アナザーガーデンの盗掘団

奈名瀬

第1話

 長い付き合いだ。従姉が嘘を吐いてる時はわかる。


「すまない。出発前にトイレへ行くのを失念していて――だから、その……一度、この装甲車を止めてもらう訳にはいかないか?」


 ちなみに、これは嘘だ。

 しかし、植物学者、向坂いちごのことを知らない自衛官にはそれが本当に聞こえたらしい。

 彼が無線機へ話しかけた後、装甲車は緩やかに速度を落としていった。


「……いち姉」


 呆れて従姉のあだ名をこぼした途端に目が合う。

 彼女は『その口は閉じていろ』と、言いたいようだ。


「…………」


 本来、安全面を考慮するなら、自衛官に『従姉は嘘を吐いている』と伝えるのが正解なんだろう。

 だが、小さな車窓を覗き込み、うっそうとした森……いや、異世界の植物たちに眉をひそめながら(でもなぁ……)なんて考える。

 俺は、従姉のわがままに『NO』と言えないのだ。

 彼女には赤ん坊の頃から散々世話になっているだけでなく、就職浪人しそうだった所まで救われてしまった。

 縁故採用で今の植物研究センターへ入れていなければ、おそらくまだ履歴書に『円加桐青』と名前を書き続けていただろう。


「……はぁ」


 装甲車が止まったのは、言える筈のない言葉に代わって溜息を吐いた直後だった。



 装甲車へ乗り込む前――、


『ユニコーンやエルフはこの辺りにはいませんよ。ただ、ゴブリンみたいな危険度の高い生物が生息している場所も通りませんから、そこはご安心ください』


 ――そう自衛官に微笑まれた。


『異世界の森へ入る』なんて言われ、幻想的な動物との出会いを全く期待しない程に子ども心は失っちゃいない。

しかし、ひっそり落ち込む従弟とは違い、いち姉は最初から異世界の『動物』になんてまるで興味がなかった。


「おぉっ……! これは、すごいなっ!」


 森へ足をおろした途端、彼女は遊園地に来た子どもみたいな声をあげる。


「どこを見ても知らない子達ばかりだ!」


 興奮した様子の横顔からは尿意なんて欠片も読み取れない。

 嬉々として茂みへ駆け寄る姿を見送った所で、一人の自衛官と目があった。


「……まさか?」

「……そのまさかです」


 従姉の嘘に気付いた自衛官へ軽く頭を下げる。

 すると、彼は「勝手は困りますっ!」と語気を強めた。

 返す言葉もない。

 ただ……植物を前にして、いち姉がじっとしていられる訳などないのだ。

 勝手を許さず癇癪を起されるより、数分だけでも好きにさせた方が彼女のかじ取りはし易い。

 そんなことを考えながら、つい軽い気持ちで「本当に申し訳ない。けれど、この辺りには危険な動物はいないんじゃ?」とこぼした直後――、


「なにを馬鹿なっ! この辺りには盗掘団の目撃情報があるともお伝えした筈ですっ! 死傷者だって出ているんですよっ!」


 ――胸の中に危機感が生れた。


「今すぐに連れ戻してきますっ!」

「当然、自分も同行しますから!」


 直後、男二人で慌てて装甲車から降りる。

 だが、最もその身を危険に晒している張本人は――、


「桐青っ! これを見てみろ! ああ、三等陸曹もぜひ! とても興味深いぞ!」


 ――宝石でも見つけたような明るい表情で、一匹のヘビを指差していた。


「いや、今そんな場合じゃ……えっ?」


 ……ヘビ? あの、いち姉が?

 真っ先に、自分の目がおかしくなったのだと思った。

 俺達を囲む植物は立ち並ぶ樹木から足元の雑草に至るまで何もかもが未知の植物だ。

 未知の動物と植物――両方を前にして、前者が彼女の興味を勝ち取るなんてありえない。

 むしろ、いち姉ならば、見慣れた『雑草』とドラゴンが並んでいても『おお! あれはオオバコではないか! 見えるか桐青、デカいトカゲに踏まれているぞ!』と言いかねない。

 だからこそ、目を凝らす。

 従姉が指差してみせた異世界のヘビに……。


「……あの、円加さん? 向坂博士を連れ戻すのでは?」

「…………」


 唇を結び、息を殺して『ヘビ』へと顔を近づける。

 そして、鼻先がくっ付きそうな距離になってようやく気付いた。


「……これ、ヘビじゃない」

「は?」


 傍にいた自衛官の口から声が漏れると、いち姉は笑いながら手袋をはめる。


「そう、これは植物だ! 日本にもマムシグサと呼ばれるヘビに似た模様を持つ多年草はあるが……ふふ、比較対象にすらならんな! あれは私達の目にそう見えたというだけの話でしかない。しかし、これは違う! 明らかにこの植物は、自らヘビの形を模している!」


