時計塔とおじさん

リヴァシー

幼い頃住んでた街

時が経つに連れて幼い頃の記憶というものは朧気になっていくものではあるのだが、私には一つ、はっきりと覚えていることがあるのだ。思い出ではなく、それは場所である。

引っ越しをする前の家、その家の二階の窓から見える大きな黒い建物。ビルとは違う、角張った異質な存在感を放つ建物。てっぺんの四角いところに大きな時計がある。決まった時間になると鐘が鳴り、それが私達の生活のリズムにもなっていたような気がする。

よく窓からその時計塔を眺めていたものだ。いつかあそこに入って冒険をしたい、あの中に何があるのか見たい、そんな思いを馳せて胸をときめかせていた。


結局それは叶うことはなかった。小学校に上がる前にその家から引っ越して、違う街に移り住んだのだ。それからおよそ十年ほどが経つのが今だ。私はすっかり大きくなった。階段を登るのも一苦労だったあの頃とは違い、学校の授業でよく走らされるし、舌足らずな言葉を話すあの頃と違い、将来使い道の見当たらない言葉や知識を詰め込む日々。

日々の混沌が巡り巡って、希望も夢も何もかも見えない毎日が繰り返されていく。

働きなさいと言われれば職を探すし、進学しなさいと言われれば大学を探す。そこに私の意思はない。何を辿っても道は一つであることを私は知っているから。


そんな暗い道に灯籠を携えてやっと歩くような思いの日々、幼い頃を淡く思い出し、一時現実逃避をしていくのだ。

ここ最近はしょっちゅうそれがある。そしてあの時計塔を思い出す。黒く、角張った、四角の物体が不器用な形で集まって塔を象るあの姿。


結局、私はあの建物の中身を知らない。

そうだ、何かの機会にあの街に足を運んで時計塔に行ってみよう。入場料は掛かるのだろうか、展望台はあるのだろうか、あそこから眺める景色はいいだろうか、あれを背景にして写真を撮れば映えるだろうか……


「ねえ、話聞いてます?宮元さん」


目の前には肘をついてこちらを不機嫌そうに覗き込む先生が座ってた。一年の頃からお世話になってる女性の先生、すごく可愛い。私が男だったら好きになってるかもしれない。


「えっと、はい……聞いてますよ」


「嘘。途中から空返事でしたよ。

もう……真面目に聞いてください!貴方は成績も申し分無くて、進学も就職も好きなところを選べるくらいの優秀な子なのに、やる気というものが全く見えません!」


「ですよね、無いですもん」


肘を付いたままため息をつき、もう片方、持つペンを机にトントンと打ちながら窓の外を見る先生。


「来年で3年だっていうのに、進路をここまで真面目に決めてないのは宮元さんだけです。他の人は幾らか真剣に卒業後のことを見据えている人ばかりなのに……

なぜ貴方ほど素晴らしい人がこんなにも自分の将来に無頓着なんですか?貴方達は若いんだから、何にでもなれます。特にあなただからこそ、その選択肢は広いんです。分かりますか?貴方の可能性というものを」


目の前で熱弁してくるその言葉は私の頭をすり抜け、流れていく。どこかで聞いたようなテンプレを今更刷り込まれたところで私の意に反している以上、それは全く受け入れられない。

可能性は極めて細く、選択肢は一つ。

どれだけ希望を持ってもそうなのだから、意味がない。用意された道を走り抜ける、ただそれだけだ。


「とにかく、親御さんともよく話して。これの提出期限は来週ですよ、いいですね!」


と言い残し、進路調査票を突きつけられて話は終わり、そのまま帰された。


今はあの時計塔のことで頭がいっぱいだ。

調べてみよう。

……そもそもの話、私は幼い頃住んでいた街の名前を覚えていない。まずはそこからか。

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