投稿作

 ――これは死んだも同然だろう。とっさにそう思うのも無理はない。なにせオレの目の前には黒色のドラゴンがいるのだから。森のなかで巨体を目前にしては、生きた心地などしないからな。食われるのかと覚悟を決めたとき、鋭い目つきをしたドラゴンは牙を覗かせた口から唸るような声を上げつつも翼をはためかせると――。


「……腹がすいた……」


 そうひとこと、呟きにも似たような声量で可憐な声質で言うな否や、瞬く間に小さくなる――サイズ的に肩乗りよりも手乗りがいいだろうか――と、空中からぽとりと地面に落ちた。見るにやはり手乗りサイズだ。掬うように両手の平を合わせても少し小さいくらいか。黒い色は変わらなかったが、小さくなるだけで恐怖心もいくらか薄まったようだ。その上で、え、ええ……、と拍子抜けしてしまったのは言わなくてもいいだろうか。


 こちとらなんとか踏ん張って、吹き飛ばされることを防いだ転生者かつでもある。名前をナオト。ナオと呼ばれることが多いがナオトが正しい。数日前までは魔法使いの名門と謳われるお貴族様――『ベルネット』の家にご厄介になっていたが、理由わけあって離縁の身となった。街の宿屋に泊まっていたが、いつまでも泊まれるわけもないしと、新しい生活を始めようとした矢先がこれだ。


 一応、ことがことだけに多額のお金は受け取っていたわけだが、極力残す方向でなんとかしたいと思ったのですよ。森のなかならなにも言われないだろうと考えた結果であって。


 しかしだ、このドラゴンはどうしたものか。このまま置いていくのも気が引けるが、まずは住むところを確保しなければならない。たとえこれからはテント生活だろうともね。


「まあ、なるようになるか。――おいで」


 空腹で気絶している(であろう)ドラゴンを拾い上げたのは――、オレの前世が現代日本人だったにほかならない。情けは人のためならず。そのことわざをさんざん聞かされた子ども時代があったからだ。もう耳にたこ状態よ。


 水無月みなづき尚人なおと。そんな名前の男の子だったオレは、共働きの両親のもとに生まれ、ときには両家の祖父母に預けられつつもすくすくと育った。甘やかされたのは言うまでもく、それでもきちんと家事を覚えさせられた過去があるから、離縁してもなんとかなるだろうという考えに至ったのだ。


 ただただ親よりも早くに亡くなってしまったのが唯一の親不孝か。人生、予期せぬこともあると学んだのが懐かしい。


 死因は事故だ。大型トラックの玉突き事故に巻き込まれたというやつである。対向車線――こちら側にはみ出したトラックとごっつんこをしたということらしい。救急搬送されるぐらいにはヤバかった。なにせ雨の日のスリップであり、一番に衝突されたのだから。そんなにスピードを出していなかったのが幸いしてぺしゃんこではなかったようだが、横からなのでお察しだ。


 事故については女神と名乗る球体からの情報なので怪しさ満載だったが、こうして女神と名乗る淡い光をまとった球体の前にいることがなによりの証拠でしかない。混乱するよりも前に妙に落ち着いていられたのは、女神と名乗る球体――正しく女神様と呼ぼうか――のお蔭だろう。女神様の声が安心感をもたらしてくれたのだ。その声が優しげだったから。まあ、女神様だしね、うん。


 ひっそりとひとりで納得をしたオレの躯からは生命力がみるみる失われていると女神様は続けていく。ここがどこだかさっぱりだが、要は三途の川の一歩手前ということだろう。


「つまり、オレは死に向かっている――ということですね?」

「はい、そうです」

「父さんたちはどうなりましたか?」

「あなたのご両親も危ういのですが、あなたとは違い、辛うじて息がありますね」

「そうですか、解りました。では、オレの残りの命を分け与えてください。あとできれば、家族や友人からオレの記憶を消し去ってくださればと思います」


 迷いなくあっさりとそう告げたオレに対し、「……それはどういう考えですか?」となにやら訝しげな声が返ってくる。どういう考えもなにも、答えはひとつしかない。


「悲しませるために生まれてきたわけではないので。難しいようなら、無理にとは言いませんが……」

「いえ、あなたの望みを叶えることは造作もないことですが、あなたはそれでよいと言うのですか?」

「愛はたくさん貰いましたしね。未練がないと言えば嘘になりますが、死人が生き返ることはありませんから」


 本当は高校を卒業したかったとか、オレはまだ童貞のままだったよとかいろいろ心残りはあるのだが、どうすることもできないので諦めるしかない。享年は十七歳ではあるのだが、楽しい人生だったよ。


 またずいぶんと達観しているのですねと女神様が呟けば、「うーん……、達観とは違うと思いますが……、女神様が優しいお声だから、でしょうか」と返した。


「不思議と恐怖はないんですよ」

「なるほど……。どうやら私は【掘り出し物】を見つけたようですね」


 人を掘り出し物とは、また表現が独創的だな。


「水無月尚人さん、いまあなたに決めました」


 決めたとはなにを決めたのか。そう考えれば、女神様は「私の世界にどうぞお越しください」と宣った。あ、三途の川ですよね、解りますよーと頷けば、「契約は成立しました。では、新しい世界を楽しんでくださいね」と続けられていく。


 え? と思う間もなく、世界が暗転した。



    ◆◆◆



 女神様の言う『私の世界』とは、どうやら三途の川ではなかったようだ。そして女神様は本当に女神様だった。正確には、この世界を構築した人のうちのひとりだ。解りやすく言えば、異世界。剣と魔法のファンタジー世界だった。ということは、魔王や勇者かと思えばそういうわけでもなく、では戦火にまみれているのかと思えば、違う。


 いや、はっきり言って先の戦火の爪痕は所々に残っているようだが、協定を結んだあと――いまの時世は至って平和らしい。のんびり暮らしだっていけてしまう。


 ――ということを、女神様が残してくれた手紙――ズボンのポケットに入れられていた――で理解できたが、最後に燃えたのは映画の真似かなにかか。ちなみに、女神様の名前はクロロトルカというようだ。姿は謎のままだが、きっと美人さんだろうな。


 戦火の爪痕のひとつである孤児院の前でぶっ倒れていたらしいオレはそのままお世話になり、子どもたちや先生とともに多くを学んだ。ここは王都より外れた地方ではあるのだが、王都の一部から連なるこの地を治める領主様は、領民と同じ目線に立つことを目指しているようで、寄付もしてくれるからありがたいことこの上なかった。領主様が来たときはみんなで頑張ってお出迎えをしたしね。


 なにが気に入られたのかはさっぱりだったが、オレは領主様の息子のよいしょ役へと抜擢されてしまう。どうやら自信をつけさせたいようで、オレなら大丈夫だと踏んだらしい。どこか大丈夫なのかはいまだに解らないままであるのだが、その領主様がベルネットだったという話だ。


 どの貴族様よりも名を馳せているベルネット家の次男坊たるエヴァルド様には兄姉がいる。十歳上でありつつも二卵性の双子であるお兄さんとお姉さんに劣等感をお持ちのようで、自信がないお年頃だったらしい。おふたりは先に産まれた宿命か、それとも重責があるからなのか、それはそれはきっちりと躾られたようで、完璧すぎていたのだ。


 オレからしてみればエヴァルド様も完璧だと言えるのだが、おふたりがさらに上をいっているので確実に劣等感を抱きたくなる。この環境で擦れなかったのが不思議なくらいだ。まあ、その代わりに塞ぎ込むようになったのだろうということは簡単に推測できてしまうが。


 なにかする度に――だいたい魔法を使うときかね――考えうる限りで「すごいです」「さすがです」「オレにはできまん」と誉めまくっていたらだんだん自信がついてきたようで、うじうじ泣き虫から表情が明るくなってきた。たとえ泣き虫が難点であっても、元々の性格も顔立ちも悪くはなかったし、家柄も申し分ないとくれば、あとはモテるしかないだろう。この世界でもイケメンは陽の目を見る機会が多いわけだ。悔しいが。実に悔しいが。所詮よいしょ役など、使用人と変わらない。そもそも、オレに関しては身分だってあってないようなものだしなあ。


