流れによりて縁は結ばれん

流れゆく日々

 この世界は、見えない理を中心として、あらゆるものが流れ、流転している。


 川の水が、その場に留まれないように。

 同じ日が、二度は訪れないように。

 生と死が、輪廻の下に循環するように。


 その流れに身を置く限り、決して避けることはできない、見えない力の奔流。

 僕たちは、その奔流の中で、日々を生きている。


 けれど、その流れを受け入れ、移ろう世界に身を委ねた時、流れは新たな兆しを生み、世界を押し広げるーー



 午前七時半。突如鳴り響いたインターホンで、僕はまどろみから呼び戻される。

 再度襲いくる睡魔に身を委ね、それを無視して布団を深く被りなおすが、そんなことはお構いなしと言わんばかりに、鳴り続けるインターホン。

 正直、まだ寝かせて欲しい。

 脳裏に鳴り響くインターホンに呻き声を上げつつ、布団の中でモゾモゾしていると、今度は甲高い女性の声が聞こえてきた。

「おはよう、るいくーん。いるー?」

 ドアの向こうから聞こえてくる、聞き覚えのあるような声。

 痺れを切らした僕は、小さく欠伸をしながらも、まだ覚醒しない頭で、ふらふらと玄関へと向かい、そのドアを開けた。

「……はい……」

「おはよう、るい君。……あれ。もしかして、寝てたかしら……?」

 そこには、黒髪のロングヘアをした女性が、バツの悪そうな表情で立っていた。途端、寝ぼけていた僕の意識が、一気に覚醒する。

「す、鈴香さん!? あ、あの、はい! えっと、お、おはようございます……」

 早朝から、とんでもない姿を見られてしまった。恥ずかしさのあまり、思わず身が小さくなる。

 正直、穴があったら入りたい気分だ。

「ふふ。るい君、かわいい」

 そんな僕を、鈴香がいつものように笑う。僕はさらに赤面し、ドアの裏に身を隠した。

「ここ三日程、るい君の姿を見ていなかったから、心配になってね。それで様子を観に来たんだけど……。ごめんね、起こしちゃって」

「いえ。それに、鈴香さんが起こしてくれなかったら、きっとお昼頃まで寝てただろうから……」

 そういいながら、僕が再びドアから顔を覗かせると、

「るい君、朝苦手だもんね」

 と、鈴香がクスリと笑った。

「そういえば鈴香さん、時間は……?」

「時間?」

 そういって彼女が腕時計に目をやると、時刻はちょうど八時を指す少し前だった。そろそろ出なければ、遅刻する可能性がある。

「いけない!そろそろ行かないと。それじゃあるい君、いってくるわね」

「はい。いってらっしゃい」

 こちらに手を振りながら、遠ざかっていく彼女の姿。それを見送った僕は、小さな笑みとともに、玄関の扉を閉めた。

 こんな朝のやりとりが日常になって、もうすぐ一年。少しずつ賑やかになりながらも、穏やかに日々は過ぎていく。正直、まだ慣れないことは多い。それでもーー。

 この過ぎゆく時の流れに身を委ねるのも悪くはないと、最近思うようになっていた。

『ところで、今日はどうするんだ? 坊主』

 部屋に戻ると、脳裏にいつもの喉太い声が響いてきた。このやりとりが日常になったのも、いつ頃だっただろう。

「今日は、道具の手入れかな。今週はずっと快晴が続くみたいだし、晴れの日が続くと、陽の力も満ちやすいからね」

『そうか!ならせっかくだ、アレも作ってくれんか、坊主』

「アレって、月明酒げつめいしゅのこと?」

『おうよ』

 上機嫌に返す低い声に、僕は呆れ混じりの笑みを向ける。

 月明酒とは、陽の力が満ちた月夜に、月光を三日当て続けることで作られるお酒だ。本来は、お供えやお清めに使ったりする。しかし、彼の場合は目的が違う。

『あの陽の力特有の癖になる味。何度飲んでも、飽きる気がせん』

「御神酒を好んで飲もうとする鬼なんて、剛濫ごうらんくらいだよ」

