第41話 初めてを捧げる

 車で移動する間、ジンとは会話らしい会話をしなかった。

「うっかり事故ったら今夜が台無しになるから」とジンは真剣な面持ちで言う。


 タクミは他にやることもなく、三十秒に一回くらいジンの横顔をチラ見した。


 時おり対向車のヘッドライトが反射して、ジンの端正な顔立ちを際立たせる。

 あらゆるパーツが彫刻のように整っており、本当に漫画のキャラクターと一緒にいる気分だった。


 水無月もきれいだ。

 血なのだろうか。


 信号待ちの時、ジンの左手がタクミの太ももに触れてきた。

 手つきに嫌らしさは微塵もなく、互いの熱を交換するみたいで心地よかった。


 やがて見覚えのある景色に変わる。

 ひときわ高い建物が住宅街にそびえており、ジンのマンションだった。


 守衛のいるゲートを抜けて地下の駐車場に入っていく。

 エンジンの音が消えると車内はほぼ無音になった。


「やっぱりいいな。助手席に誰かがいるのは」


 ジンがシートベルトを外しながら言う。


「神室さんは優しいですね。俺のことを肯定してくれるので。側に存在するだけで褒めてくれます」

「本心だからな。近くに天野がいると楽しい。もっと愛でたくなる」


 髪の毛にタッチされた。


「それに俺は優しくないぞ。これから天野の体に酷いことをする」

「酷いこと……」


 具体的な内容が想像できてしまい恥ずかしい。


「分かるよな?」

「まあ……予習は十分ですから」

「明日は寝不足になるかもしれない。二人で昼過ぎまで寝るのも悪くないな。延長戦をやるかは、その後に二人で考えよう」


 ジンの目は欲望でギラついており、隙を見せると一瞬でねじ伏せられそうだ。


「上手くお相手できるか不安です……」

「安心しろ。俺だって男と寝るのは初めてだ。失敗したくないから、水無月から色々とコツを聞いた。最低限の注意ポイントは仕入れてきたつもりだ。これから二人で勉強していこう」

「はい、ご一緒に勉強させてください」

「いい返事だ」


 ジンに見つめられると下腹部のあたりが熱くなる。

 期待と恐怖が入り混じって、生々しい感情が爆発してしまいそうだ。


「ほらよ」


 車を降りるなり、ジンは片手を差し出してきた。

 手をつないで歩くぞ、という意図らしい。


「こんな時間だ。隣人に見つかる可能性は低い。もっとも俺は見つかっても平気だがな」

「俺だって平気ですよ。少しも恥ずかしくないです」

「その割には顔が赤いぞ」

「やっ……」


 反射的に顔を隠してしまう。

 そんなタクミが面白いのか、ジンはクックと喉の奥から笑う。


「可愛いな、天野は。狙ってやっているのか?」

「まさか⁉︎ 俺にあざといキャラクターは無理です!」

「狙っていないのか。天然だとしたら本当に可愛いな」

「もうっ! 揶揄わないでくださいよ!」


 昔から『天野は女の子みたい』と笑われることがあった。

 小学生の時はそのせいで激しく傷ついた。


 でもジンはそんな自分を可愛いと言ってくれる。

 存在を許された気がして、心の深いところが溶けそうになる。


「今日からここが天野の家だ。間借りなんかじゃない。正真正銘、二人の家だ。そういや運転免許証は持っているのか?」

「いちおう、大学生の時に取得したのが……思いっきりペーパーですが……」

「この車も乗りたければ自由に使え。買い物が楽になるぞ」


 いや! 無理です! 壊します!

 そう答える代わりに手をバタバタさせていると手首を掴まれてしまう。


「あまり俺を待たせるな」


 二人の手が一つになる。

 ジンにリードされつつエレベーターホールへ向かった。


 エレベーターの中には大きな鏡がついている。

 ドアが開くと背の高さも服装もまったく違う二人が映った。


 不揃いなカップルだな、と思ってしまう。

 歳だって九つも離れている。


 こんな自分のどこに惚れたのだろうか? と疑問に思ってしまうタクミのことを、ジンは普通に愛してくれる。

 その事実がひたすら嬉しかった。


「天野は疲れているだろう。楽にしてくれ」


 家に帰るなり、タクミはソファーに座らされた。

 ジンが冷蔵庫からジュースを一本取ってきて、開封してからタクミの前に置き、そのまま風呂場へ向かってしまう。


 今夜はジンが湯張りしてくれるらしい。

 本当に優しいな、と思いつつ微炭酸のオレンジジュースを飲む。


 甘酸っぱい味がする。

 一人で笑って、もう一口飲む。


「すぐにお湯が溜まる。それまで天野の体で癒されたいのだが、いいだろうか?」

「きれいな状態じゃありませんよ⁉︎」


 口では渋りつつもジンが座るスペースを提供してしまう。


「むしろ、いい。天野の体臭は嫌いじゃない」

「そんな……」


 逞しい腕がタクミの肩に回された。

 スポーツ選手同士でやるようなやつだ。


 そんなにエロいわけじゃない。

 エロいと思ってしまうタクミの頭がエロいだけ。


「ヘビに睨まれたカエルみたいに怯えやがって。そんなに俺が怖いのか?」

「怖いですよ。だって、神室さんに嫌われたら死にたくなります」

「本当に可愛い奴め」


 何回かキスをもらう。

 耳の上から、首の付け根に、そして髪の生え際。


 キスの嵐から解放されたタクミは、ジンの顔を近距離から直視した。


「どうした? 天野もキスしたいのか?」

「神室さんの頬っぺたにキスさせてください」

「いいぞ、気が済むまでキスしてくれ」


 ジンの肩に手を回す。

 ゆっくりゆっくり唇を近づけてみる。


 ちょこんと肌に触れた時、自分からキスするのは初めてだと思った。


「俺の初キスです。誰かにされるんじゃなくて。自分の意思でやりました」

「お前……」


 ジンが虚を突かれたような顔になる。


「本当の本当に可愛いな」


 思いっきりハグされた時、お風呂場から明るいメロディーが流れてきた。

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