 長期休暇が終わり、学園に戻る準備に取りかかったその際に事件は起こった。屋敷に施された結界をすり抜けた怪しげな呪いが発動したとき――、なぜか動けたのはオレだけで、となれば、助けるほかないだろう。標的であろうエヴァルド様を庇うように、空中に蠢く闇を――黒魔法呪いを一身に受けたオレは、すぐさま隔離された。


 心配するエヴァルド様を学園へと押し込んだあと――かなりの抵抗があったと使用人たちが噂をしていたが、オレには詳細が降りてこなかった――、お貴族様の権限で王国内で一、二を争うとされる魔導師様とお医者様が数人駆り出され、数日は検査検査で潰されていった。結果、残念なことに、やはり呪いにかかっていた。その弊害かなんなのかは知らないが、性別も変わってしまったわけだ。呪い恐るべし。それ以外はなんら問題はないと言われたが、いきなり女の子です! なんていうのは非常に困る。いままで男として生きてきたのだから。ちなみに、派遣されたのが女性であったのは、性別が変わったからだと言われてしまったわけですよ。


 不安が顔に出ていたのか、その日からお嬢様レッスンが詰め込まれ、なんとか女の子の躯になれたころ、オレは冒険に立つことを決意する。この時点で事件から半年ほど経っていたわけだが、【呪い子】は外聞が悪すぎるからだ。縁談にも傷がつく恐れがある。まあ、たとえ傷がついたとしても、エヴァルド様たちは表だってオレを責めることはないが、心のなかまでは解らないからな。つまるところ、縁談に差し障りがないうちに家を出る必要があったので、さっさと離縁させてもらったという話だ。オレの耳に触れさせないようにと動いていることはもう解っていたけれども、いろいろ言われていることも理解していたから。


 最初に離縁したいと相談した先からずっと、「こちらは被害者なのだから、なにも心配はいらないよ」となかなかに渋られたが、面倒をかける気はないと説得した。といっても、最後まで納得はしていなさそうだったが。連絡を受けたエヴァルド様は渋面も渋面だったからな。画面の向こうであっても恐ろしいと感じるくらいに。このときほど、静かになるイケメンほど恐ろしいものはないなと思いましたよ。


 オレが女の子の躯と格闘している間、痕跡から呪いをかけた人物を難なく捕らえて尋問にかけたようだが、嫉妬に狂った人間の話をほいほい聞くわけもない。要は彼女――ご令嬢様は幽閉されているし、連なる一族も行動を制限されているようだ。どうやらこの世界では、一族郎党が残っているらしい。


 そんな回想をしつつも、どうにか安全であろう場所を探しだして「ふう」と一息吐く。森林といっても、少し開けた場所があったのはよかったな。魔法式カバン――正式にはマジックバッグという解りやすい商品名である――からテントを取り出してささっと組み立てた。魔法式だから魔法を発動さえすれば、人の手を借りずともあっという間にテントが完成する。こういうことに関しては非常に便利だ。魔法というものは。


 肝心要の魔法式テントの中身はといえば、テントではなく床と壁というシンプルな部屋となっている。このテントは四畳ほどの広さではあるが、値段により広さが違うというのが売りだ。そこにそっとドラゴンを寝かせている。タオルを被せて。いや、ほら、躯を冷やしてもどうしていいかのか解らないしね!


 外ではコの字に盛って固くした土の上にミニ鉄板を置き、準備万端だと火を起こして調理に勤しんでいた。もちろん、しっかりと手を洗い、買ってきた肉と野菜を一口サイズに切っては金串に刺していく。といっても、全部魔法頼りなので楽でいい。熱々の鉄板に並べたらば、バーベキューの開始だ。おひとり様バーベキューの。


 肉の焼けるいい匂いが辺りに漂うと危険しかないわけであるが、そこは考えてあらかじめ構築済みである。結界という防御をな。オレ製なので威力は低いが、野性動物――のなかでも小動物や小さな魔獣ぐらいなら防げるから問題はない。大きいのが来たらそのときはそのときだ。いまはバーベキューを堪能するに限る。


 どれどれとひとつを取って焼き色を確認していると、「肉の匂いがする~!」と喜色な声音が聞こえてきた。なんだと視線を遣ると、なにかが突進してくる。いや、なにかという曖昧なものではなく、はっきりと黒い物体が横腹辺りに激突してきた。


「ぐぅっ!?」

「野菜などいらぬから、肉ぅっ、肉を寄越せええええ!」

「目の血走りがやべええええ!」


 激突されたにもかかわらず、衝撃はあまりなかったからか、喋ることは可能であった。だからか、金串が落下することもなかったし、目前にいるドラゴンの観察も余裕でできる。ギラギラに輝く金色の瞳は明らかに血走り、ふぅーふぅー吐き出される荒い息は興奮状態だと言いたいようだ。どうやら恐怖が消え去ったいま、ようやく目の色が判明したらしい。黒猫も金色の目をしたやつがいるが、同じようなものだろうか。って、あ、こら、まだ片側しか焼いていないものを食うのはダメだろ! 生肉はダメだって! しかも豚肉だからね、これ。危険しかないから! いくら地球産の豚ではなくとも、豚は豚に違いない。


 こらこらと引き剥がすときでさえも、もぐもぐ口が動いているのだから呆れてしまう。小さいままだからか恐怖感はないに等しいが、それにしてもこれは紛れもなく危険行為でしかないわけである。


「焼いてからきちんとわけてあげるので、生肉を食べるのはやめてください、お願いします。腹を下しても薬が効くかどうか解らないでしょうが!」

「た、たしかに生肉よりも焼いた肉の方が香ばしくてうまいのだが、焼く時間も惜しいほどの空腹なのだ! 解れ、おなご! 空腹は敵なのだぞ!」

「いやいや、大声を上げるとよけいにお腹がすきますからね! お菓子をあげるので、おとなしくしていてください」


 ほらと、マジックバッグからいくつかのお菓子――飴にクッキーのほか、マドレーヌやカステラのような焼き菓子――をわけてやると、ドラゴンはふわぁふわぁ言いながらも、顔を輝かせながら口へと運ぶ。


「うまい! うまいぞ、おなご!」

「オレがうまいみたいな言い方になっていますが、お口に合うならよかったです」


 取り返して並べた金串を含む全ての金串をひっくり返しながら言うと、ドラゴンは「もっと寄越せ」と牙を向く。小さいながらも物理的には恐ろしすぎであり、「あ、はい」と従うのもやむを得ない。今度も日持ちをする焼き菓子中心だ。


 うまぁうまぁと舌鼓を打つ間にいい焼き色になった串を用意していた皿に移し、一本は試食に回す。かじられてないやつね。薄切り一口肉、スライス玉ねぎ、薄切り一口肉、乱切りにんじん、薄切り一口肉の順になったものを、それっぽく作ったタレにつけて食べてみる。ちなみに、焼いた物を乗せる皿もタレを入れた小皿も市場しじょうで調達してきたものだ。


「――ん、うまっ」

「もういいのかっ? 食うぞ! 私は食うぞ腹一杯まで!」

「はいはい、火は通っているので大丈夫ですよ。いまからまた何本か焼きますからね。それが終われば、焼きそばも作ります」

「やきほはぁ?」


 勢いよく串に食らいついたあと、なんだそれはと目が物語っていたのだが、「あー、説明するよりも作ったほうが早いですよ」と口が動いてしまう。説明できるとは思うが、言ったとおり、作ったほうが格段に早いだろう。


 いつの間にやら期待に満ちた目になっていたドラゴンは、「うむ、頼んだぞ、おなご」と言ってから、ふたたび焼き肉へと食らいつく。幸せそうな顔をして。



    ◆◆◆



 オレも菓子をつまみながらだが、追加で六本串を焼いたあと、焼きそば作りへと取りかかった。追加分ももちろん全部ドラゴンへと献上しましたがなにか? 情けは人のためならずを順守するよりかは、長いものには巻かれろではあるが、命は大事だ。そう、命大事。


 うどんやそば、ラーメン、パスタといった麺類がきちんと存在している世界なので焼きそば作りも可能だったが――呼び名も似通っていたり、違ったものもあったけれど――、これはまさかというのか、オレのほかにも生まれ変わった者がいそうな雰囲気ではあるよな。会ったことがないのでいまいちよく解らないが。ちなみに、菓子をつまんでいたお蔭で空腹感はなんとかなっているので、こうして作ることができています。


