帝國黙示録

占冠 愁

新天新地

第一章 極北の宮廷

第1話 2024年より愛をこめて

 手を開く。それから閉じる。

 白くて小さな手だ。


「……この身は、少女なのですね」

「何をいまさら」


 正面に座す閑院宮かんいんのみやが、興味もなさげに息をつく。


「その手に流れている血が普通であれば、こんな場所には来るまい」


 彼は窓の外を覗く。わずかに朝日に照らされた雲が流れていた。


「連隊直属……禁闕きんけつ部隊。お飾りに据えるには皇族が都合よかろう」

「とはいえ、どうして玲那わたしなのでしょう」

「ああ。皇女とて、年端も行かぬ娘を戦地ここに送り込むなど――」


 狂っている。遠い空を睨んで彼が零した言葉を、玲那れいなは掬い上げる。


「次に迫る戦争のほうが、より狂ってございますよ」

「それは……預言かね」

「ふふ。あるいは、宣言かもしれません」


 おもむろに船体が傾いて、立てかけていた小銃が倒れそうになる。ぱし、と銃身に手を添えて膝の上に置いた。


「どれだけ正気をかなぐり捨てようとも、前へ進まなければなりません。来たるべき『世界大戦』のためにも」

「……世界大戦、か」

「はい。玲那れいなは破滅しとうございません」


 そう言ったところ、閑院宮は呆れかえる。


「まだ言っているのか」

「玲那の至上目標ですもの。それに、この国の運命も懸ってございます」


 保身のためにも、史実の再来はなんとしてでも避けなければ。


(史実、か)


 ジリリリリと鳴り響く降下準備のブザーを背に、玲那は少しだけ思い耽る。


「続きは後だ」


 短く言葉を切って、閑院宮は船首ほうへと去る。玲那も自分の落下傘パラシュートを確認しながら鉄柵に命綱を架けた。背には閑院宮の声が響く。


「操縦士、観測士!」

「上空はほぼ無風状態。作戦遂行に支障なし」

「よし、今までの安全運航感謝する。どちらも持ち場を離れろ」

「はっ!」


 目標の直上へ見事に船を合わせて、彼らはそれぞれ脱出する。


「間もなく燃料尽きます」

「船体爆破準備完了」

「外気圧よし、全計器異常なしオールクリア!」


 その声にゆっくりと立ち上がれば、小隊長から不満げな声がかかる。


「準備終わりましたよ、闕杖官けつじょうかん殿」

「ふふ。お飾りは肩身が狭いものですね」


 玲那が自嘲すると、小隊長は一層顔を顰めた。


「嫌味ですか」

「いいえ?」


 正直な感想だ。玲那が言い出したこととはいえ、洋上を渡って航続距離の限界ギリギリで飛び降りる、飛行船は乗り捨ててそのまま爆破なんていう片道切符の地獄行き。こんな冗談みたいな特攻作戦にこんな歳の少女が駆り出されるなんて、お飾りでもなければありえない。


闕杖官けつじょうかん訓示」


 あぁ、前世なんて記憶がなければこうはならなかったのだろうか――すぅ、と玲那は息を吸う。


「これより、われらは世界で初めて空から敵地に殴り込む」


 ここは、高度二千メートル。


「当然ながら退路はないが、完遂の暁にはこの戦争が終わる!」


 声を高く張り上げて。


閑院連隊長宮かんいんれんたいちょうのみやをお護りするより、今宵の責は重いと知れ!」


 仏暁を背に渤海より侵入した飛行船部隊は、彩雲を掻き切って現れる。清朝も、列強諸国も、世界の誰もが想像しえない必殺の一撃だ。


「千年秩序をぶち壊せ!」

「「冊封体制に終止符を!」」

「歴史に我が名を、祖国に勝利を!」

「「皇國に栄光を!」」

「小隊諸君、死地への覚悟は!?」

「「われら白蓮、華麗に咲いてみせましょう!」」



「よろしい、降下口開放!」



 扉が開かれ、烈風が船内を馳せ回る。


「用意ィ、用意、用意ィーッ」

「降下ァー! 降下、降下ァ!」


 身を投げ出す。

 桃花咲き誇る荘厳の帝城を眼下に、思うのだ。


 あぁ、なぜこんなことに。

 玲那はうら若き乙女のはずなのに。高貴な皇女さまのはずなのに。

 どうして小銃を手に、敵地上空へ投げ出されなければならないのか。


 全身に圧し掛かる重力。顔を顰めて運命を呪う――なんで玲那は!


