異世界だってスローライフだFIREだの前にやる事が多いだろう

 アスタリシア公国の首都、ギリフ。

 冒険者ギルド兼ジョブ紹介所の受付の仕事を始めてから、はや半年。

 前回の生存報告から、気づけば4か月が経っているじゃないか。


 挨拶が遅れて申し訳ない。

 俺は優史郎。

 日本に居た頃はブラックな会社に居た人事部所属の社畜サラリーマンだった。



 いわゆる異世界転生と思われる奇跡に遭遇したものの、結局のところ転生先である異世界も自分のスキルで生きるか死ぬかの毎日を過ごす冒険者か、給料を貰う代わりに組織に奉公するという、いわゆるサラリーマンの向かう先はブラック企業だらけ。

 俺は着実に無難に生きて行こうと誓ったが、この世界で会う連中は皆、異世界特有のチート属性ばかりだった。


 俺の前任だった美女の看板娘ナーシャからは最近、便りが届いた。

 地元に帰って恋人と結婚した後、子が産まれたらしい。

 馴染みの新人冒険者だった頼りない少年エストは、北境の地で生け捕りにされたワイバーンの世話をしているうちに心を通わせ、底辺職であったテイマーが今や立派なチートスキルとして成り立つと、新米の吟遊詩人や小説家たちが必死にその冒険譚を描いている。


 俺は日本から転生したものの、無難な生活のまま。

 まぁそれもいいのかもしれない。少なくとも、ここは異世界なのだから。

 人事部だった頃のスキルで、クエストや仕事の紹介をすることでマージンが得られているのだから、やりがい搾取の職場よりはマシと言えるだろう。



 と、言ってる間に、おいでなすった。

 ここ最近ギルドに顔を出すようになった新人の女冒険者、盗賊のマリーだ。

 こいつは最近、冒険者としてのクエスト紹介ではなく、ジョブ紹介でここにやって来るようになった。

「ねぇ、ユーシロー。こないだあたしに紹介してくれた仕事はとんでもないブラックだったよ? ホントにギルドの受付やる気あるの?」

 マリーは俺の向かいでカウンターに頬杖をついて、腐ってる。

 腐りたいのは俺の方だ。

 全く仕事が長続きしないし、試用期間で退職するから俺への紹介マージンも出ないどころか、クライアントからは怒鳴られる始末だ。



 というのもマリーはこれまで盗賊として、遺跡発掘の警護役など容易なクエストを行っていたが、要領が悪い。

 ドラゴンやオーガ、サイクロプスなど危険なモンスターと隣り合わせになる高難度のクエストは報酬がデカいが命を落とす可能性がある。

 対して、コボルトやゴブリンなどの下級モンスターは巣に入った人間を襲う程度で、連中は死肉しか食わない。

 命を落とすことはないが、奴らは光りモノが大好きだ。

 結果として、気絶しているうちにリレン通貨や武器、防具のたぐいを身ぐるみ剥がされ無一文に……てなことを繰り返していた。

 


「あたしはできれば楽な仕事で、そこそこ稼げればいいんだってば」

「そこそこの仕事なんてないだろ。給与が高ければ残業も多い過重労働だ。週休日数が多いならそれなりの手取りでガマンするしかない」

「だからさ、片手間で仕事をしながら、週末にクエストで遺跡やダンジョンに入るくらいがあたしには丁度いいんだよね」

「いわゆるFIREってやつだな。独立したいのか?」

「あたしファイアーの魔法は使えないよ。でも独立かぁ、いいねぇ。そういう勉強が出来るジョブ紹介をしてよ」

 無論FIREとは経済的自立、早期リタイアのことだ。俺は訂正も面倒なので会話を流しつつ、カウンターを指で叩きながらマリーの意思を確認してやった。

「資格やスキルを習得する気があるのか?」


 マリーはそれきり微動だにせず黙った。

 たぶんそこまで考えてなかったんだろう。

 盗賊職もそうだが、手に職を持つなら一流として自分の価値を高めていかなければならない。それは俺も日本に居た頃、会社から再三言われた面倒くさい念仏のようなものだったが、まさかそれを俺が異世界に来て他人に言うとはな。


「じゃあ独立の勉強に向けて、独立した人の職場を紹介してよ?」

「同じ資格を取るならいいだろうが、事務職はやめておけ。一般に弁護士、社労士、司法書士とかの士業は、客に向き合う志は高いだろうが、社会的には個性派でヤバめの奴も多い。しかもオーナーだぞ。そこから先は察せよ?」

「それはあくまでユーシローの意見でしょ? じゃあ王宮勤めとかの方がいいかな? 公務員なら安泰じゃない?」

「公務員は閉じた世界に居るせいか、世間知らずで癖の強い連中も多いからな。異動もあるし、目的のスキルを得られるかはわからんぞ。安泰ではあるがな」

「それもユーシローの意見でしょ?」

「そうだ。あくまで俺個人の意見だ」


 いまいち理解できないのか、マリーは質問をいくつも被せてくる。

 俺は丁寧に答えてやった。ブラック企業の人事部として、他のブラック企業を見てきた俺にしてみたら、造作もないことだからだ。


「だとしたら、やっぱ小さなお店や会社に奉公するのがいいんでしょ?」

「どうだろうな。急にコンサルタント入れて高いコンサル料を取られた挙句に、給与体系や人事考課を大企業のマネをして、古参の社員が逃げ出すなんてこともある」

「だったら、やりがいがある方が良くない?」

「それは以前、別の奴に説明したが、やりがい搾取という問題もあるぞ。キツい業種にありがちだな。他によくある例が人材を『人財』とか書いちゃったり、『働く』『勤める』をひらがな表記してみたり『仕事』をカタカナ表記して、企業での労働を柔らかいイメージに誤魔化しつつ、僕たちこういうユーモアセンスもあるんだよ、ってやっちゃう系だよ」

