第22話 八編 1

 自分の心をもって他人の身を制してはならない


 アメリカのフランシス・ウェイランドという人が書いた本『モラル・サイエンス』に、人の身心の自由を論じていたところがあった。その論ではこういうことを言っていた。人の一身は他人と相離れていて一人分の身体を形成しており、自らその身を動かし、自らその心を用い、自ら一人を支配して、務めるべき仕事を務めるものである。

 これから第一に、人にはおのおのの身体がある。身体は外物に接し、その物を取って自分の求めることをする。例えば、種をまいて米を作り、綿を取って衣服を作るようなものである。

 第二に、人にはおのおのの知恵がある。知恵は物事の道理を見つけ、事をなす方向を誤らないためのものである。例えば、米を作るのに肥やしの法を考え、綿を織るのに機(はた)の工夫をする。みんな知恵と分別の働きである。

 第三に、人にはおのおの人の情欲がある。情欲は心身の働きをおこし、人はこの情欲を満足させて一身の幸福を言う。例えば人として美食美服を好まない者はいない。しかしながら、この美食美服は自然にこの地球にある物ではない。これを得ようと思えば、人の働きがなくてはならない。だから人の働きはだいたいみんな情欲の催促を受けておこるものである。この情欲がなければ、働きはなく、この働きがなければ安楽や幸福はない。禅坊主などは、働きもなく幸福もないものと言える。

 第四に、人にはおのおの至誠の本心がある。誠の心は情欲を制し、その方向を正しくして止まるところを定める。情欲は限りないもので、美服美食もこの辺で充分か、とその境界を定めにくい。今もし、働くべき仕事を放り出して、ひたすら欲しいものだけを得ようとすれば、他人を害して自分の利を得ようとするだろう。これは人間の所行とは言えない。この時にあたって欲と道理とを分別し、欲を離れて道理に従わせるのが誠の本心である。

 第五に、人にはおのおのの意志がある。意志は事をなす志を立てる。例えば、世のことは偶然のはずみによって起こるものではなく、善いことも悪いことも、みんな人のこれをしようとする意志があってこそ起こるものである。

 以上の五つのものは、人に欠かすことのできない性質で、この性質を自由自在に操り、一身の独立をなすものである。さて、独立と言えば、一人で生き、世の中の奇人変人のように、世間のつきあいのない者のように聞こえるけども、決してそうではない。人としてこの世に生きていれば、言うまでもなく友人がいないなどということはない。友人関係とはお互いに友人を求める結果のものである。ただ、この五つの力を用いるにあたり、天が定めた法に従い、分限を越えないことが肝要である。で、その分限とは、自分がこの力を用い、他人もその力を用いるが、互いにその行動を妨げてはいけない、ということである。このように人たる者の分限を誤らずに世を渡れば、人にとがめられることなく、天に罰せられることもない。これを人間の平等という。

 右のことから、人たる者は他人の権利を妨げなければ、自由に自分の身を用いることができるのである。好きなところへ行き、止まりたい時、止まりたい場所で止まることができる。働きたければ働けばいいし、遊びたければ遊べばいい。何かの事業を行いたければ行えばいい。昼夜勉強するのも、一日中寝るのもいい。他人に迷惑をかけないことなら、何でもすればいい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る