「悪役令嬢なのですかああああ!!」


 まもなく開く落下傘。ぐっと身体が引き上げられて、同時に記憶が込みあがる。忌々しいこの前世という記憶が。






 "なんでこんなこと!"






 脳裏を駆け巡る景色。あぁ、あの日も同じような事をボヤいたな。


「クソゲーだ」


 八月十五日。蒸し暑い昼前の駅のホームで、私はスマホを弄っていた。


「なんで私がこんなこと……!」


 画面に映るのは、角ばった美青年とキザなセリフ。私がプレイしているのは多分、乙女ゲームと呼ばれる類のものである。で、なんでこんなものプレイさせられているのかと言えば、日本史の自由発表で使うからだ。

 冗談でしょ、と言いたいところだが班分けが悪かった。乙女ゲー時代考察界隈を名乗る狂人3名と組まされてしまったのが運の尽きで、あのくじ引き箱は一生許さない。


 "乙女ゲームはオトコによってイメージが歪められたの!"


「知らないよ! 私は夢女子じゃないし!」


 "まず中世ヨーロッパ風なんてほとんどない。実際は時代物が多いの。特に人気なのは明治時代や大正ロマンで……"


 圧倒されるがままに手元に渡ってきたのがこのゲーム。明言はされていないが、モチーフは明治時代のようだ。

 主人公は平民の少女。優れた才覚を買われて華族学園に入学するが、他の令嬢にひどくイジメられる。貧乏なので靴やドレスが揃えられず陰で笑われるわ、仲間外れにされるわ、散々なところを見かねた皇太子殿下が手を差し伸べる。恋が始まる一方、それが他の御令嬢の顰蹙を買う――陳腐なストーリーだ。


「皇太子出てくるの? 不敬じゃない?」


 すかさず文句をつける。それだけじゃない。


「そして主人公は攻略対象の皇太子殿下はじめ、近衛の青年隊長だの、宮中のイケメン執事だのに気に入られて……そこで、日露戦争勃発??」


 このゲーム、歴史イベントを絡めてくるのだ。

 激動の時代。日清戦争では攻略対象死亡イベントが稀に起こるし、それを回避したとしても、なんと日露戦争では確率で敗戦エンドを引いて、ロシアの手で攻略対象ごと主人公は処刑されてしまう。


「なんなんのこのゲーム!」


 攻略ウィキいわく、陸軍や海軍のイケメン青年士官の攻略度合いが戦争の勝ち負けに影響してくるらしい。その要素いるか?

 悪戦苦闘する私に、乙女ゲーの烈士たちは首を傾げてこう言った。


 "テンプレみたいな選択肢進んでけばいいだけでしょ?"


「その"テンプレ"がわからないっての!!」


 乙女ラブロマンスの典型なんて知る由もない私は、仕方ないので別角度からの攻略を試みることにした。ラブロマンスのセンスで糸口を掴めないなら、歴史からヒントを得るしかない――ゆえに片手で、歴史総合の教科書を開くのだ。


「……立ち回りの参考程度にはなる、けど」


 スマホの画面と教科書を行ったり来たり。メタ読みだけれど、まったく役に立たないわけじゃない。それでもやはり、力不足は否めなかった。


 "皇太子殿下が、私を好き? そんなのありえない!"


「あり得るの! 早く気づけ!」


 まるで進まない主人公。待てど暮らせど来ない大雪の日の電車と同じだ。業を煮やした私は主人公が嫌いになったため、ストーリーに対して逆張ることにした。


有栖川宮ありすがわのみや玲那れいな。かっこかわいい……」


 その名は、例の乙女ゲームの主人公――のライバル、いわば悪役だ。主人公にこれでもかと嫌がらせをするカスみたいな性格だが、個人的には主人公よりマシだと思う。ストーリーが進まない一番の要因は悪役令嬢ではなく、主人公の鈍感にあるのだから。


「玲那ちゃん推そーっと」


『まもなく2番線に、12時ちょうど発……』


 ちょうどそこに、放送が鳴った。


「やっと来た……!」


 ようやく画面から顔を上げることができる。

 若かりし頃の山本五十六とか東条英機とか、数多の歴史人物をイケメン化して攻略対象にする恐ろしいゲームから、やっと――。


「あれ?」


 足に力が入らない。

 違う。脳に血が行かない?