「それなら、人に役立つ仕事がいいかな?」

「これもあるあるだが、徹底した顧客志向ってのは消費者にしてみれば悪い話じゃない。でもそのせいで、逆に社員の幸福度や給料が二の次になってる会社も多いぞ」


 痺れを切らしたのか、マリーはカウンターを叩くと腕を組んだ。


「じゃあやっぱり、ブラックなとこに就職するしかないじゃないのさ! ユーシローは『あそこはやめとけ』『これは危ない』しか言わないんだもん!」

 口をへの字に曲げて頬を膨らませるマリーだが、俺は鼻白んだ。

 ギルドの前任ナーシャくらい可愛げがあれば許せる仕草だが、こいつは気が強いくせにこういう間違った仕草をするのが腹立たしい。

 組織で悪目立ちする社員の典型は『我を出し過ぎること』だ。

 それも間違った我を出す奴が多い。

 無色透明で柔和、温厚、穏便。でもやる気が無いように見せてはダメ。

 加えてたまには意見をしないと、何も考えてない奴というレッテルを貼られる。


「そういうことだよ。多少は妥協しなきゃいけないんだ。例えば毎日遅くまで残業する激務でも給与が良ければ、早期リタイアの時期は早まるよな? 逆に週3とか4回バイトするくらいの手取りでいいなら、生活に困窮しないよう、それ以外の副収入を確立しなきゃならんってことだ」

「そしたら、あたしは毎週クエストに出なきゃいけないってこと?」

「そうだ、マリー。お前は毎回クエストでナイフや硬貨をコボルトに奪われているよな? そんな程度じゃまだまだ独立もリタイアも無理だ。悠々自適のクエストライフなんてのも夢のまた夢だな。まずは先に巣立っていった冒険者のやつみたいに、自分のスキルを磨きつつ貯金に励むしかないな」


 安易な夢を打ち砕かれて露骨にガッカリとしたマリーは、カウンターに突っ伏す。

 だが、脳筋のいかついオッサン冒険者ならともかく、こんなガサツでも一応女だ。

 女子に不用意に死なれたらこのギルドの華が無くなる。

 冒険者なんか諦めて、地に足つけて働くのがいいだろう。


 そうだな。マリーのようにガサツで乱暴でも、盗賊という稼業で危険な職場に居る必要はない。

 例えば、永久就職というのも手じゃないのか?

 まぁこいつがどうしてもというなら、俺の隣にでも――。


「そっか。いいこと思いついたわ。ちょっと家に帰って考えをメモにまとめてこよう。ありがとう、ユーシロー!」

 俺が考えごとをしているうちに、マリーは手を振ってギルドを去っていった。



 それから数か月は黙って働いていたマリー。

 まるで人が変わったかのように、仕事をいくつも掛け持ちした。

 そして週末のクエストも慎重に選んでは無事に帰還して金品を守る。

 どうやら黙々とFIREに向けて、将来の金を貯め始めたのだろう。



 だが、ギリフの商工会にマリーが起業した会社が加盟したと聞かされたのは、それからしばらく後のことだ。

 あいつは、冒険者限定の保険屋と銀行業を始めた。

 コボルトやゴブリンに金品を奪われた時のために加入する保険。もしくは奪われないためにクエスト前に身銭を預けておく口座システムを構築した。

 これで命を落とさない限りは、新米の冒険者も安心してクエストに出られるようになった。

 加えて、預かっている間の冒険者の金は、ただ寝かせているだけじゃない。

 利息を付けて他の商店に貸し出しを始めた。



 後日、久しぶりにマリーがギルドに顔を出した。

 あいつはいつも黒のレギンスとタートルネックのシャツ、その上にネイビーカラーのボロい短パンと、職人が着るようなポケットがいくつもついたベストだった。

 それが、今のマリーは白のパンプスに上下とも赤のパンツとジャケットを着ているどう見ても女社長のたたずまいだ。

 

「ハーイ。ユーシローのおかげで独立と早期リタイア、週末のクエスト、全部楽しめるようになったわ。商売が軌道に乗れば、あとは従業員を雇ってあたしは冒険の日々に戻れるし、FIREって最高だよ」

 すると、隣りに居るバイトと思われる少年がマリーの店のチラシを出した。

「良かったら、ユーシローには特別利息で融資するよ? このギルドをもっと大きくして、あなたもFIREしちゃえばいいじゃん」

 それはチラシかと思ったら、口座開設と貸付の案内書だった。

「あとさ、商工会の中でナメられないように、もっと店を大きくみせたいから、口座だけでも作ってくれない? ここに名前を書いてくれるだけでいいんだけど、ユーシローってどうやって書くの?」

「俺は日本から来た者で漢字だぞ。マリー、お前書けるのか、漢字が」

「ニホンもカンジも知らないけどいいじゃない。馴染みの仲なんだからさぁ」

「……優史郎。『優游自適』の優に『史上空前』の史……そして『下郎』の郎だ」

「恩に着るわ、ありがとね」



 けっきょくこの世界の連中はどいつもこいつも主人公属性というチートスキルで、主人公補正というチートをする、チーターの集まりだったんだな。

 誰もが俺を踏み台にしていきやがる。


 日本から来た俺はいつも置いてけぼりで、未だに勤め人。

 そして異世界でも恋愛する余裕はない。

 そうだ、時間的余裕が無いんだ。仕事が充実してるからな。

 決してモテないんじゃない、俺は。


 ちくしょう、今日は苦いエールでも飲みまくってやる。

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