拾ったのは生体兵器 2

 詩音が帰りに一緒にファミレス行こうと誘ってきたけど、私は持ち合わせがないからと断った。本当はお小遣いは父さんからたくさんもらってるから行く余裕はあるのだけど、シンプルに女子グループと共に食事するのが嫌だった。

 私は帰って漫画でも読んでゆっくりするとしよう。何が悲しくて親しくもない連中と金払って飯を食わねばならんのよ。

 空を眺めると、いつのまにか雲はどこかに消えて空は一点の曇りもない澄んだ晴天だった。こんな青空では雨が降ることはないだろう。同時にこの空のように平和なこの国が突然戦火に焼かれるようなこともないだろう。世の中そう簡単にひっくり返ったりはしないんだ。

 そう思って私は校門を通り過ぎると、ヘアゴムを外してポニーテールを解き、代わりにカバンに隠していたカチューシャをつけた。歩いて通える距離だからって校則の厳しい高校に入るんじゃなかった。何で詩音みたいなロン毛は良くて、カチューシャやリボンは禁止なのか理解できない。


「ん?」


 私が帰路に向けて歩いていてふと横を向くと、フェンス越しに見える一般に開放している学校図書館があるところでゆらりと人影が見えた。勘だけど多分生徒ではない。それどころか、もっと小柄で子どものようだ。ワカメの化け物みたいな服を着ていた。


「誰だろ」


 私は好奇心に駆られて再び学校の敷地に戻った。昔っから変なことに限って私は無駄な行動力を発揮するのだった。昔リコリス飴がタイヤ味と聞いて、事実を確かめるために家の車のタイヤを1時間しゃぶってお腹を壊したこととかあったな。

 大方、図書室が平日は在校生しか使えないことを知らずに来てしまったんだろうけど、私には何か様子が違うように感じた。


「どこに行ったんだろ」


 私が回り道する手間を惜しんでフェンスをよじ登り、図書館の扉まで来た時にはその子の姿は消えていた。やはり図書室が目的で閉まってたから帰ったのかな? しかし、何だろうかこの硫黄みたいな臭いは。吐き気が込み上げてきたけど引き返してはいけない直感がする。やっぱり何か引っかかる。


「……?」


 その時、真後ろで金属物が地面に落ちる音が鳴り響き、それが古臭い校舎に木霊した。

 背後にあるものは振り向かずとも分かっている。災害用の防災食品とかブランケットとかの非常用設備が備蓄されたコンテナだ。今のは南京錠が落ちた音だろうか。つまり、さっきの子はコンテナの裏にいるってこと? 何で非常用コンテナの鍵なんて持ってるの? 


「かくれんぼってわけでもなさそう」


 私は最悪のケースを想像して、カバンからハサミを出して右手に持ちながらコンテナの裏に回った。もしかしたらただ小柄なだけの泥棒かもしれない。あんな場所に金目のものがあるとは思えないが、発電機とかは案外高く売れるのかもしれない。

 私は息を殺して頭だけ出し、そっと裏側を覗き見た。地面には予想通り鎖が付いたままの南京錠が落ちていてコンテナの扉が開けられている。中にいるようだ。この臭いの出所もここだ。

 私はハサミを持つ手に無意識に力が入っていることに気づかず、そのまま開いた扉まで歩みを進めていた。もし泥棒ならとっ捕まえたら内申点にもプラスになるかもしれない。そんな射幸心に胸を膨らませていた。

 そうして扉から中を静かに伺った時、私は思わずあっと声を出しそうになった。

 中でひどく汚い身なりの子どもが、私に背を向けた状態で保存食の乾パンを慌ただしく貪っていた。座り込んだ姿のまま垂れ下がった長髪が放射線を描いて地面に流れているのを見て、一目でホームレスという言葉が頭に浮かんだけど、ホームレス児童なんて実在するんだろうか。いや、今眼前にいるか。

 ワカメの化け物と思った服は、黒ずんだカーテンか何かを身体に巻き付けていたのがどんどん擦切れていき、あちこちがほつれて傷んだ結果そんな風に見えていた。所々から薄汚れた素肌が見える。裸に直に布地を巻いているのだろうか。

 私が声をかけようと口を開いた時、うっかりして足元の鎖を踏んで音を立ててしまった。


「!?」


 子どもはそれに反応して、電源が入ったような無機質な素早さで首をぐりんと曲げて振り向き、呆然と見つめる私と目が合った。


「だれだおまえ」


「私が聞きたいんだけど」


 反射的に言い返してしまった。大人げない。いや、そんなことより子どもが何でこんなことしてるんだろう? コンテナの中を見回したら、ペットボトルの飲料水やアルファ化米、さらに発熱材まで噛んだ跡があった。