『札幌方面・東室蘭行き、普通列車が――』


 ぐわんぐわんと、痛いほど脳裏に反響するアナウンス。視界が歪む。立っていられなくて、バランスを失った。


『9両編成で……』


 プラットホームを踏み外す。

 身体が一直線に線路へ向かって落ちていく。


(あ、だめなやつ)


 迫りくる普通列車の前照灯。瞬時に助からないと悟った。

 ろくな終わり方じゃないけれど、お手上げだ。私は静かに目を閉じる。



 カンッ!



 刹那、全てが止まった。


「?」


 動かない電車。口を開けたままの運転士。羽ばたかない空の鳥。当惑していると、眼前に突如として白髭の不審者が現れる。


「フォッフォッフォッ……。わしは神じゃ」


 後光を放つ老人は、私の真上で浮いていた。杖をついてその長い髭を撫でながら、もったいぶったようにこう語る。


「残念ながらお前さんは、わしの手違いで死んでしまうようじゃ」

「ファック」


 思わず中指を立てた。


「さりとて手違いで殺してしまった以上、詫びとして一つだけ、おぬしの望みを叶えよう」

「ここで死なないこと」

「それは無理じゃ。おぬしが転生することは決まっておる」

「転生ってなんですか。異世界ですか?」

「うむ」


 まずい。あの乙女ゲーですらしんどかったのに、異世界なんて御免も蒙るというもの。焦った私は視界のうちから何か突破口を見出そうとする。白い髭、杖、皺だらけの手、鳥、レール……あ、電車。

 私は、荒唐無稽な逃げ口上を思いついた。


「神さま。私は電車を待っていました」

「ふむ?」

「つまり――異世界なんてお断りです」

「なぜじゃ」


 私は肩を竦める。


「異世界って、電車来ないんですよ」

「ほう?」


 老人はニカリと笑う。


「電車があれば良いのだな?」

「え?」


 一瞬、言葉が止まる。


「よろしい。おぬしにはとあるゲームの世界に転生してもらう」

「ちょっ、聞いてましたか。電車のある異世界なんて」

「この地に電車が走り始めたのは――明治時代じゃ」


 老人は杖を大きく振るった。

 視界の景色がゆっくりと流れ出す。


「ちょっ、待――」


 自称神の姿が霞んだかと思えば、時間はゆっくりと加速し、列車が迫る。


「最期に望むことはあるかね?」


 ゆっくりと、運転士の口が開く。鳥が羽ばたく。レールが重苦しく軋めば、身体が浮き上がる。

 勝手に殺されたかと思えば、なんたる理不尽。私は腹の底から絶叫した。


「次は絶対、殺すなよぉおおっー!」


 刹那。



 ゴォオォン――!

 ゴォオォン――!



 黄金の時計が、3つの針を全て直上に揃えて鐘を打ち鳴らす。

 八月十五日、正午。


 ” ――転生開始―― ”


