第10話

 ゆらり、ゆらり。

 

 

 ゆら、ゆらり。

 

 

 

 

 

 揺れてゆうらりと、僕は落ちて行きました。

 

 

 

 

 

『雪也、もし冥土からのお迎えが来たら、一番光り輝く道へ行きなさい』

 

 

 

 

 

 幼い僕に凛と言ったのは、おばあ様でした。

 

 

 何故なのか、幼い僕には分かりませんでした。

 

 

 

 

 

 生きたい、生きていたい。

 

 

 草也や明宗、一樹さんたちのように。

 

 

 

 

 

 寝ていればきっと良くなる。

 

 

 この苦い薬を飲めばきっと良くなる。

 

 

 利口にしていれば神さまが治してくれる。

 

 

 

 

 

 そんな嘘を言う大人の中で、おばあ様だけは違いました。

 

 

 

 

 

 ゆらあり、ゆらり。

 

 

 

 

 

 沈んで、落ちて。揺れて、揺れて。

 

 

 そこに光り輝くいくつもの道が見えました。

 

 

 

 

 

『一番光り輝く道へ行きなさい』

 

 

 

 

 

 恐ろしくはありませんでした。

 

 

 不思議と、後悔もありませんでした。

 

 

 きっとそれは夕殿が居てくれたから。

 

 

 夕殿が僕の側に居てくれたから。

 

 

 

 

 

 光。

 

 

 

 

 

 ひかり。

 

 

 

 

 

 眩しい、ひかり。

 

 

 

 

 

 おばあ様に言われた通り、僕は一番光り輝く道を選びました。

 

 

 

 

 

 光。

 

 

 眩しい、ひかり。

 

 

 あたたかな、ひかり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『その願い、叶えよう』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………え?」

 

 

 

 

 

 揺れる。

 

 

 揺れて。

 

 

 

 

 

 突然、びゅうと、風が舞い上がりました。

 

 

 

 

 

 風が舞い、光り輝くその道に、無数の赤い花が舞いました。

 

 

 藍色の空に見上げたあの花が、光り輝くこの道に螺旋を描いて舞い登り。

 

 

 

 

 

「きれい…………」

 

 

 

 

 

 僕は血桜の花弁と共に、揺れてゆらりと、舞いました。

 

 

 

 

 

『雪也』

 

 

 

 

 

 遠くで、夕殿の呼ぶ声が聞こえました。

 

 

 低く優しく呼ぶ、耳に心地好い声音です。

 

 

 

 

 

『雪也、起きろ』

 

 

 

 

 

 起きろ?

 

 

 僕は、僕の命の焔は、消えたのでしょう?

 

 

 ここは冥土へと続く道でしょう?

 

 

 

 

 

『迷ってはいけません。一番光り輝く道へ』

 

 

 

 

 

 目が眩むほど目映い道へ。赤い花と、僕は、共に。

 

 

 

 

 

『雪也、雪也……………』

 

 

 

 

 

 夕殿の声が。

 

 

 僕の胸に、ぽわりと焔を、灯すのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然に、目が、覚めました。

 

 

 

 

 

 それは驚くほど突然で。

 

 

 思わず僕は目をぱちりぱちりと瞬かせました。

 

 

 

 

 

 身体が、軽い。呼吸も楽で、苦しさが何もない。嘘のような、これは、一体。

 

 

 辺りは闇に包まれていて、ここがどこなのか分かりません。

 

 

 

 

 

 僕は恐る恐る起き上がりました。

 

 

 

 

 

 ここが、冥土?

 

 

 それにしては…………おかしい。

 

 

 おかしいと思うことがおかしいのでしょうか。僕はあまりにも現実的すぎる、あまりにも普通の目覚めにしか思えぬこの状況におかしくなってきて、思わずくすりと、笑いました。

 

 

 

 

 

「目が覚めたか」

「………え?」

 

 

 

 

 

 ゆら、と。

 

 

 

 

 

 ふいに、赤い焔が揺れました。

 

 

 いくつもいくつもあらわれたそれは、部屋を明るく、暖かく照らし。

 

 

 

 

 

「夕、殿?」

 

 

 

 

 

 そこに。

 

 

 そこに。

 

 

 

 

 

 夕殿が、居て。

 

 

 

 

 

「夕殿!!」

「雪也」

 

 

 

 

 

 心が望むままに、身体が望むままに、僕は立ち上がり夕殿に駆け寄り、その首に腕を絡めました。

 

 

 

 

 

 これは夢?これは現?