 服のなかへと忍び込んだドラゴンはふんふんと鼻唄を刻みながら、様子を眺めている。服のなかといっても、外套――カーディガンっぽいものとブラウスの間なので、まあいいかと思った。胸に足を乗せている格好のようだが、小さいからかさしたる重さは感じられない。もちろん、「そこで見るつもりで?」と聞いてみたのだが、「近くで見るのだ」と返ってくる。


「危険なので乗り出さないでくださいね」

「ああ、気をつける」


 熱したままの鉄板に袋麺をふたつ開けてささっと作り上げれば、ドラゴンは「ふぉおおおお! いい匂いがするぞ!」と興奮していた。焼きそばソースは買っていないので、目論みどおり自作したタレで味をつけたが、味見した分には問題がない。野菜にも絶妙にタレが絡んでいい感じだ。ドラゴンにも食べさせてみれば、「うまい!」と言ってくれたし、まあ、大丈夫か。


「問題はないようなので、皿に移して食べましょう」


 ふたつの皿に選り分けてから完食するのにはそう時間がかからなかった。肉の焦げたところがカリカリでマジうまい。


「おなご、私は決めたぞ!」

「なにを決めたんですか?」


 オレが食べる分として、最後に三本追加で串を焼いたあと、火を消して熱を冷ます作業へと入った。菓子類と串焼き十二本、焼きそば一皿をぺろりと平らげたドラゴンは満足そうに頷いてオレへと向き直る。空の皿の上で。焼きそばを食べるために服から脱出していたからか、動作で服が破れることもない。


 肉を頬張りながら問うと、キラキラ輝いた目をこちらに向けていたドラゴンは「私はお前さんと契約をするのだ!」と高らかに宣言した。


「ちょっと言っている意味が解りませんが……」


 いくら性別が変わったといっても、魔力も低いままであるオレなんかが契約できるはずもなかろう。しかも、契約が難しいとされているドラゴンとなんていうのは。ただの人には荷が重すぎるしかない話だぞ。そもそも、いままでだって契約獣なしで生きていけたわけだし、これからだってあまり意味もないことだろう。オレはただの平民なのだから。殺し殺されが心配な部分もあったりする御上の世界に身を置いているわけでもないしな。


「オレは契約獣の加護が必要とされる王族や貴族の生まれではなく、平々凡々な平民なので、契約はできないと思いますよ。魔力も低いですし」

「いや、それはないな。私はうまいもの以外はどうでもいい性分であるから、王族や貴族のなんたらは解らないが、お前さんの魔力は私と同じぐらいか少し上回るようだぞ? この私が主と認めたのだ! 誇るがよい!」

「は……?」


 小さな羽をパタパタ動かしてなにを言っているのやら。理解に苦しみ、危うく金串が滑り落ちそうになったのだが、なんとか堪える。「オレが魔力が高いなんてあり得ないですって……」というひとりごとには元気があり余るような声が返された。「現に魔力が高いぞ!」と。


「私見でしかないが、元々高かったようだな。お前さんの魔力操作は悪くはないのだが、魔法を使う機会が極端に少なかった上、無意識に制御がなされていたので威力がないといったところか」

「な、なるほど。そういうこと、ですか」


 ドラゴンの言葉をなんとか――本当の本当になんとか飲み込んだあと、残る金串の片づけに入る。肉も野菜もタレもいい味をしているなあと感心しつつの現実逃避だ。そうであっても、さきほどの言葉を深く胸に刻んでいくのだが。――ということはなにか? やりたい放題できるわけか? いやまあ、本気でやりたい放題するわけではないが、ある程度の安全は確保できるはずだ。テント生活を決めてはいたけれども、大丈夫なんだろうかとは思っていたんだよね。


「魔力が高いということは、楽に家も建てられる、ということだよな……?」

「家か。それはよい案だな! お前さんのためならば、私も協力は惜しまぬからなっ! ――あ、そういえば、町の近くに家が建ててあったな」

「え、それ本当ですか?」

「本当だとも。行ってみるか?」

「確認してみましょう」

「よしきた!」


 羽を動かしていたままのドラゴンは高揚にそう言うと、ふたたび服のなかへと入ってくる。「ここは安心するな」と。


「暴れないというのならならいいですよ」

「うむ、気をつけよう。住むところを決めたあとには契約だ。よろしく頼むぞ」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 そう返事をすると、「ああ、毎日おなごのうまい飯が食えるとは、私はなんと幸福しあわせ者かーーーー!」と叫ばれてしまった。ああ……、あー、なるほどなるほど。お目当ては食事であり、手段と目的が逆になっていたのか。なりゆき上決まってしまったらしい契約だが、悪いようにはならないだろうと、直感のようなものが働く。だからか、素直に頷くことができた。


 バーベキューの片づけをしたあと、さて、と辺りを見渡し、目印になりそうなものを探す。が、組み立てたテントと木しかない。なにかあるかと考えた結果、三本の木に光魔法を打ち込んでやる。みっつの魔法陣から放たれた光は三角錐という名の光の柱となる。迷わずこの場所に帰って来られるような目印にはもってこいだ。エヴァルド様たちがしていたのを見よう見まねでしてみたが、初めてにしては上出来だろうか。テントも結界もそのままにしておいた方が解りやすくていいかもしれない。


「目印は作りましたし、行きますか!」


 ドラゴンにそう言うやいなや、「出発だ!」と高い声が上がった。



    ◆◆◆



 目的地までは体感で十五分たらずといったところか。町外れの森の入り口から少し入った奥まった場所にそれはあった。家というよりは掘っ立て小屋が。なにかもうかなりの年月が経っていることが解る見た目だった。


 誰が建てたかは解らないが、人の気配はない。小屋に足を踏み入れてみても、やはり埃っぽい臭いしかしなかった。水魔法で埃や汚れを消し去ってから改めて小屋のなかを見渡してみると、本棚と机とイス、ベッドが置かれている。トイレや風呂に繋がりそうなドアがないので、あるのは家具だけなんだろう。簡素といった感じかね。本棚は空だし、机の引き出しにもなにもない。ベッドは硬めで、ベッドの下も空である。


「うーん……、人がいたであろう形跡はありますが、やっぱり住んでいるわけではないようですね」

「いつ建てられたのかは私にも解らぬぞ」

「建て直しても怒られませんかね?」

「ここは王国の法も届かぬ森であるから、いらぬ心配はするな。そもそも、朽ち果てるしかない家だぞ?」

「たしかに、長い間自然にさらされているだけでしたので、腐敗が進んでいる感じがしますね。床が抜けなかったのは奇跡でしかないでしょうし……。まあ、怒られたら怒られたで、そのときに考えますか。まずは森のぬしに挨拶をしないといけませんが」


 森の主がいるかどうかは解らないが、あとあとのことを考えれば、一応義理はとおしておいた方がいいだろう。


「主と言うなら私だろうな。この森は木の実がうまいので、軽く百年は住んでいたぞ」

「古参でしたかー」


 主はマジでいたようだ。しかも目の前に。「では、この家を物置小屋へと改修するので、よろしくお願いします」と軽く頭を下げ、改修に取りかかる。家具は再利用して、この小屋は物置にした方が無難だ。


 というわけで、家具類は魔法を使ってささっとマジックバッグへと押し込み、小屋内をきれいさっぱりにする。掃除をしたあと、みたいな図だ。そうして除菌消臭――水と光魔法の併用である――に精を出し、潰れないようにと魔法でしっかりと補強をしてから外に出た。うん、目視では問題なさげだな。


 よし、うまくいったと握り拳を作り、そのまま次も頑張ろうと気合いを入れる。なんと言っても、建築家でも大工さんでもないので、土台と骨組みが解る以外はさっぱりなのだ。なにをどれだけ使えばいいのかさえも解らない。それだけに不安しかないので、気合いを入れなければやっていけないというやつだ。それでも魔法がある分、なんとかなるだろうとも思ってしまうが。ほらさ、魔法は偉大なりってね!