 けたたましい鐘の音を凌いで、脳裏に直接声が通る。

 断末魔か、あるいは。







 光が弾けた。







「……っはぁ…!」


 飛び起きるみたいに目を覚ました。直立不動で、背に汗をびっしょりとかいている。白昼夢を見たのか。

 瞳孔が閉じて、真っ白な視界に少しずつ景色が見えてくる。


「は?」


 まず、見覚えのない薄暗い廊下が横たわっていた。


「……え、ぇ…」


 赤い絨毯の敷かれた廊下に一人佇む。

 少なくともここは自宅じゃない。


玲那れいなくん!こんなところにいたのか」


 遠くにぼんやりと見える人影が、カツカツとこちらに向かってくる。


「諮問会議に呼ばれたかと思えば子守りとは……閑院宮家も舐められたものだ」


 ぶつぶつ文句を垂らす立派な髭と、いかつい軍服。それとは対照的に若々しい足取りで、青年は私の前に立つ。


「勝手にこのような場所に行ってはいかんぞ、まったく」


 と言われても。このような場所って、ここどこなんすか。


「あのぉー、一体ここはどこです?」

「幼女が喋ったァ!?!」


 とんでもない勢いで飛びのく青年。


「幼女? この私が??」

「や、すまなかった。お嬢様がここまで流暢に喋れるとは思わなんだ」

「いやお嬢様って……」

「有栖川宮家のご令嬢なだけはある」


 有栖川宮家――あれ、どこかで聞いたような。とはいえ青年が言う通り、確かに私は正気じゃないだろう。現に、こんな幻覚を見ているのだから。


「……気が触れたか」


 天井を仰いで、思わず呟く。


「えーと、私はお嬢様じゃないです、そのへんの高校生です」

「は……?」

「というか、ここはどこですか?」

「わ、わからないのか?」


 慌てる青年に、私は首を傾げる。私の記憶が正しければ最後にいた場所は――


「えーと、札幌市発寒区鉄北17条……」

有栖川上ありすがわのうえ――お嬢様がご乱心です!!」


 廊下に響き渡る大声。


「ちょっ、待ってください! 本当ですよ。札幌に住んでるだけの高校生です」

「高校……いいか、玲那くん。そもそも、北海道に高等學校なんてものはない」

「なっ、そこまで田舎じゃないですって。札幌は200万都市ですが」


 警戒を解かず、じりりと青年は言い返す。


「200万……不毛の泥炭地が帝都に比すると抜かすか」

「でも都会ですよ。札駅のビルなんか地上173mあるし」

「173!? 帝都一の凌雲閣でさえ52mだぞ、そんなものを人間がつくれるかっ」


 ピシャリと撥ね退けられる。


「大体あんな気候でまともに建築など……鎮台さえ設営できないのだぞ?」

「……『鎮台』? なんですかそれ」

「聞いたことがないのか? 陸軍の部隊だぞ」

「陸軍って。軍は戦争に負けてもう解体されたでしょ……」


 私は何をしてるのだろうと心中嘆く。何が悲しくて一般常識を立派な髭相手に説かなくちゃならないのか。


「れ、玲那くん……今、なんと」

「いや、敗戦で解体されて今は自衛隊だと」

「玲那くん」


 一瞬のうちに彼の出す空気が、殺伐としたものに変貌する。

 まずい――そう喉を鳴らす間もなく、青年は動いていた。


「幼子とて、言ってはならぬことがある」


 私の首元に、ザッ、と刃が突きつけられる――そう錯覚させるほど、刹那、強い殺気が頸部から全身を貫く。


「わぁぁああっ!」


 恐怖に従って後ろへ倒れ込む。

 手元に握り締めていたスマホが飛んで、床に転がった。


「っ、玲那くん!」


 慌てて私を抱き支えようと手を伸ばす青年が、ふと立ち止まる。


「いたたた……」


 ゆっくりと身を起こせば、青年の唖然とした顔がある。立派な髭が冷や汗を乗せていた。その視線は一点、私の頭の右上に注がれる。


「なん……だ、それ、は」


 点いたままの乙女ゲームの画面を怯えながら指差す青年に、私はごく普通の答えを返した。


「す、スマートフォンです」

「光で……文字が、書いてある?」

「そりゃ液晶ですし……」

「こ、これは英字? まっまさか欧米ではこのような代物が!?」

「これ台湾産ですよ?」

「臺灣だと、あの化外の地が!?」


 私を乗り越えてスマホへ駆け寄る青年。


「こ、これは……?」


 そこに羅列された数字にくぎ付けだ。


「このアラビア数字は…時刻?」


 画面に大きく映された数字が示す時刻――”12:13 2024/8/15”。


「十五日の十二時三十三分、確かに現在時刻だ」

「は、はい」

「その前の『2024』?…何を意味するんだ」

「年号ですよ、令和6年」

「レイワ? 何の暦だ、皇紀とは違うのか?」

「元号ですけど」

「は、はぁ? 前後の元号は??」

「前は『平成』ですよ……」

「いい加減にしてくれ! 君は一体なんの話をしているんだ…!?

 和暦がわからないなら、イスラム暦でも仏暦でも、西暦でもいい!」


 西暦――!

