二〇一六年三月二十日 2016/03/20(日)昼間


「それってさ……付き合ってるの?」




 友人の紗枝が、季節限定のイチゴのパンケーキをつつきながら言った。


 友人の八の字眉を見つめ、和泉澄子はにわかに不安になった。


「……やっぱり、何かおかしい?」


「おかしいってば」


 紗枝は、澄子にスマートホン端末のカレンダー表示を見せた。


「最後に会ったのが二月二十八日だって言ったわよね」


「うん」


「今日が三月二十日で……この半月以上、彼と何も会う約束してないの?」


 質問というより詰問の語調に、澄子は少し肩をすくめた。


「……うん。でもね、タイミングが合わなかっただけだと思うの。お互い働いてるし、同窓会とか結婚式なんかも重なったりして……。わたし、風邪ひいて寝込んだりもしたから」


 三月の初め、何かと立て込んだのは確かだった。仕事も年度末の関係で慌ただしく、澄子は体調を崩した。


 ふいに、その時のことを思い出し、少し胸を温かくした。

 思わず笑みがこぼれてしまう。


「あのね。連絡だけは一回したんだよ。わたしが風邪ひいたって柿坂さんにメールしたら、『インフルエンザ、うつしてしまったんでしょうか』って」


 柿坂がインフルエンザにかかったのは、何週間も前だ。感染するわけがない。


 ――優しい人なんだろうな。


 ところが、友人は目玉をひん剥いて声をあげた。


「そ、そのメールだけなのっ?」


 気のせいか、隣の席のカップルがこちらを見て笑ったような気がする。


 澄子が小さくうなずくと、紗枝は呆れたようにため息を吐いた。


「普通の友達だってもう少し連絡取るわよ。現に、私とスミはこうして会ってるくらいなわけだし。というか、何で今日は彼と会わなかったの?」


「……えっと、今日は」


 澄子は店の外を見つめた。


 朝から降り続く雨。最近、日曜日は雨ばかりだ。


「柿坂さん、雨の日は外で二胡の練習しないから。当たり前だけど」


「……あのさ」


 途中まで笑っていた友人が、いつの間にか真顔になっている。


「話を聞いていて思ったのよ。何の変化もないってどういうこと?むしろ、どうして付き合う前より会う回数が減るわけ?先月は毎週日曜日に会っていたんでしょ?」


「……確かに、言われてみれば」


「納得するところじゃないわよ。普通なら、会いたくて仕方ない時期でしょうよ」


 ――。


「スミは会いたくないの?」


「そ、そんなこと」


「じゃあ、会いたいよって言えばいいじゃない」


「だって、そんなこと言ったら迷惑かもしれないし」


「……え」


「断られたら、ショックだし」


「は」


 紗枝が、なぜか周囲を気にしながら澄子に顔を寄せてきた。


「確認するわよ、スミ」


「何?」


「柿坂さんから、きちんと言われた?」


「きちんと、って?」


「好きだよ、とか。愛しているよ、とか。付き合って下さい、とか」


 次の瞬間、猛烈な息苦しさと吐き気が襲った。


「な、ないよ!やめてよ」


 澄子はグラスの水を一気飲みした。

 紗枝は驚いた顔をしたが、徐々に呆れ果てた様子でため息を吐いた。


「なるほどねえ、やっぱり付き合っているとは言えないわね」


 ――。


 あの時もらったのは、そんな言葉じゃなかった。




 『私と、幸せになりませんか』




 この言葉に、どれだけ救われたことか。


 その時のことを話すと、紗枝が少しだけ頬を染めた。


「やだ。ちょっと、それ思いっきりプロポーズの言葉よ」


「そ、そうなの?やっぱり、そういう捉え方が正しいの?」


「普通なら誰でもそう解釈するわ。でも、その後が続かないってどうなってるのよ。ホントにどういう関係?」


 どういう関係なのだろう――。


 澄子がうつむくと、すぐに友人の顔が曇った。


「でも……柿坂さん、何か違う気がするなあ。何というか、こう……恋愛感情じゃないっぽい」


「恋愛感情じゃ……ない……?」


「人類愛?世界平和?もっとスケールの大きな感じ?みんなで幸せになろう、みたいな」


「……」


「それか、ワンちゃんとか、猫ちゃんとかに向けるような気持ちかしらね。確かに、ニャンコを愛しく想う気持ちはわからなくないわ。スミは猫というより、ハムスターっぽいけど」


 紗枝は何か納得したように力強くうなずいた。


 ――。


 澄子も、その感覚は理解できた。


 最初から柿坂は、澄子を女として見ていない。


 ――わたしのトラウマを、あの人は知っているから。


 澄子は、中学時代に受けた痴漢被害の影響で、今でも男から性の対象に見られると、息苦しくなる。親密になりそうな段階で、いつも関係を絶ってきた。


 柿坂は、それを知った上で澄子と交流してくれている。


 ――確かに、付き合っているとはいえない関係よね。


 澄子は安堵するとともに、どこか複雑な気持ちになった。


 犬や猫と同じ――。


 ストローの袋をいじりながら、紗枝が困ったように笑った。


「ま、あなた方がそれで良いなら、良いんだけどさ。せっかくスミにも春が来たと思ったのに、ちょっと残念かな」


「うん……そうだね」


 澄子もつられるように笑った。


「だいたい、男が怖いスミに、そう簡単に恋が生まれるわけないか。しかも、あの柿坂さんだしね」


「うん」


 途中から紗枝の言葉が耳に入らなくなった。



 本当、何をしているんだろう。


 いや、何をしたらいいんだろう。


 わからないけど、変わらない気持ちが一つだけある。




 ――柿坂さんに会いたいよ。

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