 ふーと息を吐きながら、家、家、家、住みやすいいい感じの家と、想像を働かせていく。大丈夫、オレはできる子だとも。とたん、バキバキメキメキといった不安感を底上げするしかない破壊音が聞こえてくるが、それもやがて止んだ。


 驚きに閉じてしまっていた目を恐る恐る開けると、半径数メートル先までの樹々が姿を消したのか、視界が変わっているようだった。ちらりと視線を移すと、山荘とも言うべき一軒家が現れる。ちょうど物置小屋と対になる形で。オレからしてみれば、右手側になるのかね。ああ、町に近い方とも言えるのか。ちなみに、山荘は三角屋根ではなく、雪国に多く見られる傾斜がついた屋根である。


「お、おおぅ……山荘があるな……」

「今日からここが私たちの家になるのだな! 私は先に探検に行ってくるぞ!」


 思わず漏れた呟きにドラゴンは元気な声を返しつつも勢いよくすぽーんっと服から抜け出し、そのまま山荘に突撃していく。ひとり残されたオレはといえば、目の当たりにした魔法の凄まじさに呆然としていた。住むところが確保できたのだから感謝するべきところなんだけども、もはや立ち尽くすほかないだろう。常々便利だとは思ってはいたが、ここまでの利便性があるだなんて誰が思うのか。マジで家が建ってしまったよ……! なんと恐ろしいことか!


 深呼吸を繰り返してなんとか心臓が落ち着いたころ、「なにをしておるのだ、早く来んか!」という大声が頭上から降ってくる。ついでに軽い頭突きを食らわされてしまったが、痛くも痒くもなかったです。小さいからね。「あ、すみません。なんかこう、魔法の凄さに圧倒されましてですね……」という言いわけを並べると、ドラゴンは「まあ、ここまで楽に家が建つことはないからな」と返してくる。「魔法に頼っても、結局はどこかに人の手がいるものだ」と。


「お前さんと私が優秀なので、こうして楽にできたのだ。家のなかも立派だぞ」


 ふふんと胸を張ったドラゴンはといえば、「早く早く」と後ろ足で袖を引っ張り始めた。元気がよろしいようでと笑みをこぼすぐらいには、ドラゴンに慣れてしまったらしい。山荘に近づくにつれ、その作りがたしかなものだと解る。いまは正面だけしか見えないが、ささくれひとつない丸太が小屋を描き、同じくきれいなウッドデッキと柵に囲われている。おそらくデッキの床そのものも上等のものなんだろう。


 五段ほどある正面階段を上り、玄関からなかへと入るとたたきが存在していた。どうやら靴を脱ぐ仕様となっているようだ。これはオレの考えが継がれたんだろうか。シューズボックスだってちゃんとあるし、スリッパも並べられている。パンダのモコモコスリッパが。メルヘンぎみなのはどういう理由かは定かではないが、至れり尽くせりなのは楽でいいな。


「履き替えるのだなー」

「そうみたいですね」


 興味深そうなドラゴンの視線をものともせずに、履いていたパンプス(エヴァルド様からプレゼントされたものである)を脱いで、スリッパを履く。モコモコしているからか、黒タイツ越しであっても足触りは柔らかめで心地よい。防寒具としてのタイツであって、おしゃれのためではないと言い添えておく。オレがおしゃれをしても、見せる人がいないのでね。


 頭に乗ってきたドラゴンとともに伸びた廊下を進み、左手側にあるドアのひとつを開けてみる。なるほど。どうやらここはトイレのようだ。


「もうひとつは風呂場でしょうか?」

「知らん。私は大部屋しか見とらんからな」

「ということは、リビングだけ見て戻ってきたんですか?」

「ふたりの家なのだから、ふたりで見ないと面白くないだろう?」


 面白いかどうかは解りませんがと返しながら移動して奥のドアを開けると、思ったとおりに洗面所兼脱衣場が現れた。洗面所の右隣には洗濯機も鎮座ましましているし、きちんと浴室もあるようだ。浴槽は足を伸ばして入ってもまだ余裕がある広さか。


 どうやらこの家もトイレと風呂は別な構造らしく安堵する。ユニットバスだと恥ずかしさが先にくるんだよなあ。孤児院もベルネット家も別だったし、トイレや浴室、浴槽の形も現代となんら変わらなかったから使い方がすぐに解ったのはよかったことだな。……まあ、転生者に直されたあとかもしれないけども。


「最後はリビングですね」


 翻ってひとつあるドアを開けると、広いリビングが顔を出した。と同時に、木の匂いが鼻をくすぐる。おそらくこれが新築の匂いなんだろう。


「ここは私の場所だぁ!」


 視界を埋めるL字型のソファーのひとつにびゅーんと飛んだドラゴンは跳ねながら座り心地を確かめていた。座り心地というのか、跳ね心地だろうか。


「おなごおなご! これはよいぞ! ふかふかというやつだ!」

「よかったですね」


 もう見るからに座り心地がよさそうだもんな。キャッキャとはしゃぐドラゴンを尻目に、ソファー奥に当たるドアへと向かう。ふたつあることからして、この山荘の間取りは2LDKなんだろう。


 ひとつひとつ確認したあと、ソファーに寝転がるドラゴンに問いかける。もちろん、どちらの部屋がいいのかという質問だ。個室に当たる部屋の広さと収納の数、そして窓の位置はどちらも同じであったからか、どちらがどちらになってもケンカになることはないと思う。思うがやはり、好みはあるだろうというわけだ。だが、返ってきた言葉は「私はおなごと一緒に寝るぞ」である。


「一緒に寝るんですか?」

「そうだぞ。一緒に寝るのだ!」

「それでいいならいいですが……」

「なにか含みがあるような言い方だな?」

「オレは元々男ですので」

「ん、ああ、【呪い】だろうことは解っておるぞ。【呪い】に必要な材料のひとつに、ドラゴンの鱗があるようだからな」


 羽を動かして背凭れに降りたドラゴンは、「何度追いかけられたか」とげんなりとしていた。「欲深い者ほど手段を選ばんのだ」とも吐き出している。が、「まあ、鱗はきちんとくれてやったがな」とふんと鼻を鳴らす。


「どんな【呪い】を受けたのかは解らぬが、私にはお前さんが男だろうが女だろうがどちらでもよいことよ。その手で生み出されるうまいものは経験に依存しておるのであって、姿形に依存はしておらんだろうしな」

「あなたで二人目ですよ、そう言ってくれるのは」

「もうひとりいたのか?」

「はい。姿形は気にしないと言ってくれました。家を離れることについては、いまだに納得していないと思いますが」


 機嫌が悪そうなエヴァルド様を思い出して苦笑すると、「それだけ好かれておるのだよ」と返ってくる。「お前さんは優しいからな、好かれるのも解るぞ」と続けられる言葉は腕に頭を擦りつけながらだ。


「ありがとうございます。あなたも優しいですよ」


 よしよしと頭を撫でてやると、「はふぅ」と息を吐いて恍惚とした表情になった。「触れ合いとはよいものだな。初めての主をお前さんにしてよかったよ」と何度も大きく頷いている。ちょっと照れるぞ。


「まだ契約前ですよ?」

「いまからするのだ!」


 と言われても、どうしてよいのか解らず、ドラゴンを見据えていれば、「手を」と言われ、促されたとおりに右手を差し出す。手のひらにドラゴンの顎が乗ると、「契約実行」と紡がれた。手のひらに魔力が集まるような感覚を覚えたとたん、淡い光がドラゴンに吸い込まれていく。なにが起きたのかと二度ほど目を瞬くと、ドラゴンは「お前さんの魔力は温かいなあ」と笑った。


「私はリリスという」

「リリス……? え、リリスって、邪竜リリスですか?」

「そうだ」


 この国だけでなく、大小様々な大陸にもその名を馳せる邪竜本人とは知らなかった。邪竜という名は、暴れ回った結果ひとつの国を滅ぼしたことに由来するようだが、どれだけ暴れたんだろうか。


「面白い顔をしているところで言っておくが、私は破壊に関してはそれほどの興味が持てんぞ。まずい飯を出されて暴れるのは正当な理由なのだよ!」

「ああ……はい、解りました」


 面白い顔というのはおそらく、苦い顔のことだろう。食文化の違いもあり得そうだとは思ったが、いまさら言っても意味がない。なら黙って聞き流そう。


 ぷりぷり怒るドラゴン――リリスの背中を撫でているといくぶんか落ち着いてきたのか、すりすりと頭を擦りつけてきた。かわいい姿からは暴れ回るなんて想像しづらいが、現にこの姿は変化へんげしたあとだからなあ……。


「お前さんの名は?」

「ナオトと言います」

「ナオか!」

「ナオトです」

「ナオはナオだろう?」

「好きに呼んでください」


 一応訂正はしたが、訂正しても直す気がないようなので、さっさと身を引く。オレとしてはどちらでもいいしな。


「では、改めて、よろしくお願いします」


 軽く頭を下げると、リリスは「こちらこそだ」とまた笑った。


 ――こうしてオレとリリスとの生活が幕を開けたわけだが、恐るべきことが発覚したのは言うまでもない。邪竜ちゃんはそれはそれはよく食べてよく寝た。いったい全体どこに吸い込まれていくのかと不思議なくらいによく食べる。いや、ね、そんな空気はあったけれどもね、さすがにここまでとは思ってないですから!


