私の短大1番

「短大1番を見つけなさい。」


 ゼミナールの時間、担当教員の言葉に困惑した。学生に対しても穏やかな物腰で接してくれるため「やさしい」という言葉がしっくりくる人気の先生だが、時々このような突拍子もない指示を出してくる。


 そんなものが簡単に見つけられるなら苦労しない。だが、そんなことを言えるはずもない。実に厄介な指示だ。困ったことになってしまった。


 さて、自己紹介をしておこう。あたしの名前は片岡らん。趣味はジャニーズの応援活動全般だが、最近はファンレターの執筆に勤しんでいる。毎回同じデザインの封筒で、同じ所に同じシールを貼って…。中身は読んでもらえなくても構わないのだ。「またこの子から届いているな」と認識してもらえれば、それでいい。我ながら健気で可愛いと思う。


 執筆活動の傍ら、公務員受験の勉強もしている。都内の警察事務を志望しているため、いわゆる公務員試験を突破しなければならない。周りの友達といえば、どいつもこいつものんびりしていて暢気なものだと思う。こっちはファンレターにバイトに公務員の勉強に…忙しくてかなわない。

 公務員受験を本格的に決意した短期大学1年次の後期、公務員を目指す学生が集うゼミナールに転籍した。いわゆる「ゼミ異動」だ。夏休み期間中に開催された「ゼミナール説明会」には15名ほどの学生が来ていたから大所帯のゼミナールになると計算して希望したのだが、蓋を開けてみれば、たったの3名。知っている顔はなく、ぼっちを確信した。



「あなたは、ファシリテーションの1番になりなさい。」


 え?なに?ふぁしり・・・?


 それが公務員受験にどう関係するのかについての説明はなく、先生は本棚から一冊の分厚い本を抜き取って私の前に置いた。3㎝はある厚み。・・・これを読め、と?


 持ち上げてみると、ずっしりと重たい。まぁ、受験勉強もしなければならないことだし、卒業までに読み切ればいいだろう。形だけのお礼を伝えて、鞄の中に押し込んだ。


                   ※


「研究室に来てください」


 先生から呼び出されたのは、後期の授業も終盤にさしかかった頃。研究室に入るとパイプ椅子に座るよう促された。


「その後、ファシリテーションはどうですか?」


 忘れているわけではなかった。本を借りたことも覚えていた。ただ、読む気にならなかっただけ。

 本を受け取ったとき、同じゼミナールに所属する他の2人も同じように本を渡されていた。1人は「傾聴」、もう1人は「伝え方」。それぞれの強みを伸ばすために目標はあえて統一しない、というのが先生の考え方らしい。


 私にファシリテーションを勧めてきたのにも理由があるようだった。


「以前、授業中のグループワークでリーダー役の難しさに悩んでいましたね。難しさに気づくことができるのは、真面目に取り組んでいる人やチャレンジしている人の特徴です。あなたにはその特徴が見られます。」


 実際、グループワークの際にリーダー役を担うことは多かった。授業になった途端にみんな大人しくなってしまうから、誰かが仕切らなければ話し合いが進まないのだ。特にやる気の無い学生が集まるグループに入れられたときは最悪で、あたし一人で奮闘しているだけで、誰ひとりとして発言してくれない。最初はイライラしていたが、最近ではあたしの司会の仕方にも問題があるのではないかと考えるようになっていたところだ。実は謙虚な性格なのだ。


「ファシリテーションについて勉強していますか?」


 回答を見透かしておきながら、あえて質問している感じだ。性格悪い。


 まだ、完読できていないことを正直に答える。借りたその日に一気に1/3ほど読んでみたが、その後は一度も開いた記憶がない。たしかOLが主人公で社内の問題をファシリテーションで解決していく…といった内容だったはずだが、その主人公の名前すら思い出せない。


「そんなことだと思いました」


 先生が笑う。やっぱり性格悪い。


「あなたは、知識を詰め込んで実践に活かすタイプではないようです。実践を通して失敗しながら学ぶ方が良いかも知れませんね」


 頭を使うことに向いていない、と言われたようでムッとした。一方で、納得できるところもあった。確かに、考えてから動くよりは、まず行動してみるタイプだと自覚している。最近では、コンビニのアルバイトでそのことを痛感したばかりだ。店長に言われるままにシフトを詰め込んだ結果、課題提出前に大変な事態に陥ってしまった。


「2月に就職活動関係のイベントが大学で開催されます。企業の方が数名、ゲストとして参加してくれます。そこで司会者としてファシリテーションを実践してください。」


 なんですって?…というか、私も就活生なんだけど…。


「あなたは公務員受験なので、就活の本番はもっとずっと先なので大丈夫です。」


 なるほど。…いや、しかし…。一応、検討する余地の有無を確認してみる。


「遠慮することはありません。よい勉強になると思うので頑張ってください。ちなみに、各回90分です。」


 各回?1回じゃないってこと?


