#2-3「玉ヒュンパラダイス」


「紫苑!」


 壁が砕かれた部屋の端へと慌てて走り寄る。

 紫苑と少女は隣にある、ここより少し低いビルの屋上で大立ち回りを演じていた。

 恐ろしい速度で巨大ノコギリが嵐の様に舞う。

 袈裟斬り、横薙ぎ、もう一度横薙ぎ、逆袈裟と、慣性を活かしながら小柄な体躯で少女が猛追する。

 対して紫苑は身を反らし、後退し、屈み、跳んで退きと、全て紙一重のスレスレで凶刃を避ける。

 少女の恐るべきは身体能力だ。見るからに折れそうなほど華奢な体躯でありつつ、目にも留まらぬ敏捷性と強靭な膂力で紫苑に迫る。

 身体強化の篝火イグニスか……等と考えていると、紫苑と少女が一合爆ぜて距離を取る。


「……【21期60号ヴァンパイア】」


 言うなり少女は巨大ノコギリの刃で自らの手首を裂いた。

 包帯ごと切った手首の傷から、真っ赤な鮮血がボタボタと勢い良く零れ落ちる。

 それが足元へ滴るなり、赤い水溜りはあっという間に屋上を満たす。

 口元を裂いたような笑みを浮かべ、少女が巨大ノコギリを空高く放り投げる。

 更に両手を広げ、少女が弾けて消えた。少女が居た場所から赤いコウモリの軍勢が四方八方へと散らばって舞い踊る。コウモリの群れに呼応して、新たに血溜まりから真っ赤なナイフが飛び立つ。

 コウモリとナイフは次々に紫苑へ襲い掛かる。

 紫苑が腕を振る度にそれらはワイヤーで撃墜される。


「いきなり愛を囁いて、挙げ句はリストカットか……情熱は買うが、止めときなよ」

「紫苑、後ろだ!」


 余裕気な嗤いを湛える紫苑の背後で、立ち上がる影があった。

 血溜りから少女が生えてきた。喜色満面の笑みで得物を振り被っている。


「何しろ俺は忘れっぽいからな」


 巨大ノコギリが横薙ぎに一閃を描く。

 けれど巨大ノコギリは、明後日の方向へ、掴む腕ごと弧を描いて放られる。

 紫苑が振り返らずに手首を返していた。ワイヤーで少女の腕を切り飛ばしていた。


「ちっ……!」


 片腕と得物を失った少女は、歯噛みしつつも素早く下がる。

 その隙を逃すワケもなく、紫苑が踏み出して詰め寄る。

 紫苑が放った回し蹴りは、虚しく空を切る。

 少女が再び血溜まりの中へ沈んだのだ。

 紫苑はその場で留まり、消えた少女の気配を探る。

 巨大ノコギリが転がっている辺りから、白く細い腕が這い出る。

 すぐさま少女が血溜まりから現れ、紫苑の背後へ駆け出し、両手で巨大ノコギリを振り下ろしにかかる。

 しかし足元に手を付いた紫苑が──それを発動させる方が、僅かに早かった。


「【紫電フルグル】」


 紫色の電光が、血溜まりを、屋上を伝播して駆け巡る。

 少女は悲鳴すら上げずに、まるで魚のように打ち上げられて動かなくなった。







「やっぱり紫苑、お前の武器は、細い金属のワイヤーか」

「ああ。切断や、移動とか、こんな風に捕縛とか……用途に合わせ使い分けている」


 屋上にて、俺と紫苑は気絶している少女を見下ろす。

 傾いていた陽は、西側にそびえるビル街の更に向こう側へ沈もうとしていた。

 少女は紫苑のワイヤーで……パッと見ただけでは分かりにくいが……がんじがらめに縛り上げられ、芋虫のように拘束されている。

 岩猿を【国つ神の槌ギガースハンド】ごと斬ったのも、ワイヤーに電流を通した熱で、コンクリの鎧を焼き切った……という事なのだろうか。


「しかし何だコイツは。頭もフィジカルも篝火イグニスもブッ飛んでるぜ」

「でも俺は勝った」

「……そうですネ」


 まず間違いなく、オレは勿論、きっと岩猿だってコイツに勝てやしない。

 飛ばされた腕を生やしたり、血を操り、血と同化したりコウモリに化けたりなんてしていた。

 まるで文字通りの吸血鬼ヴァンパイアみたいだ。

 紫苑は煙草の箱を軽く叩いて一本取り出し咥える。先端へ指先を近づけると、指を鳴らし、紫色の電気を散らして火を点す。深く息を吸って、間を置いてから、真上に紫煙を吐く。

 それから改めて少女を見下ろす。


「それより、ちょっと面白い事を思い付いた」


 言うなり紫苑は少女を肩に担ぐ。それから俺の方に向かって手を差し出す。

 何をするつもりなのか見当もつかず呆気に取られるまま、条件反射的に紫苑の手を握り返す。すると紫苑は、まるでイタズラを思い付いた子供のような笑みを浮かべ、俺を引き寄せる。


「パンドラに行く。ワイヤーを使う為に片手は空けるから、しっかり俺の腰にしがみつけ。振り落とされたら、多分、死ぬぜ」

「振り落とされたらって……んぬぉ!?」


 ワケも分からないまま、言われるがまま紫苑の腰へ腕を回すなり、オレ達は紫苑につられて屋上から飛び降りた。

 ハラワタを押される様な浮遊感が駆け抜ける。

 喉から空気は漏れたが、悲鳴は出なかった。

 アスファルトに向かって一直線へ叩き付けられる──より先に、今度は強烈な重力が襲い掛かる。違う、遠心力だ。


「はっ、は……うお、おっ、すげえ!」


 斜陽で照らされたビル街が墓石みたいに立ち並ぶ。

 その間をブランコじみて飛び抜けてゆく。

 前髪を向かい風でなぶられる。時折また投げ飛ばされたような浮遊感が再来する。更に落ちて振り子のように空を切ってと繰り返す。地面のスレスレまで近づいて掠りもせずまた浮上する。クラクションを鳴らすトラックにも当たりはしない。窓から顔を出す運転手の野次さえも置き去りにする。

 雑多な新宿の全てをすり抜けて、ビル風のど真ん中を舞い踊って貫いてゆく。

 空を落ちてゆく。


「やっほう、すげえ、オレ達は、今、空を飛んでるぜ!」

「爽快だろ。このままパンドラまで一直線だ」


 もう何度目になるか。高層ビルの中腹まで振り上げられた瞬間に、たまらず叫ぶ。

 しがみつく腰元から見上げると、紫苑が口端を吊り上げて言う。

 オレは首筋へぞくぞくと込み上げる高揚に浮かされながら煽った。


「ああ、最高だ、盗んだバイクで首都高ハイウェイをかっ飛ばすよりずっとゴキゲンだぜ! どこでも好きに連れて行ってくれよクレイジータクシー!」

「そうかい。だったらお客さん、アンタをもっと楽しいお祭り騒ぎに連れて行くぜ」


 ちなみに実際、オレはバイクどころか原チャリに乗った事すら無い。内緒だが。

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