 リリスの提案で地下倉庫も作ったし、倉庫に続くドアは洗面所の奥、廊下の突き当たりに設置した。地下倉庫には持ってきたものと買いつけた食材がたっぷりと貯蔵されている。オレかリリスの魔力を送り込まなければドアが開かない仕組みであり、隣には荷物を運ぶエレベーターもきっちりと作ってしまった。ふたり乗りできるかという小さなものだが、楽をするに越したことはないという考えであるので、大きさは十分だろう。


 広めのキッチンに包丁やフライパン、鍋といった調理器具、大きな冷蔵庫はあらかじめ備えられたものであって、用意したわけではない。冷蔵庫と換気扇は魔力で動かしているので電力はかからない。ちなみに、テントはその日に回収し、三角錐を作った光魔法も解除している。山荘――いや、家に帰ってから、どういう呪いをかけられたのかと説明をしたあとは大笑いされたが、それもそのはずだ。オレにかけられたのは【モテなくなる呪い】なのだから。――すなわち、ご令嬢様はエヴァルド様をひとり占めするために【呪い】に手を出したというわけだ。モテて悔しいと思っていたが、モテるのも大変なようだ。「【呪い】など関係なく、同性にも異性にもモテる者もおるがな」というリリスの言葉には大いに同意したのだが、それはオレにではなくご令嬢様に言ってやってくれ。


 話は変わって、どうしても水の心配がつきまとっていたが、リリスの魔法で森に湧く泉から水をいただくことで難なくクリアしていた。水は一度貯水槽に溜まり、浄化・濾過の魔法を経て使用している。使用済みの水はといえば、貯水槽の隣に建てた排水槽に溜め、こちらもきちんと浄化・濾過をしてから山荘の脇に拵えた畑に撒いている。トイレにも再利用している部分もあるな。トイレも風呂も少しの魔力で起動するし、森での生活も慣れればいけるものだ。問題があるとすれば、リリスの食事量だけだろう。


「ナオ、おかわり!」

「これで六杯目ですよ」

「ナオの料理がうまいのが悪い」


 いつも聞いている言葉を「はいはい」と受け流しつつも、野菜スープのおかわりを運ぶ。


「まだお金も食材の心配も必要ありませんが、一度ギルドに行こうと思ってます」

「行ってなにをするのだ?」

「情報を集めておくのもいいかなと思いまして。あと単純に、依頼を受けようとも思ってます。買いつけに行ったときに、薬草集めがよく掲示されているという話を聞いたので、それならこの森でもできそうですしね」


 畑仕事で躯を動かしてはいるが、情報を集めるとなると外に出なければなるまい。幸いにも孤児院経由でギルド証は作ってあるし、実際に何度か依頼を受けたこともあるので、どうすればいいのかと悩むこともないだろう。依頼内容はみんなで薬草や木の実を集めるといったものだったが、ここにきてよい経験値となっていたわけだ。ありがとう、先生。


 家の周りには結界が張ってあり、ほかの人には見つけられない仕様なので長い間外に出ていてもさほど問題はないだろう。買いつけに関してはメモを書いてからひとりでささっと行って、地下倉庫に荷物を転送したあとにささっと帰ってくるだけだったので、比較にはならないけれども。たとえ見つけられたとしても、防犯のためにリリスがいろいろ仕込んだようなので、やっぱり心配はいらないのか。


「私も行こう」

「その場合は人化をお願いしますね」

「うむ、了解した」


 人化したリリスはきりっとしたお嬢様といってもいい。背中まで流れる美しい黒髪に金色の瞳を持つ凛とした美少女か美女だ。初めて人化を目の当たりにしたのは一緒に風呂に入っているときである。いつも自分の躯を洗い流すと同時に小さな竜の姿のリリスも洗い流していたが、人化をしたのはうまいものを作ってくれるお礼に背中を流したいとかそんな理由だったな。驚いたがしかし、女の子の躯に反応するわけもない。ああ、オレの躯と全然違って美しいなあと思う以上の反応は。なぜかといえば、もう女の子の躯に慣れていたからな。それからは何度も洗いっこしていたりする。


 リリスはポニーテールが気に入ったらしく、だいたいの髪型はそれだった。日によって高さは異なるが。簡単にできるところがよいと言っていたな。オレにしてほしいときもあるようで、「頼む」と、作ったシュシュもどきを手のひらに置かれるときもある。うまくできているのかは解らないが、リリスが満足そうなので問題はないんだろう。


 六皿目の野菜スープをあっという間に完食したリリスはといえば、「よし、人化して手伝うぞ」と気合いを入れた。両手のひらに乗るサイズたる邪竜ちゃんは淡い光をまとうとすぐさま人の形となり、光が収まると妙齢の女性が現れる。


 お気に入りらしいダルダルのシャツの上からカーディガンを羽織り、ホットパンツをまとう姿は健康的ではあるのだが、ダルダルシャツが魅力を半減している気もする。ダルダルといっても肩口がびろーんと伸びているわけではなく、裾がびろーんと垂れているだけなのだが。ファッションと言われればそうなんだろうけれども、裾がどこかに引っかかりそうで不安になってしまうのだ。だがしかし、美人は美人だからか、やっぱり魅力が漂いまくっている。白黒が反転した色違いのパンダスリッパだって細い足を彩っており、オレとは大違いだ。


「相変わらず美人ですね」

「ナオもかわいいぞ!」


 ぴょんと飛びついて頬を擦り寄せられるオレとリリスの身長差は頭ひとつ分ぐらいだろうか。人化したリリスとオレとの間に埋まらない身長差があったことには驚いたが、追い越せないのだから無理は禁物だ。それに、リリスにかわいがられることは嫌ではないので、まあいいかなと納得している節もあったりする。


「片づけたらギルドだなっ!」

「はい」


 ふんと気合いを入れ直したらしいリリスに軽く頷くと、ふたり仲よく片づけに入った。



    ◆◆◆



 計画どおりギルドに赴き、施設内の掲示板との睨み合いを繰り広げる。リリスの格好は一般的な町娘といった様相に着替えたが、オレはその上にローブを着ているので怪しさが滲んでいなくもない。さすがにフードまでは被っていないが。オレだけローブ姿なのはリリス曰く、「ナオを守るため」らしい。要は、邪な視線がオレに向けられるのは我慢ならないようだ。リリス自身はいいのかと思ったが、「私は慣れているからな」と返されればなにも言えなくなるわけで。


 貼り出されている依頼は薬草集めが多数だ。もうひとつ大きな依頼があったりするが、Aランク以上での請け負いなのでEランクのオレには無理な話である。ランクは最低であるEからはじまり、D、C、B、A、AAダブルエーAAAトリプルエーまでという七段階の別け方であるらしいが、噂ではAAAの上をいく判定不能モア・ブラックがあるという話だ。判定不能となった者のギルド証はその名のとおりに黒いので、一目で解るという。どこのブラックカードだよと思ったのは当然だろう。いくら実力主義だと言われているランク別けであっても、Aランクからは魔力量も関わってくるそうなので、ランクの上の方はそういう世界の人たちの特権だ。平民ではBランクまでが限界といえる。


 肝心の依頼内容はといえば、迷宮ダンジョンの異変調査である。迷宮に挑んだ冒険者が何人か帰らないというわけで、Aランク以上に設定されているようだ。それはもう強い魔獣に倒されて――、いや、なんでもありませんよ。