「はい。計3回を予定しています。毎回ゲストや参加学生が異なるので、ファシリテーターの腕の見せ所です」


 いや、だから見せるほどの腕がないんだってば…。


 とはいえ、断れる雰囲気をつくってくれないのがこの先生。相変わらず穏やかに強引だ。


 春休み期間の大きな宿題を引き受けてしまった。


                   ※


 イベント初日は、15名の学生が参加していた。テーマは、『「働く」を考える』。ゲストは、3名。いずれも30代の社会人だった。1人は証券会社を辞めて起業した男性、1人は建設現場で地質を調査している男性、1人は高齢者福祉施設で人事をしている女性。見事にバラバラだった。

 自分とは一回り以上年齢が離れている3人の社会人をファシリテートできるだろうか。開始時間が近づくにつれて不安は大きくなる。でも、今さら後戻りはできない。


 一応、準備はしておいた。先生がファシリテーターをしていたイベントに参加し、話の回し方、受け止め方、質問の仕方、ゲストのコメントの掘り下げ方などを細かくメモしていた。


 ま、これだけ調べておけばなんとかなるだろう。


                    ※


 結果は、散々なものだった。


 参加学生たちが解散した後、地質調査会社のゲストが声を掛けてくれた。


「私が上司だったら、あなたを採用したいと思いますよ」


 嬉しかったが、複雑だった。彼が評価してくれたのは、ファシリテーションスキルではない。スキルが未熟なくせに司会にチャレンジした「姿勢」を評価してくれただけだ。


「課題は見つかりましたか?」


 ゲストの帰宅を見送り、先生が言う。


 課題しかありません。


 思った通りに進まなかった。先生が助け船を出してくれなかったら、あたし1人のファシリテーションで90分間をもたせることはできなかっただろう。不自然な沈黙が生まれたり、気づけば話題が脱線してしまっていたのは、なぜか…。

 先生がやっていたように質問し、深掘りをしようとしたのに、思うようにいかなかった。話が膨らまない。盛り上がらない。何かが違った。


「次回に期待しています」


 少し、火がついた。


                   ※


 翌週、2回目のイベントが開催された。参加学生は30名。テーマは、『人の「人生」に学ぶ』。ゲストは前回と同じく3名だった。1人は研究職から大学職員に転職した20代の女性、1人は出産をきっかけに介護職を辞め、現在は専業主婦として2人の子供を子育て中の30代の女性、1人は、海洋関係の勉強をした後、東京のホテルでの修行を経て、実家の旅館の経営に携わっている50代の男性。


 前回の学びは「想定の甘さ」だ。事前のシミュレーションができていなかったから対応が遅れた。シミュレーションしていればイレギュラーが発生したとしても微修正のみで乗り越えることができたはずだ。


                   ※


 結果は、満足のいくものだった。

 

 ゲストの沈黙もほとんどなく、楽しそうに話してくれていたように思う。何より、先生の手助けがなくても、自分の力だけで90分間をファシリテートすることができた。


「お疲れさまでした。いかがでしたか?」


 全員が解散した後、先生が声を掛けてきた。前回より上手く出来たことは間違いない。納得の結果だった。


「主婦の方が何を話していたか、覚えていますか?」


 主婦…?そう言われてみると…。最初に自己紹介して、子育ての苦労を話してくれて。その後は…。


 大学職員の女性は就活の面接時に役立つノウハウと絡めた様々な情報を提供してくれた。話題のチョイスに、学生に聴かせることへの考慮が感じられた。そのため、さらに有意義な情報を引きだそうと深掘りをしたつもりだ。また、旅館経営の男性は、経営の難しさや面白さについて語ってくれたため、企業研究のつもりで気になる点について質問をし続けた。参加学生たちも熱心にメモをとってくれていたから、ファシリテーションとしては成功だったと思う。しかし、主婦の方はどうだったか…。


「なぜ、主婦の方はあまり話さなかったと思いますか?」


 大きな宿題を、また一つもらった。


                  ※


 いよいよイベント最終回。参加学生は17名。テーマは、「若手社員の話を聴く」。今回のゲストは2名だった。1人は公務員として働く20代の女性、もう1人は4社の転職経験を持つ30歳の男性。


 短い期間の中で3回目のファシリテーションともなると、なんとなく法則というか、決まった流れのようなものが予想できるようになってくる。…あ、この人はここをもっと話したいんだな。もう少し時間を使って掘り下げてみよう。面白い考え方だけど、もう1人のゲストはどう考えているのかな、話を振ってみよう。


 90分間があっという間だった。もっと時間があればいろいろ話を引き出せたのに…。ゲストの方々はまだまだ面白いネタを持っていそうだった。前半で時間を使いすぎてしまったか。そのせいで後半が駆け足になってしまったのだ。自分の不甲斐なさが悔しかった。


「話を聴くのが上手ですね」

「本当に1年生?とても話しやすかったです」


 イベント終了後にゲストの2名から交互に掛けられた言葉。不完全燃焼だったが、今回はゲストの言葉を素直に喜ぶことができた。ファシリテーションを褒めてもらえたから。


 夜、先生から長文のmailが送られてきた。


「最後までゲストに関心を向け続けられていましたね。だからゲストの方々は話しやすく感じたのだと思います。ファシリテーションもその基本は対人コミュニケーションです。相手を観察し、丁寧に反応することで、心を開いてくれます。ファシリテーターの配慮によってゲストが安心して話せる環境をつくることができるのです。今回の成功は、あなたがコミュニケーションの基本を実践した結果です。これからも精進してファシリテーションを極めてください。お疲れさまでした。」


 保存完了。


 たくさん褒めてもらえた。今になって思えばやってよかったと思う。ファシリテーションがどのようなものか少だけ理解できたからだ。感覚的な理解だが、あたしにはその方が性に合っている。


 満足感を堪能しながら、気がつくと机の隅に置かれてあった分厚い本を手に取っていた。

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