「あたしも色々と頭をひねってみたよ」


 白いワンピースの姿で戻ってきた葉月に、美沙子はそのように伝えてみせた。


「とりあえずはっきりさせておきたいのは、やっぱり由梨枝っていう祖母さんの死についてだ。祖母さんを殺したのは本当にクソジジイなのか、それとも吉岡ってお医者なのか――この際、父さんと祖父さんは除外してかまわないよね?」


「うん。ただ、呼び方を名前で統一しない? クソジジイとか祖父さんとか入り乱れると、ややこしいよ。母さんにとってのお祖父さんは、私にとってのひいお祖父ちゃんなんだしさ」


「わかったよ。とにかく、異論はない?」


「ないよ。隆介くんや孝信さんが由梨枝さんを殺すなんて、ありえないもん」


 それは半分がた感情論であるようだったが、美沙子としても異論はなかった。


「それじゃあ容疑者は、クソジジイこと静夫と吉岡の二人ね。ただ、あたしとしては自殺や事故死の線も捨て難いかな」


「自殺や事故死? それじゃあどうして静夫くんは、自分が殺したなんて言い出したの?」


「あくまで、可能性の問題だよ。静夫と吉岡は自分が由梨枝さんってお人を殺したと言い張ってるんだから、どっちかは嘘をついてるってことでしょ? それなら、どっちも嘘をついてるって可能性もあるんじゃないのかね」


 小ぶりの麦わら帽子をかぶった葉月は、「うーん」と可愛らしく首を傾げた。


「吉岡には静夫くんを庇うっていう理由があるけど、静夫くんのほうはどうだろう……でも、可能性としてはありえるんだろうから、私も異論はないよ。静夫くんが由梨枝さんを殺してないなら、それに越したことはないもんね」


「……さっきから気になってたんだけど、あんたは吉岡だけ呼び捨てなんだよね。静夫はあんたを殺した張本人なのに、恨んでないのかい?」


「うん……吉岡を殺したときの静夫くんも、四十年後の静夫くんも、私は怖くてたまらなかったんだけど……その後、こっちで再会した静夫くんは、ちっとも嫌な感じがしなかったんだよね。怖いっていうより、むしろ痛々しい感じで……」


「あたしもそんな風に思ってたけど、その矢先にあいつが吉岡を殺す姿を見せつけられる羽目になったんだよ。上っ面にだまされると、痛い目を見るんじゃないのかね」


 そんな風に娘をたしなめてから、美沙子は慌てて言葉を重ねた。


「もうタイムリミットが目の前だね。あともう一点、あたしが気に食わないのは日記帳のことだよ」


「日記帳? あれがどうかしたの?」


「どうかしたのって、そいつがすべての元凶でしょ? あんなもんが存在しなけりゃ、誰も死なずに済んだはずなんだからさ。それに中身も、デタラメばっかりじゃん」


「うん。だからあんなのは、最後のページだけ誰かが余計なことを書き加えたに決まってるよ。私は吉岡が犯人だと思ってたけど、静夫くんが犯人なら静夫くんが――」


 そこで葉月は、「あれ?」と小首を傾げた。さきほど美沙子が語った言葉との齟齬に、ようやく気づいたのだろう。


「でも、静夫くんは最初から隆介くんに罪をかぶせようとしていたわけじゃないんだよね? 八月九日に、私に遊びの誘いを断られたから、それで鬱屈して隆介くんに罪をかぶせようと思いついたって……母さんは、さっきそんな風に言ってたよね」


「そう。それまでは、何か別の理由があって日記帳を探し出そうとしてたんだよ。吉岡のやつは、静夫が最初から日記帳を手にしていたら処分してただろうなんて言ってたから、何か静夫にとって都合の悪い内容が書き残されてたんだろうね」


「でもその日記帳は、吉岡のやつが隠し持ってた。静夫くんがその前にあんな文章を書き加えるのは、辻褄が合わないよね? それならやっぱり、吉岡のやつが犯人ってことじゃん!」