「ぼ、ぼく、何やってるのこんなとこで? これ学校の備品だから勝手に食べたらダメだよ?」


「そうか」


「そうかって……」


 その子はまた私から顔を背けて乾パンを食べ始めた。袋に入った乾パンを一つ一つ摘まむのではなく、こぼれるのも構わず鷲掴みにして口に押し込んでるあたり、相当空腹らしい。


「ねぇ、これあげるからそれ食べるのやめたら? あんまり美味しくないでしょそれって」


 私はカバンからグミの小袋を取り出して子どもに手渡した。その子はブドウの形のグミを一粒汚い手で摘まんで、珍奇なものを見る眼差しでビーバーの歯みたいに伸びた爪で押したりしていたが、やがて弄ぶのにも飽きて口に入れた。


「!」


 どうやら口に合ったらしく、袋を逆さにして一気に口に流し込んだ。かわいいけど行儀がすこぶる悪い。ひどい親から逃げてきたんだろうか。もしそうなら教師に引き渡したらそのまま親に返されそうで後味が悪い。

 その時、駐車場で木佐貫が自分の愛車に乗り込むのが見えた。幸い私のことは気づかなかったようだけど、リュックを背負っているってことは授業早く切り上げた割にもう職員会議終わって帰るのか。


「ぼく家は?」


「ない」


 私は屈んでその子と目線を合わせた。皮脂でべたついた髪に泥やら何やらがこびり付いていて、まるでいが栗かウニみたいな髪型になっている。当然風呂なんかずっと入っていないようなので、鼻で息を吸うと至近距離ではより一層形容しがたい悪臭がして思わず噎せた。


「ゲホッ……ねぇ私んちに来ない? ごはん食べさせてあげるし何よりお風呂入ったほうがいいよ」


「……どうして?」


 その子は私の顔を睨みつけるわけでもなくじっと覗き込んだ。

 その目は暗く淀んでいて、この子にとってこの世の全てはあまねく自分を迫害するものだと信じ込んでいるようにすら感じた。私のことも疑う以前に最初から敵と決め付けてるようだ。


「目的なんかないって。君みたいな子を無視して放置したら気分悪いから。それだけ」


 そう言ってから私は吐き気を抑えて子どもの手を掴もうとしたけど、さっと手を引っ込められた。かなり警戒されてるようだ。その手も痩せ細って針金のようだった。これなら乾パンにがっつくのも当たり前だ。


「大丈夫だって、何も誘拐するわけじゃないんだから。じゃあついてくるだけでいいから。何か怪しいなと思ったらいなくなっていいから」


 これが教師に見つかったら地獄の蓋が開いたような面倒ごとに巻き込まれるのは目に見えてるけど、この子を放置して帰れるほど私の心は冷え切ってない。多分。不意に吹いた強風が校舎の所々で開いた窓を笛の穴にして唸り声のような不気味な音色を響かせ、私に何かの警告を発しているように感じた。

 ふと、足を見たらこの子はこの寒い時期で裸足なのに何故か霜焼けにはなっていなかった。さっきまでは靴を履いていたんだろうか。寒さで身震いをしている様子もない。

 私がせめてこの子の顔だけでも拭おうとウエットティッシュをカバンから取り出した時だった。


「あれ? 千明じゃん。どうしたんだお前も居残りか?」


 大声で頭上からいきなり呼びかけられた。

 知り合いなので私は取り乱すこともなく顔を上に上げたと同時に、パンパンに膨らんだカバンが空から降ってきて私の腕を撫でた。


「ひっ」


 あと少しズレたら私の頭に命中していたとこだ。私は慄いて後退りしてからもう一度真上を見ると、カバンを投げ落とした2階の窓を全開にして今度はその持ち主が飛び降りてきて颯爽と着地した。


「ふーいちいち反省文なんか書いてられねぇーよ。会議で見張りの教師もいねぇし帰るわ。で、お前も何かやらかしたの?」


「違うけど。つーかアンタが足や頭蓋骨折って一生モノのハンデ背負うのは全然構わないけど、カバン投げる時はちゃんと見てから投げてくんない危ない」


「わーったようっせぇな。ただでさえピアスの穴開けたくらいで説教されてイライラしてんだから嫌味言うな。ん? お前の後ろにいる子誰?」


 犬橋冷穏。詩音の双子の兄。さっき詩音が男子から好かれてる割に告白されたという話を聞いたことがないと言ったけど、それはバックにいるコイツが原因だ。詩音が私の幼馴染だから当然彼も幼馴染ということになるが、そうでなければ全く関わりたい部類の人間ではない。第一に彼はそのガラの悪さで中学の頃から有名だった。