 

 

 

 

 

 分かりません。でも確かに夕殿はここに居て、熱い腕で熱い身体で、僕を抱き締めてくれました。

 

 

 

 

 涙が溢れ止められず、夕殿と繰り返し繰り返し呼んで僕はきつく腕を絡めました。

 

 

 そして僕は求められるがままに、夕殿に唇を預けました。

 

 

 命を分ける口づけではなく、ただの、名のない口づけを。何度も。

 

 

 

 

 

 言葉が出ない。夕殿。何度も呼びました。雪也。何度も何度も呼ばれました。

 

 

 

 

 

 それだけで。

 

 

 

 

 

 それだけで僕は、何て幸せなんだろうと、心から、心から思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「夕殿、これは夢?ここは冥土?」

 

 

 

 

 

 口づけを繰り返し過ぎて、僕は少しぼんやりとしていました。

 

 

 ぼんやりとしながらも、夕殿の腕に抱かれ、ぼんやりと、聞きました。

 

 

 

 

 

「現だ、雪也。よく見ろ。俺の家だ」

「夕殿の家?」

 

 

 

 

 

 言われて夕殿の焔をたよりに辺りを見渡すと、そこは確かに夕殿と寝ていた部屋でした。

 

 

 

 

 

「でも、僕」

「血桜の、言い伝えがある」

「言い伝え?」

「あの木は人の欲に根をおろし、人の欲に花を咲かせるあやかしの木。常に花が在るのは人の欲がなくならないから、と」

 

 

 

 

 

 人の欲。

 

 

 あの木に、あの花に、そのような………。

 

 

 欲を糧に咲く花。だからあんなに、美しいのでしょうか。醜い人の欲。だからこそ、美しく咲いて。

 

 

 

 

 

「血桜が満開になる時、たったひとつだけ願いを叶えてもらえると、幼い頃から聞かされていた。嘘か真かは分からなかった、知らなかった。だから雪也にも言えずにいた。でも、もしかしたらと。真であればと、ずっと」

 

 

 

 

 

 願え、と。

 

 

 夕殿があの時に言ったのは、だからだったのかと、僕は納得しました。

 

 

 

 

 

 願い、叶って。叶えられ。

 

 

 

 

 

 僕は夕殿の、緋色の眸を見つめました。

 

 

 優しく揺れる、焔のように暖かな、眸。

 

 

 

 

 

「僕が生きているということは、それは真だった………」

「そうだ。血桜は雪也の願いを叶えた。だから雪也は生きている。これからも、共に生きていける」

 

 

 

 

 

 これからも。

 

 

 

 

 

「夕殿、そう言えば僕、身体が…………」

 

 

 

 

 

 身体が辛くない、苦しくない、重くない、怠くない。

 

 

 刀で貫かれたはずなのに、その痛みはどこにもなく、そればかりか、まるで病まで治ったかの、ような。

 

 

 

 

 

「それなんだが…………」

「夕殿?」

 

 

 

 

 

 夕殿が目をそらし、言い淀みました。

 

 

 初めて見る夕殿のそのような姿に、僕は不安を覚えました。

 

 

 

 

 

 僕は生きていて、これからも夕殿と共に生きていける、と。

 

 

 

 

 

 違うの?

 

 

 

 

 

 問うた僕の手を夕殿は取って。

 

 

 

 

 

「え………?」

 

 

 

 

 

 触れたその先にあったの、は。

 

 

 

 

 

 これは………角?

 

 

 

 

 

 僕の頭、指先に触れた、固くて尖っているもの。

 

 

 右手で触れて、左手で、触れて。

 

 

 

 

 

「夕殿!!僕、角が生えてる!!」

「生えてる、な。ついでに言えばお前の眸は今緑色をしている。美しい翡翠の色だ。髪の色もほら………」

 

 

 

 

 

 夕殿が僕の目尻に触れて、瞼に口づけをしてくれました。

 

 

 

 

 

 緑色の、翡翠の眸。僕の、目が?