 知っているなら何故わからないんだろう。


「そう、西暦ですよ西暦! 今年は西暦2024年、即ち令和6年!」

「ッ!?」


 青年は固まる。


「いや、ですから、大正、昭和、平成ときて令和!」

「………『明治』、明治と言ったか!?」

「ええ、明治です! 開国と近代化の時代で、1868年に始まり――」

「待て、それ以上は!」


 すべてを言い終わる前に、正面から肩を掴まれ揺さぶられる。


「馬鹿、な……」


 私の困惑をよそに彼は真顔でこう言った。


「今日は、明治21年即ち西暦1888年8月15日……だろう」

「……令和6年、つまり西暦2024年8月15日じゃなくて?」


 震える声で青年は問う。


「玲那くん――いいや。君は、誰だ?」


「私は……」


 答える隙もなく、青年は動き出す。


「いや、よい。ついて来たまえ」


 手を引かれて部屋を出る。


「これ以上面倒なことは知りたくない」

「?」

「どうせ今日限り。君が誰だって別に良いんだ」


 ただでさえ宮家の末席で、断絶間際を継がされた肩身の狭い身分で、これ以上面倒ごとを背負うのはごめんだ。そう独り言ちながら、青年はずんずんと私の手を引いて赤絨毯の階段を上っていく。


「4歳児の自我、人格など、そもそも曖昧だろうし……とはいえ、いま降りてきたの人格をどうしろと」

「未来人?」

「あぁ」


 階段の途中、大きな窓の前で青年は立ち止まった。


「外を見てみるとよい」


 そう指した青年の先に、視線を動かす。

 それから言葉を失った。


「――嘘でしょ?」


 堀を挟んで、どこまでも瓦屋根が続いている。

 高い建物なんてない。

 ここは地元じゃない。現代でもない。


 どこなんだ、ここは。


「ここは明治21年の帝都、枢密院本庁だ」

「め……い、じ?」


 青年は固い表情のまま言う。


「予は閑院宮載仁かんいんのみやことひと。閑院宮家6代当主。有栖川上ありすがわのうえより、今日一日限り、君の面倒を任されている」


 そしてその君は――、閑院宮は窓とは反対のほうを指し示す。

 螺旋階段の踊り場に立つ小ぶりの姿鏡。

 それでも、私の全身を映すのには十分だった。


「は…、ぁ……?」


 知っている。この姿。この身なり。この顔。


有栖川宮ありすがわのみや家、その第2皇女たる有栖川宮玲那れいな。融合だか憑依だか知らぬが、それがいまの君だ。ちなみに4歳」

「4さい」


 知っている。海馬に絵の具をぶちまけたみたいに、全ての記憶が蘇る。いいや、違う――私という主体が、有栖川宮玲那ありすがわのみやれいなの意思と融合していく。その仕草が、言葉遣いが手足に至るまで染みていく。


「ありえま、せん」


 夢で見た、神とやらの言葉を思い返す。閑院宮が言った日付は、1888年8月15日。まさに、プロローグ場面シーンの日付。

 間違いない。ここは、前世で見たゲームの世界だ。


「あはは……」


 もういちど自分の身体を見下ろす。

 小さい手。低い視界。藍色がかった長い髪。まだ幼い姿だが、瞼に焼き付けて覚えている。どれほど逆張り推したことか――愛してやまないその悪役令嬢は、けれど、どうして。


「なぜ玲那わたしなのですかあああ!?」


 閑院宮がびくりと震えるが、気にする余裕もない。没落、国外追放、自殺。数多くのルートでこの御令嬢は破滅する。救済ルートはあるらしいけどまだ知らない。


「ばか、前世のわたし! なんでちゃんとやらなかったの!?」


 答えは明白。あまりにクソゲーすぎて途中で萎えたからだ。だって、ただの乙女ゲームならまだしも歴史イベントとか訳のわからない要素を混ぜてきて、しかも攻略次第によっては史実を外すときた。


「あれ?」


 そこで、ふと思う。

 ゲームの進捗が歴史を歪めるのだ。だとすれば――逆も然りではないだろうか。


「歴史を変えれば?」


 なにもゲームの土俵で戦う必要はない。

 歴史をぶち壊せば、ルートもクソもなくなる。


(スマホに教科書……死んだときに手にしてたものは、あるみたいだし)


 理屈はわからないけれど、床に転がった二つのアイテムは確実に前世のものだ。生き残るための武器になる代物だ。あんなクソゲーの無茶な摂理に屈従してなるものか――破滅へ続くラブロマンスを歴史ごとひっくり返してやる。


(それにもしこの世界が史実通りなら、あと60年経たずこの国は破滅するし)


 そうなればどのみち有栖川宮家はお取り潰し。ゲームに殺されずともやがて歴史が殺しに来るわけだ。退路なんて最初から用意されていない。


「なれば、運命を曲げてみせましょう」


 少女は決意する。











 明治21年・極東、とある小国。


 奇跡か災厄か――。

 この地で、”悪役令嬢”が目覚めた。

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