 葉月はたちまち瞳を輝かせたが、美沙子は「いやいや」と水を差してみせた。


「ちょっとは落ち着いて考えなよ。静夫だって、あの日記帳には隆介クンにとって不利な内容が書き残されてるって知ってたんだよ? 静夫が日記帳を読んだのは吉岡のやつが隠す前のはずなんだから、それじゃあ余計に辻褄が合わないだろうさ」


「ああ、そっか……でも、それじゃあどういうことになるんだろう?」


「あたしも、そいつを確かめたいのさ。だから、あんたが首尾よく日記帳を確保したら、二人でじっくり確認してみようよ」


「え? だけど……あれを家から持ち出したら、孝信さんが吉岡に殺されちゃうんだよ?」


「家から持ち出す必要はないよ。あたしもその場に乗り込んでやるからさ」


 と、美沙子はふてぶてしく笑ってみせた。


「あんたはとりあえず日記帳を確保して、その後は孝信って祖父さまと仲良く過ごしてりゃいいよ。あたしはその間に、父さん――隆介クンに会って、野々宮の家にご招待してもらうからさ」


「ああ、母さんは前回もそうやって、静夫くんに会おうとしたんだもんね。今回は、どうするつもりなの?」


「まったく同じように振る舞って、今度こそ静夫の部屋に乗り込むつもりだよ。この時代のあいつがどんな人間なのか、この目でしっかり見定めてやるさ」


 美沙子の言葉に、葉月は眉を曇らせた。


「母さん。まさか、その場で静夫くんを殺そうとしないだろうね? だったら、協力はできないよ?」


「しないしない。そんな真正面からあいつを殺したりしたら、隆介クンと千夏チャンが結婚できなくなっちゃうでしょ。残念ながら、隆介クンはあんな弟をすごく大事に思ってるんだからさ。そんな大事な弟を殺した人間の娘となんて、結婚しようと思えるもんかい」


「ああ、確かにね。……静夫くんだって、隆介くんや孝信さんと仲良くしたいって言ってたはずなのになぁ」


 葉月は切なげな顔で嘆息をこぼしたが、それを振り切るように凛々しい表情を取り戻した。


「それじゃあ、私はどうしようか? 吉岡が来るまでの三十分か四十分ぐらいは、静夫くんと二人きりで会話できるはずなんだよね」


「うーん。あんたはあんまり余計なことをしないほうがいいんじゃない? 下手に静夫を刺激すると、その後の展開に影響が出ちまうかもしれないからさ」


「そうだね。それじゃあ私はできる範囲で、家庭内のことを探ってみるよ」


 葉月がそのように答えたとき、来客を告げるブザーが鳴らされた。

 時刻は、十時三分である。これまでとまったく変わらぬ刻限であった。


「よし、行ってきな。あたしは、寝室に隠れてるからね。野々宮の家でおちあったら、二人だけの時間を作って日記帳の確認だ。きっかけは、あたしが作ってやるからさ」


「うん、わかった」と、葉月は玄関に向かっていく。

 その毅然とした立ち居振る舞いには、やはり美沙子の母たる蓮田千夏の力強さがみなぎっているように思えてならなかった。


 美沙子は自分の寝室にこもり、窓から外の様子を盗み見る。

 しばらくして、ガラス戸の閉められる音色が響いてから、橋のほうに歩いていく葉月と静夫の姿が見えた。


 美沙子は手早く着替えを済ませて、ダイニングに舞い戻る。

 そして――キッチンの戸棚から、出刃包丁を引き抜いた。


(悪いけど、いざというときには、こいつを使わせてもらうよ。正当防衛で殺したってことにすれば、父さんと母さんの結婚を邪魔することにもならないかもしれないからね)


 やはり美沙子と葉月では、静夫に対する印象が異なっているのだろう。葉月は静夫のおぞましい笑顔を二回しか目にしていないが、美沙子は――改変されていない一番初めの記憶において、物心がついてから六歳になるまで毎日目の当たりにしていたのである。


(あいつは、まともな人間じゃない。頭のどこかが、ぶっ壊れてるんだ。……あんなやつに、葉月をどうこうさせるもんか)


 葉月と再会できたことにより、美沙子の心には喜びの思いが満ちている。

 しかし、心のひだを一枚めくったその下には、静夫に対する憎悪と殺意の炎が変わらぬ勢いで渦を巻いていたのだった。

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