「迷宮案件が気になりますが、ランク的には請け負えませんね」

「んん……、ナオ、被っておけ」


 顎に手を添えながらううんと唸ると、なにかを察したらしいリリスに背後から抱きしめられる。と同時に、ぽふりとフードを被せられてしまった。なんなんだと振り返れば、ギルド内にざわつきが生まれる。どうやら集団が来たようだ。制服に身を包んだ男女が。


 その集団が受け付けへと足を運ぶ間にも、ギルドにいた人々の視線は釘付けとなっていた。オレを含めて。――『王立魔法学園』は憧れの的なのだから。


 男のうちのひとりはなにかを探しているのか、しきりに頭を動かしているようだ。首から上が解らないのが残念だが、探し物が見つかるといいな。


「ナオ、いいことを思いついたぞ」

「声色からして『いいこと』とは思えませんがね」


 囁いたリリスに小声で返すと、またもやどよめきが支配する。なにやら大型魔獣を生け捕りにしたようだ。いったいどんな集団なんだとフードを片手で押し上げて見てみると、頭を動かす男と目があった。それもばっちりと。


「えっ」


 見間違いかとそのまま眺めていると、微笑みが返される。やばいと慌ててフードから手を離し、躯を捩ってリリスにしがみついた。オレだということが完全にバレている。


「どうした?」

「出ましょう。いますぐに」

「私は構わぬが」


 リリスに遮られるようにしてギルドを出ると、ふーと息を吐き出す。手に汗が滲んでいるし、心臓だってバクバクだ。おそらくなにかの実習中なんだろうが、ここで出会うとは思わなかったな。


「はー、まさかエヴァルド様がいるとは……」

「ナオが庇ったのはあの色男か」

「たしかにかっこいいんですが、会いたくないんですよ」

「なにを言われるか解らぬか?」

「はい、そのとおりです」


 頷くと、「あの様子からして怒鳴りはせんだろうが」と言うが、それは解らないだろう。


「解りませんよ。納得していない者を説得するのは難しいですし……」

「ああまあ、それはそうだな……」


 一度苦笑したリリスは、「では、気分転換に迷宮へ行くぞ!」と、違う意味で口角を上げる。愉しげという言葉がよく似合うように。


「――はい?」

「言っておくが、いますぐに、というわけではないぞ。準備が必要だからな」


 放たれたリリスの考えに唖然とするがしかし、『迷宮散策』という憧れの前には敵わない。いざとなればエヴァルド様に押しつければいいだろう。なにを言われるにしても、それだけのことをしている事実があるのだから。


 家に帰るまでにそう結論を出したオレは、リリスの案に乗ることにした。


 待ってろよ、迷宮!



    ◆◆◆



 三日ほど準備に当て、クローゼットの全身鏡を前にしてに袖を通したあと、「ナオはかわいらしい」とリリスが満足そうに言う。


「そうですかね……?」


 オレは可もなく不可もなくという言い様しかないと思うが。リリスの方がかわいいし、お姉様という言葉がぴったりである。しかしリリスはオレの方を誉めてはご満悦であった。


 最後にシュシュもどきで髪をひとつにまとめ、準備万端だ。持ち物は荷物を詰め込んだマジックバッグひとつでいいのだから軽い軽い。制服はどこから用意したのかといえば――リリスの魔法で作り上げている。オレは生地を用意すればいいだけなのだ。シュシュもどきもそうしてできていたりしている。


「さて行くか」

「はい」


 リリスのあとに続いて家を出ると、玄関先のウッドデッキに魔法陣が描かれた。魔法学園までは転移魔法での移動になる。


 発動された魔法に飲まれるのは瞬間であり、目の前には学舎が現れた。大きな学舎は在籍生徒が多数だと知らしめているようだ。感知されないのかという疑問はあるが、そこは大丈夫だという安心があった。学園には迷宮への出入り口が存在しているらしいこと、転移魔法で移動すると聞かされたときに「感知されませんかね?」と聞いてみたのだ。返ってきたのは「私の魔法が学園の者に感知されるわけもない。私の魔法だぞ」という、自信に満ちた言葉である。曰く、ドラゴンの魔法は人間が使う魔法とは少しばかり異なるらしい。


「ナオ、こっちだ」

「あ、はい」


 腕を引かれてやって来たのは、地下迷宮の出入り口である。頑丈な砦に囲われ、きちんと門番も置かれているようだ。学園内にデデンとあるのが最大の謎だが、その謎を解くよりも、散策という優先してやるべきことがある。


「門番をどう突破するかですね」

「ぶったおすに決まっているだろう?」

「問題にしかなりませんよねそれ!?」

「冗談だ。――っと、ナオ、隠れろ」

「っえ、リリスっ!」


 からから笑っていたリリスはとたんにオレの腕を引いて背中へと押し隠した。驚きは一瞬だったが、そのわずかな時間にも金属音が響く。ただし、一度だけ。


「リリスとは――邪竜リリスで合っているね?」

「色男であっても出会い頭に剣を向けるとは、礼儀がなっとらんぞ」

「邪な者に対しての礼儀は持ち合わせていませんので」

「ちょっ、ちょっと待ってください!」


 聞き慣れた声に対してリリスの背中から慌てて顔を出すと、柔らかな色をした髪と瞳を持つ長身痩躯の男に「やっと見つけた」と笑みを浮かべられる。相変わらず羨ましいぐらいにかっこいいわけだがしかし、いまはそれに対応するだけの時間はない。そう、一触即発の空気をどうにかしなければ!


「ケンカをするなら学園の外でお願いしますっ!」


 そんなオレの大声に対して、リリスもエヴァルド様もなんて残念な子なんだろうと言いたげな顔を向ける。やめて、そんないたたまれないような顔をしないでくれ! いや、だってな、暴れられても困るから!


「やはりナオは面白いな」


 今度はけらけら笑い出したリリスにエヴァルド様も毒気が抜かれたのか、利き手に持つ剣を鞘に戻した。――ああ、これでケンカは終わったな。


 胸を撫で下ろしたのち、エヴァルド様はその場に片膝をつく。略式の礼をした姿に、リリスは「なんだ?」と呆気に取られていた。目をぱちくりさせる姿さえも凛々しさがあるとは恐れ入る。


「邪竜といっても、ナオを守っていたのは事実ですので。ですが、そろそろ返していただきます」

「私から料理人を奪い取ると言うのか。――この泥棒猫め!」

「マジで言う人なんて初めて見たわ!」

「何度でも言うぞ! 泥棒猫泥棒猫泥棒猫! 私からナオを奪い取ろうとは百年早いわっ」


 リリスが紡いだ言葉に思わずつっこんでしまったが、その勢いは止まることを知らないように加速している。途中で抱きしめられるままになっていたわけではあるが、エヴァルド様は苦々しい顔をしながらも平然と「泥棒猫はそちらです」と返した。


 ……これはあれか。間近で流血沙汰が起こるのは避けられない流れなのか。いやでも、それは嫌なのですが! どうにか回避しようと、リリスの細い腕を引き剥がしながら、「ケンカは外でお願いします!」と懇願する。それはもう必死に。


「いや、というより、これだけ騒いでも門番がなにも反応しないのが怖いんですがね!」

「結界を張っておるからな」

「え……、じゃあ、初めから結界を利用して砦を抜ければ問題はなかったはずですよね?」

「ああ、そういう手段があったのか!」


 手のひらをぽんと軽く叩いたリリスはその考えには至らなかったようだ。制服を模した服を着て、学園に潜り込むことは考えついても。どちらかといえば後者の方が思いつかないはずだが、邪竜ちゃんは解らないものだ。


「よし、ナオ、このまま突き進むぞっ」

「え、マジですか!?」

「ああ、マジだ! 色男はどうするつもりか?」

「もちろんついていきますよ。ナオを危険な目に遭わせるというのなら、そくざに切り捨てますから」


 だから流血沙汰はやめてくださいってば! 