 「院」に行ったことこそないけど、夏祭りで喧嘩した他校のアホに報復するためにその学校に乗り込もうとしたり、ブチギレて生活指導の教師を椅子で殴ったという極上のアホだ。

 この手の不良はいつキレるか分からないという威圧感と、まるで知らない来客に今にも吠えようとして睨みつける番犬みたいな凶暴さを美徳としているきらいがあると私は思う。それはコイツも例外ではない。

 それでいてやたら詩音には甘くて彼女の前では王子様を気取っている。いくら詩音と付き合えても、こんないらん付属品のチンピラとまで関わりたがる物好きはいないだろう。

 金髪に染めた髪が伸びてプリンみたいな頭になっているが、背は高いしルックスも悪くないので中学時代はモテていた印象がある。

 でも、大人になるまで道を蝶に例えたらさなぎの過程にある高校生には流石に現実が見え始め、問題を多く起こす冷穏とつるむ者は少ない。


「アンタには関係ないよ冷穏、私急いでるからまたね」


 それはもちろん私もで、冷穏と私が幼馴染だと知っている生徒は詩音以外にはいない。私は指定校推薦で黄山学院大学行きたいんだから、尚更教師には知られたくない。コイツも不良やるのはいいけど、ただでさえこのこの高校生徒数少ないのに一人イキッてて虚しくならないんだろうか。

 私は後ろに手をやって子どもの肩かどこかを叩き、とっとと敷地から出ようと冷穏の横を通り過ぎたら、彼に腕を掴まれた。力は込められてないけど武骨な男の手は少し痛かった。


「関係ないって言われたら余計気になるじゃんかよ。迷子……とかにも見えないな。きったねー身なりしてるな。服とかポロリしてねぇーのが奇跡なくらいボロボロだ。警察に連れてくのか?」


「とりあえず家で風呂に入れてごはん食べさせてからそういうのは考えるわ」


「そっかーじゃあ俺がコイツ風呂入れといてやるから、お前が料理作るなり買うなりしなよ」


「何サラッと家上がろうとしてんの。いつも上がってるからっていつでも入れるわけじゃないから」


 コイツ今日は随分としつこいな。腐っても幼馴染だしどんな性格かは互いによく知ってるから別に怖くはない。単純にコイツを誰もいない時の我が家に入れたくないのだ。いくら昔は一緒の布団で寝たこともあるとはいえ、嫌なものは嫌だ。


「おい! 汚い手で俺のカバンに触んじゃねぇ!」


「……あ?」


 冷穏が私から顔を背けたと思った瞬間、私の耳元で大声であの子を怒鳴りつけた。顔に水滴が飛んできたが多分唾だろうな。全く最高だ。

 あの子が冷穏のカバンを取ろうとしてあげたのに、コイツはそれが気に入らなかったらしい。窓から地面に放り投げた時点で充分汚れてそうだけど、そこはいいんだろうか。何にせよコイツとは一緒にいても気分が悪い。


「ちょっと!」


 私が怒って冷穏から無理矢理手を振り解こうとした時のことだった。

 子どもに罵声を浴びせたくらいだから、きっと詩音に匹敵するくらい大事なはずな冷穏のカバンが自分の脇腹に飛んできた。それもペットボトルロケットみたいな速度で。


「え」


「ぎ……いっ……」


 中にロクでもないのが色々詰まってるらしく、脇腹にモロに重たい一撃を食らった冷穏は踏まれた子豚みたいな声を漏らしてよろけ、真後ろの植木鉢に足をひっかけて、そのまま校舎の支柱に側頭部を強かに打ちつけて気絶してしまった。

 カバンの方はさらに飛んで校舎の外れの百葉箱まで行ってしまっていた。何が何だか分からない。私が目を丸くして子どもの方へ振り返ると、いつのまにか私の足元でしゃがんでいた。

 この貧弱なゴボウみたいな手では牛乳瓶ですら1メートルも投げられないと思うけど、アイツに怒られたのがよっぽど腹に据えかねて馬鹿力が出たとかそんな感じかな? そう私は無理に自分を納得させた。


「じ、じゃあ行こうか」


 何にせよ、面倒なのが伸びてくれたから助かった。見つかっても飛び降りに失敗したようにしか見えないだろうけど、一応流血の有無と脈はあるのかを確認してから私はこの場を後にした。

 そして私はこの時、この子に憐れみと同時に興味が湧いてきた。一体どんなことがあって逃げてきて防災食の乾パンを盗み食いなんかするハメになったんだろう。興味は尽きない。

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