『何をいうか坊主。この世はな、酒を飲みながら楽しく生きてなんぼなんだぞ!』

「変わらないね、そういうところ」

『おうよ!なんたって、俺の信条だからな!』

「ガッハッハ!」と脳裏で豪快に笑う声の主ーー内に宿る鬼の剛濫に、僕も思わず笑みが溢れる。

 彼は昔からそうだった。妖怪なのに、酒と楽しい事が大好きで、何事も前向きに楽しく生きるのを信条にしていた。僕に宿る事を決めた理由も、『面白そうだから』という、普通の妖怪ならあり得ない理由だったのだから。

 けれど、そんな彼のおかげで、僕はこれまで何度も救われてきた。ある時は、傷つき落ち込んだ僕を励まし、またある時はともに戦ってくれる。

 いつ、いかなる時でも側にいてくれた存在、それが剛濫だった。僕に兄はいないけれど、もし兄がいたら、きっとこんな感じなのだろう。

「あ、でも作るのはいいけど、前みたいに飲み過ぎたりはしないでよ? この前はそのせいで、僕まで寝込んだんだから」

『いやぁ、久々の月明酒だったもんだから、ついな』

「あれは元々陽の力が宿ったお酒。妖怪の剛濫が飲み過ぎたら、不調をきたして当然のものなんだからね」

『おう!次は気をつけるとするさ』

 本当かなぁ、と一瞬疑念を向けると、剛濫は誤魔化すかのように豪快に笑った。毎度のことだが、彼の酒豪振りだけは唯一信用ができない。

 今度飲み過ぎそうな時は、無理矢理止めよう。そう心に決めると、僕は小さくため息をついた。



 窓を開け、そこから差し込む日の光を浴びる。その陽気を心地よく思いながら道具手入れをしていると、不意にスマホの着信音が鳴った。

 手入れの手を止め、机に置いてあったスマホを手に取る。

「はい、秋葉です……。柳さん!どうも、ご無沙汰してます」

 電話の主は、いつも贔屓ひいきにしている興円寺の住職、柳だ。

「え、お清めですか?いえ、それは構わないですけど。いつもより、周期が早い気がして……はい」

 霊場である神社や寺院は、集まる霊が怨念化しないよう、定期的にお清めを行う。しかし、通常なら数ヶ月に一度行えば問題ないはずだ。

 何か、あったのだろうか。

「……わかりました。原因を調べる必要もあると思うから、依頼、お受けします。早速ですが、明日伺っても?……はい、わかりました。それでは、失礼します」

 通話を終え、スマホを置くなり、僕はため息をついた。

『なんだ、浮かない顔だな?』

「うん。ちょっと心配でね」

 いつものお清めであれば気にはしないのだが、興円寺の場合は少し特殊だ。

 通常、霊場である神社や寺院には、信仰の対象である御神体がある。そしてその御神体は、見えない霊的な力の流れ、霊脈の上に配置されるのが慣しだ。

 しかしこの興円寺は、御神体が霊脈上にない。その代わりとして、御神体と霊脈の本流を繋げるために、小さな霊脈の小川を人為的に繋いでいるのだが、かつてそれを行ったのが、僕だった。

 以来、興円寺は霊が留まりやすい霊場となり、彼らが怨念化しない様、住職である柳も、お清めの頻度を増やしていたはず。

 それなのに、僅か一月でまたお清めが必要になるなんて。なんだか、嫌な予感がする。

「ひとまず、明日興円寺に行って、話を聞いてくるよ。もしかしたら、原因もわかるかもしれないし」

『了解だ。ま、力が必要な時はいつでも言ってくれ。報酬の酒と一緒にな』

「はいはい。考えておくよ」

 ニカッと笑みを浮かべる剛濫の顔が浮かんで、僕はつい苦笑いした。本当に、彼の酒好きは昔から変わることがない。

 さて。そうと決まれば、明日の準備をしておなければ。

 僕は道具の手入れを再開すると、明日の仕事に必要な道具を、脳内で確認していくのだった。

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