのおじさんの評価をさらに上げる。
(ようやく手がかりを……きっかけを掴んだかもしれないと思ったんだがな……)
おじさんがそんなことを考えながら高速道路のフェンスに手を掛け、空を見上げている。
彼を動かす執念の原点、揺るがぬ行動原理が先ほどの質問に密接に関わっていたのだと、私は
あの若いはずのおじさんがくたびれたような雰囲気を持っている理由。
現代の警察では絶対に証明することが出来ない事件を、このおじさんが追っていることを知る。
長年ずっと、繋がらない点と点を探し続けているのだということを覗き見た。
(このまま俺はどれだけ時間を無為に消費するんだろうな……いつまで俺は)
警察の人に車の準備ができたと呼ばれ、くるりとおじさんに背を向けて私は歩き出した。
首を突っ込まなくていい面倒ごとに自ら首を突っ込むような精神性を、私はしていないのだ。
たとえ先ほどのおじさんの発言が的を射ていたとしても、観念して自白するほど、潔くなんてない。
なんたって私は――――真性の屑だからだ。
誰かのために自分の身に危険を呼び込むことはしない。
私は、一般的な平凡な家庭に生まれ、兄妹に挟まれてすくすくと成長し、誇れるのは進学校に通っていることだけの人間。
人に誇れるような特技は無くて。
人に誇れない特技に、ちょっぴり人の心に干渉できる、なんてものがある。
何処にでもいる、少し性格の悪い女子高生だ。
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