 

 

 

 

 

 そして後ろに緩く結われた長い髪を見せられ、僕は驚き目を見開きました。

 

 

 

 

 

 夕殿の髪は赤みがかった白銀の髪。

 

 

 僕の髪は。

 

 

 緑がかった、白銀の、髪。

 

 

 

 

 

「僕、緑の鬼になったの?」

 

 

 

 

 

 僕は頭の角を掴んだまま夕殿に聞きました。

 

 

 突然過ぎて、信じられなくて、どうしていいのか分かりませんでした。

 

 

 

 

 

「鏡を、見てみるか?」

「鏡?」

 

 

 

 

 

 夕殿が袖括に手を入れ、単の袂から懐中鏡を取り出しました。

 

 

 

 

 

「落ち着いてから見てもいい」

「………見る」

「雪也はなかなか肝が座っているな」

 

 

 

 

 

 くす、と笑われ、渡された懐中鏡。

 

 

 

 

 

 そろりと覗いたその先に。

 

 

 夕殿が言う通りの緑色の眸。

 

 

 

 

 

 自分の眸だとなかなか信じられず、僕は何度も何度も瞬きをしました。

 

 

 そして、頭の上にある二本の角を、己の目で、確かめました。

 

 

 

 

 

「本当に鬼だ。でも、何故?」

「分からぬ。雪也、お前は血桜に願う時どのように願ったんだ?」

「え………?夕殿と共に生きたいと」

 

 

 

 

 

 ぎゅうと抱き締められて、耳元で名を呼ばれて、僕の背がぞくりとしました。

 

 

 

 

 

「俺はどんな雪也でもいい。雪也が生きて、側に居てくれるのなら、どんな雪也でも構わない。それにこの姿も美しい。雪也は嫌か?」

 

 

 

 

 

 嫌?

 

 

 

 

 

 驚きは、しました。でも。

 

 

 でも、嫌ではありませんでした。

 

 

 刀で貫かれた傷もずっと命を脅かしていた病さえも治り、夕殿と共に生きていけるのであれば。

 

 

 どのような姿になっていようと関係ないと、僕は。

 

 

 

 

 

「ううん、嫌じゃ、ない」

「世俗を、捨てることになる」

「いい。僕は夕殿だけで、いい」

 

 

 

 

 

 眸が、夕殿の緋色の眸と、僕の翡翠の眸が、交錯しました。

 

 

 

 

 

 夕殿の中に遺した想いを。僕の中に遺した想いを。

 

 

 取りに来た。

 

 

 取りに、戻った。戻れた。これが、現。

 

 

 

 

 

 血桜が叶えてくれた、奇跡。

 

 

 

 

 

「夕殿………」

 

 

 

 

 

 嬉しくて、また、嬉しくなって、込み上げてきて。

 

 

 僕は夕殿にしがみつきました。

 

 

 

 

 

 もう、ひとりではないのです。

 

 

 僕も、夕殿も。これからはひとりではなく、ふたり。

 

 

 

 

 

 異形の姿の、でも、ふたり。

 

 

 

 

 

「ね…………」

「何だ?」

「契りたい」

 

 

 

 

 

 ぴくり、と動く夕殿の身体と。

 

 

 

 

 

 雪也…………。

 

 

 

 

 

 熱い息と吐かれる、僕の名。

 

 

 

 

 

「まだ無理をしない方が」

「どこも辛くない。苦しくない。だから…………お願い。この姿の僕を、抱いて欲しい」

 

 

 

 

 

 途中で恥ずかしくなって俯いた僕の顎が、夕殿に捕らえられて、口づけをされました。

 

 

 

 

 

「好き…………」

 

 

 

 

 

 小さく呟いた声に、夕殿が。

 

 

 俺もだ、と、言ってくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕殿を受け入れるのは、まだ二度目でした。

 

 

 一度目は身体の状態がひどく、ひとつになることの方が大切で、快楽が目的ではありませんでした。

 

 

 

 

 

 だから。

 

 

 だけ、ど。

 

 

 

 

 

 これは、この、感覚は、何?

 

 

 病ではないとこんなにも違うのでしょうか?それとも僕が鬼になったからでしょうか?

 

 

 

 

 

 一度目とは全く違う感覚に、僕は声をあげました。

 

 

 どんなに声をあげても、どんなに身体を捩っても、その感覚からは逃げられず、逃せなくて、与えられ続けるそれに僕は酔い、夢中になりました。

 

 

 

 

 

 ゆらりと、焔が揺れます。

 

 

 夕殿が作り出す赤い小さな焔が揺れて、そこにゆるんと風が吹いて、焔が小さな竜巻のようになりました。

 

 

 

 

 

「そうか、お前は風を使うのか」

「か、ぜ?」

「風だ。焔が舞っている」

「ん、きれい」

 

 

 

 

 

 くるくる、くるりと。

 

 

 

 

 

 焔が舞って、部屋を灯しています。

 

 

 

 

 

「夕殿……………」

 

 

 

 

 

 貴方と生きたい。貴方と共に生きていたい。

 

 

 

 

 

 その腕に抱かれ、喘ぎ、強く強く、僕は願いました。何度も何度も、願い、ました。

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