    ◆◆◆



 ケンカになりそうな雰囲気だったがしかし、ふたりをどうにか言いくるめて事なきを得た。リリスにはすりすり頬を擦り寄せられたがまあいいさ。エヴァルド様がそれに苛立った素振りを見せていても、オレは見ないふりをする。いや、「ケンカはダメですよ?」と進言はさせてもらったよ、ちゃんと。身長差からか上目遣いにしかならなかったが。それでも思いは汲んでくれたようで、「ナオが嫌がることはしないから安心して」と微笑んでくれた。ああ、ね……、これはモテますわ、確実に。そりゃあ、勝てないはずですよ。情けないが。


 男としての誇りを傷つけられてしまい、ちょっとばかし落ち込んでしまったわけだが、迷宮散策へと気持ちを新たにする。ここで落ち込んでも、オレがエヴァルド様を越えることなど不可能なのだから。


 結界を張り直してもらったあとは、門番に呼び止められることもなく砦の内側までやって来られた。やっぱりリリスの魔法はすごいとしか言いようがない。目の前に広がる世界はといえば、地下へと続いているであろう階段がぽつんとあるだけだ。がしかし、幾重にも結界が張られていたので、突破できる力を持ってして迷宮に挑めるということであろう。


「よし、行くぞ! 色男は後ろを頼むぞ」

「その呼び方はやめてください」

「なんだ、気に入らぬのか? それならば呼び捨てになるがな」


 リリスは一瞬眉を寄せたが、エヴァルド様は「構いません」と納得したらしい。だが思わぬ飛び火が来てしまう。「ナオも呼び捨てで構わないよ」と。


「いえ、オレはこのままでお願いします」

「解った。ナオの好きなようにしていいよ」


 さすがに何年も染み着いたものを直すのには時間がかかる。それに、いくら本人が望んでいたとしても、ご令息でもあれば周りがそれを許さないだろう。


 リリスが「行くぞ」と颯爽と階段を下りていくのをついていくと、後ろからやたらと視線を感じる。だが止まることなく階段を下りた先――おそらく一階層だろう場所でエヴァルド様は「ナオ」と口を開いた。


「その制服はどうしたの?」

「あ、これは魔法で作ったんですよ。オレではなくリリスがですが。オレは生地を用意しただけですね」

「そうなんだ。――よく似合っていてかわいいよ」

「そうですよね。リリスはすごくよく似合ってますよね」

「いや、邪竜リリスではなくて」

「大丈夫です! ちゃんと解っていますからね。人化したリリスは凛々しくてかわいいんですよ!」

「いや、だから……」


 悩ましげな顔になっていたエヴァルド様に首を傾げると、リリスの方が誇らしげに「誉めてもなにもやれんぞ」と胸を張る。一瞬だけだが、大きな胸がぽよんと揺れた。


 地下迷宮といっても、明かりは灯っているらしい。蝋燭でもランタンでも松明でもなく、両手のひらに乗るようなサイズの球体が一定の間隔で壁に沿うように受け皿ごと並んでおり、発光している。


「ところで、エヴァルド様はどうしてあそこにいたんですか?」


 そう問いかけると、「Aランク以上の冒険者は数が少ないようだから、迷宮調査の依頼は学園の特進科の方にもきているんだよ」と答えてくれる。「特進科にはBランク以上の者が在籍しているから」と。


「なるほど」


 ほあーと納得したオレに対し、リリスは「たしかにエヴァルドの魔力量は特進科向きだな」と頷いた。


「邪竜リリスは魔力量が解ると?」

「私は人間とは違うからな」


 金色の目を細めるリリスに「そうですか」とさしたる興味もなさそうに答えたエヴァルド様は「ナオが元気そうでよかったよ」とオレに視線を向けた。「家を出ると聞いたときは驚いたけど」と続けられる言葉はこちらも目を細めながらだ。


「迷惑はかけられませんし」

「迷惑だと思ったことは一度もないよ。学園を卒業するまではナオを探すのは止められていたから、本当にどうしようかと考えていたところだったんだ」

「え、と……?」

「父も母も、学生の本分は学業だと言って聞かなかったからね」

「ああ、そういう……。でも、間違ってはないですよね?」


 ご当主様たちの言葉はそのとおりだ。エヴァルド様は小さく笑うと「そうだね」と返してくる。


「ナオ、悪いが考えが変わった。散策はやめだ。さっさと終わらせる」

「と言いますと?」

「――ナオを邪な目から守るということだ」

「それはそちらでは?」


 これはまたケンカを止めなければならないのか!? 胸の内でオロオロし始めると、「一気に最下層まで行くぞ」とリリスに腕を引かれて抱き上げられた。「お、わっ!?」と驚いたのち、なにをする気かとリリスを見る。と、地面を蹴り上げて跳躍したのかと思えば、ぽっかりと空いていた穴へと飛び込んだ。


「最下層までって、そういうことですかああああ!?」


 うおおおおなんだこれとパニクるオレとは対照的に、リリスは「歩くより早い空中移動だ」と楽しげだ。エヴァルド様はといえば、「邪竜リリス! いますぐ叩きのめす!」と剣を手にして追いかけてくる。


「うるさいやつは嫌われるぞ」


 わずらわしそうに眉を顰めたリリスは、「なあ、ナオ」とオレに話をふってきた。なんでそこでふるんですかね!? パニクっていたというのに、いまので冷静になれましたがどうしましょうか。「お、おそらくは」と答えるうちに理解したが、二階も三階もその先も同じように、床に空いた穴に吸い込まれるようにして移動していく。空いては消えての繰り返しのようだ。


 すごいなと感心する最中、耳に小さな音が届く。「リリス、ちょっと戻ってください!」と声をかけると、「なにかあるのか?」と言いつつも促したとおりに戻ってくれた。


「声が聞こえたんです」

「六階層か」


 剣を携えながらも隣に並ぶエヴァルド様が「魔獣と戦っていると思うよ」と紡ぐ。「思い当たる節があるんですか?」と先を促すと、エヴァルド様は頷きながらも、「これは秘匿されていることだけれど、どの迷宮に挑もうが、最終的にはこの迷宮に転送される。転送されて初めてクリアーとみなされているようなんだ」とオレを見た。


「それは迷宮の七不思議ですね!」

「それは解らないけどね。冒険者が帰らないのは、この迷宮をさ迷っているからなんだよ。「姉様はどこ?」と呟きながらね。周りに張られた結界のお蔭で近づくこともできないから、お手上げだ」

「なんですかそれは、ホラーですか」

「その謎を解く前に、もうひとつの問題を解決する必要がある」

「もうひとつの問題ですか?」


 なんだろうかとエヴァルド様を見ると、指先で下を指し示された。


「下層に根城を張る魔獣が上層に上がってきている。――つまり、下層にいた魔獣たちが危険だと判断したくなるほどに強い者がいるということだ。俺たちに任されたのは、上層へと上がってくる魔獣の殲滅だよ」

「なにがいるんですかね?」

「いまはまだ解らない。けれども、今日解るかもしれないね」


 そう言ってリリスを見るエヴァルド様は、「ナオを大切にしていることは理解できましたので、一時休戦にしましょうか」と笑みを浮かべる。


「こんなにかわいい主を大切にしないわけがなかろう」

「え?」

「かわいくはないですが、主となりました」


 固まるエヴァルド様に恐る恐る片手を上げると、「ナオは優しいから、契約できないこともないか」と納得したような顔になる。しかし、オレは普通に接しているだけで、特段優しさにあふれているわけではないのだが。


 響き渡った悲鳴にはっとすると、「リリス!」とすぐさまリリスに向き直る。「行く気か?」との問いには「もちろんです!」と答えた。「危ないからやめてね」というエヴァルド様の焦るような声が遠くなるのはそれこそすぐだ。


 リリスにしがみつくオレが見たものは、巨大イカ――クラーケンが暴れている姿だった。何本もの触手が蠢いている。


「クラーケンは海の魔獣では!?」

「ここは迷宮だからね。なにが起きても不思議ではないよ」


 追いついたエヴァルド様の声に「たしかに」と納得すると、リリスが「うーん……、食えるか食えんか解らんな」と紡ぐ。食欲に忠実だなと感心する傍ら、逃げる女の子が転けるのを視界の端で捉えた。迫る触手も同様に。