 持ち上げられた植物は尾に見える部分から地面へ向かってぴんと根を張っていた。

 しかも、真上からでは見えなかった小さな根がヘビで言う腹の部分に等間隔で生えている。


「……そういう動物の死骸という可能性は?」

「む? まぁ、なくはないかもしれんが……」


 いち姉はナイフを取り出すなり、太い茎を切断してみせる。

 けれど、動物ならば流れるであろう血が一滴たりとも出ず――、


「見てみろ」


 ――その切断面は、ひまわりみたいな太い植物が持つ茎にしか見えなかった。


「どうだ! 植物だろうっ!」

「確かに……でも、なんだってこんな形に?」

「理由はいくらでも考えられる。例えば、草食獣から身を守るためだとか、逆にヘビを食べる猛禽類のような生き物に自らを襲わせ、種子や胞子を遠くへ運ばせるだとかな……というか、もっと他に気にすべきことがある筈だぞ?」

「他に?」


 首を傾げた途端、従姉の眉がつり上がる。


「桐青、植物には目がないんだぞ? なのに、何故ここまで姿形をヘビに似せることができたんだ?」

「え? ……あ、あー! そう言えば……なんでだろう?」


 いち姉と疑問を共有できた瞬間、頭上に巨大な疑問符が浮かぶ。

 だが――、


「伏せてくださいっ!」


 ――悠長に考察する時間を、俺達は与えられなかった。



 どちらが早かっただろう。

 野太い声に続いて、手持ち花火から火が噴くような音を聞いた。

 音のした方へ目をやると、周囲に白煙をまき散らす玉が転がっている。

 それは、この煙が人為的なものであることの証明だった。


「この煙は……目くらまし?」

「話に聞いてた盗掘団かっ」

「おそらく!」


 銃を構えたまま、自衛官は周囲を警戒する。

 彼は同時に装甲車の連中へ無線を飛ばしたようだが……応答はない。


「っ……本隊に応援を要請します。といっても、それまで無事でいられるかはわかりませんが」

「……向こうは何人くらいいると思う?」

「わかりません。発砲音どころか組み合ったような物音すらしませんでしたから」


 視界が悪い白煙の中とは言え、自衛隊が音もなくやられたのか?

 もしそうなのだとしたら、今の自分に何ができる?

 相手が丸腰で来ている訳はない。

 いち姉を護りながら、正体不明の敵と戦うことができるだろうか?


(バカか……これは、学生同士の喧嘩じゃないんだぞ)


 『結論を急ぐな』と自分に言い聞かせつつ、拳を握りしめる。

 いっそ、この白煙を利用して逃げることはできないか?

 ダメだ。素人に思い付けることなんてたかが知れている。

 素直にプロの指示を仰ぐべきだと考えた矢先、


「うっ……ぁ……」

「え?」


 突然、自衛官がその場に崩れ落ちた。


「どうしたっ、大丈夫かっ」


 咄嗟に彼を助けようと体が動く。

 しかし、


「あ、れ……」


 踏み出した脚は踏ん張りがきかず、気付いた時には地面に膝をついており――、


「……桐、青っ」


 ――それは従姉も同じだった。

 振り向くと、彼女は倒木にへたり込む形で体を支えている。

 我ながら間抜けだが……こうなってはじめて、相手が白煙を撒いた目的に思い至った。


(目くらましなんかじゃない。この煙で、体の自由を奪えるのか……)


 既に足は動かず、腕をあげることもままならない。

 その上、ひどい眠気が訪れ、意識まで朦朧とし始めた。


「……く、そ」


 無力感を味わいながら、つい暴言を吐く。

 そして、煙幕が晴れた時……目の前に、人影が現れた。

 背恰好がよく似た二人の男だ。

 どちらも粗末な外套の下に、同じような皮鎧を着込んでいる。

 だが、彼らの髪……金を紡いだような金髪と、濡れたカラスのような黒髪だけは対照的だった。

 黒髪の男が近づいて来て、鋭い眼光を向けてくる。

 男の唇が動いたが、挨拶をしている訳ではないだろう。


(……くそったれ)


 もはや話すこともままならない。

 しかし、薄れていく意識の中――、


「……っ!」


 ――黒髪の男が向けた眼差しが……昔、喧嘩をした相手を思い出させた。

 だからこの時、俺の拳が黒髪の頬をかすめていったのは……はんしゃてきな、できごとだった。

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