「危な――」


 危ないと思うのと躯が動いたのは同時だろうか。転移魔法を使って女の子の前に立ちはだかると、ふたつの触手が弾かれるのを見た。オレの前に立つのは――。


「ナオっ! ケガは!? ケガはないよね!?」


 振り返ったエヴァルド様に力強く肩を掴まれるが、オレにたいした問題はない。


「大丈夫です。この制服もどきには魔法がかけてありますから、多少の攻撃は防ぐことができますので」

「だからと言って、危険なことはしないでほしい。心臓がいくつあっても足らなくなるから」

「す……、すみません」


 ふわり柔らかく抱きしめられると、隣から漂うただならぬ空気に気がついて固まってしまった。エヴァルド様は平気そうだが、慣れているんだろう。


「くそイカぁ……! お前さんは誰を傷つけようとしたのか解っておるのかぁっ!?」


 噴出される怒りに対し、クラーケンはおろか特進科の人々も畏縮してしまっている。リリスはクラーケンを睨んだまま、「捕まえておけ!」と声を上げると、「ナオー! もう心配はないぞっ」とエヴァルド様ごと抱きついてきた。


「そうみたいですね。ありがとうございます」


 特進科の人々があわあわとクラーケンを捕らえるのを眺めつつ、リリスの頭を撫でてやる。


「リリスのことを知られるのは問題でしょうが、助けに入ったオレの責任でもありますから、オレがきちんとリリスを守ります。力はないですが、できるだけ」

「迷宮での出来事は口外しない条件だから、大きな問題にはならないと思うよ」

「なら大丈夫ですかね。リリス、最下層までお願いします」


 ここまで来られて満足しているので、もう十分だ。――いや、本心ではもっと楽しみたかったが、これ以上の心配や迷惑をかけさせたくはないので、さっさと終わらせるに限る。


 リリスの手を取ると、「任せておけ!」と嬉しそうに口角を上げた。エヴァルド様が「羨ましい」と呟いたのは謎だが。



    ◆◆◆



 空中移動でも酔うこともなく最下層までやって来ると、最後の難関の前に立つ。岩の扉の前に。


 どういう仕掛けなんだろうかと眺めていれば、リリスが手を翳して一発で開いた。横開きでゆっくりと。どうやら魔力に反応したらしい。


 なにもない空間の奥では宝箱がひとつ鎮座ましましている。なかになにが入っているのかとワクワクしていたが、開けるのはリリスに任せた。これ以上ないくらいの適任だろう。


「開けるぞ」

「はい」


 宝箱に手をかけて開けると――すぐさま閉じてしまう。オレには背中しか解らないが、動揺が見てとれるくらいには解りやすい。


「リリス?」

「……ナオ、私は思い出したのだ」

「なにを思い出したんですか?」


 声をかけるとびくりと躯を跳ねさせて振り返り、青い顔をしたリリスと目が合った。


 ぽつりぽつりと語られる思い出は九割方うまいものについてだったが、旅の最中に小さな竜と出会ったらしい。真っ白な子竜と。


 子竜は迷子になっていたようで、それならばと保護をしたという。すぐに「姉様」と懐いてくれてかわいがり、迷宮を根城にしてから数日後、安全な場所を手にして安心したリリスは再度うまいもの巡りに出かけた――。


「つまりリリスは、保護をした子竜の存在を忘れていたんですね」

「うまいものが忘れさせたのだが、そういうことになる」

「軽く引きましたが、そういうことなら迎えに来た体でいればいいんですよ。忘れていた事実を忘れてね。さすがに小さな子に二度も悲しい思いはさせられないですしね」


 しょんぼりしていたリリスはオレの言葉にぱぁっと明るくなると、エヴァルド様も「ナオの案以外はないですね」と援護してくれる。


「よし、解った! ナオの言うとおりにしよう!」

「おそらくですが、この迷宮の異変は子竜が作り上げたものだと思いますよ。リリスを探すために冒険者を使ったというわけです」


 宝箱に向き直ったリリスに続けると、「なるほど」と返ってくる。


「ドラゴンの力は強いことも考えると、迷宮の異変もむ無しということか」

「解決しましたね」


 エヴァルド様を見ると頷いてくれる。宝箱が開く音が響くと、「ローズ」と優しい声がした。


「おはよう、ローズ。迎えに来たぞ」

「う~……、ぅう……、ふぁあっ!? 姉様だぁっ!?」


 目覚めたらしい子竜のかわいらしい声が聞こえたかと思えば、泣き声に変わる。リリスに飛びついたのは真っ白な長い髪をした小さな女の子だった。目はリリスと同じく金色であるが、いまは涙であふれている。


 泣きすぎて噎せ始めた女の子を代わりに抱き上げると、「水を飲みましょうねー」と、マジックバッグから出した水を飲ませてやる。ペットボトル型の水筒に入れた水を。


 リリスが作ってくれた岩のイスに座ってぽんぽんと背中を撫でて落ち着かせ、「名前はローズですね。オレはナオトと言います。こちらはエヴァルド様です。一緒にあなたを迎えにきました」と自己紹介に入る。


「あ、あたしはローズですっ。保護されたときから姉様の眷属となりました。ナオは姉様の主だから、あたしの主でもあるの」


 もじもじとするローズがかわいく、かわいいかわいいと頭を撫でてやると、「ほわぁ」ととろんとした顔になる。あ、これはリリスと一緒かね。


「さっそくですが、ローズに頼みがあります。冒険者の洗脳を解いてほしいのです」

「ん、ナオの頼みなら。――解いたよ。姉様にはここから出てはいけないと言われていたから、冒険者を使っていたの。もう必要ないから、迷宮同士の繋がりもほどいたよ」

「なるほど。それにしても早いですね」

「ドラゴンだからな」

「すごいですよね」


 それにしても、後ろからも前からもぎゅっと抱きしめられるのはなぜだろうか。


「暑いんですが」

「これ以上恋敵が増えるのは勘弁してほしいな」

「はい?」


 いまなんと言ったのかとエヴァルド様を見ると微笑まれた。は? え? 恋敵……? えっ?


「えっ、エヴァルド様はそういう意味でオレが好きなんですか!? オレは男ですけど!?」

「『ナオがナオなら、俺はどんな姿でも構わない』と言ったはずだよ」

「それはそうなんですが!」


 背後から「――勘違いするなよ、エヴァルド。私たちは愛でたい気持ちはあるが、そういう感情は持っとらんわ」というリリスの呆れた声が降ってくるが、エヴァルド様は「ナオの魅力に堕ちているのなら同じことですよ」と紡ぐ。真面目な調子で。


 じゃあなにか、リリスが気に入らないのもそういうことか! 好きな人の周りに仲がよさげな人がいるのは気分がよくないというやつか!


 好きな人がいたこともあるし、恋愛的な耐性はあると思ってはいたが、なんにも意味がなかったよ!


「すっ、すみません! 全然気がつかなくて……っ!」

「そういうところもかわいいけれど、あまり無防備なのは心配でしかないよ」


 苦笑する姿に顔に熱が集まり、「リリス! リリス! 帰る! 帰る!」と転移をお願いする。リリスはよいのか? と言いたげな視線を向けてくるのだが、羞恥といたたまれなさがあり得ないほどにない交ぜになっているのだからよいという選択しかない。


 逃げ帰るという手段をとってしまったが許してほしい。そんな手紙を送りつけた三日後にエヴァルド様から手紙が届いた。オレからは町中に点在するポストであるのに対し、エヴァルド様の手紙を運んできたのは契約獣たる獅子キマイラである。痕跡から家の在処を掴んだようだ。うう、やっぱりベルネット家は侮れない。


 あのあと、エヴァルド様は魔法道具で六階層に戻りクラスメートと合流したこと、迷宮調査に区切りがついたいまは忙しく、手紙が遅れたことへの謝罪、暴れていたあのクラーケンは先に生け捕りにしたクラーケンの対だということ、そして――また会いたいと書かれていた。


 また会ってもどういう顔をしていいのか解らないとリリスたちの前で漏らせば、「そのままでよい」と言われてしまう。


「ナオを泣かすようなことをする気なら、私たちが守るから安心しろ」

「そうですよ、あたしも戦いますっ」

「戦うのはやめてください」


 オレだって、リリスたちが泣かされるのは嫌だとそう返せば、リリスたちに前後から抱きしめられる。「ナオは本当にいやつだな」と。


 もう少しこのままでいたいというのはわがままかも解らないが、エヴァルド様の気持ちもきちんと考えているので許してはくれないだろうか。いまはまだ。そう、いまは。


 男のオレでもいいと言ってくれる人なんてエヴァルド様しかいないことぐらいもう解っているし、オレが誰かを選ぶとしても――エヴァルド様を選びたいんだから。たとえいろんな葛藤があるにしてもね。





《終わり》

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