第18話 六編 3

 私裁のもっともひどいもので、政府に害を与えるもっともひどいものが暗殺である。古来の暗殺の事跡を見てみると、私怨のためにする者や金銭を奪うためにする者などがいる。この類の暗殺を企てる者は、はじめから罪を犯す覚悟を決め、罪人のつもりで犯行を行うものだけれど、また別の種類の暗殺がある。この暗殺は自分のための暗殺ではなくポリティカルエネミー(政敵)を憎んで暗殺するものである。天下の事について、人はそれぞれの主義思想を持っている。自分の主義思想で、異なった主義思想を持つ者の罪を裁決し、政府の権を犯して思うままに人を殺し、これを恥じないばかりか逆に得意になり、天誅を行う報国の士と自分を言う者もいる。だいたい、天誅とは何事を指すのか。天に変わって誅罰を行う、というつもりなのか。もし、そのつもりなら、まず自分の身の有様を考えなければならない。元来、この国に住み、政府に対してどんな約定を結んだのか。「必ずその国法を守って身の保護を受ける」と結んだではないか。もし国勢に不満な箇所を見いだし、国の害となる人物がいると思えば、黙ってこれを政府に訴えるべきなのに、政府をさしおいて自ら天に変わって事をなそうとするとは思い違いもはなはだしいと言える。結局この種の人は、性格は律儀だけど、物事の道理に暗く、国を憂うことを知って国を憂うことのわけを知らない者である。見よ、天下古今を通じて暗殺をもってよく大事をなし、民を幸福に導いた者がいるか。いないだろう。

 国法の尊さを知らない者は、ただ政府の役人を恐れ、役人の前ではきちんとし、表面上犯罪にならなければ、実際罪を犯していても恥とは思わない。ただそれを恥じないだけでなく、巧みに法の網をすり抜ける者もいる。そしてこれが人々の間でよい評判になることがある。今、世間話に、これも上の御大法、あれも政府の表向きだけれど、この事を行うのにこのように個人的に行えば、表向きの御大法にさしつかえもなく、これは表向きの個人的処置だなどと笑いながら話してとがめる者もなく、ひどいものは小役人と相談してこの個人的処置を行い、双方ともに利益を得て罪のない者のようにふるまう。実はあの御大法なるものはあまりに煩わしすぎて現実に適さないから、このような個人的処置も行われるのだが、一国の政治の立場から見れば、これはもっとも恐るべき悪弊である。このように国法を軽視することに慣れ、一般人民が不誠実に傾き、みんなが守ればとても便利な法を守らず、ついには罪を受けることになる。

 例えば今、道路に小便をするのは政府が禁止したことである。しかし、人民はみんなこの禁止令の尊さ、大事さを知らずにただ巡査を恐れているだけである。日暮れなどに巡査がいないのを見はからって法を破ろうとし、思いがけず現行犯で捕まることになれば、その罪は認めるが、本人の心中には、尊い国法を犯したから罰を受けるとは思わず、ただ恐ろしい巡査にあったその日の不運を思うだけなのだ。実に嘆かわしいことである。だから、政府で法を立てるのは、できるだけ簡単なものが良い。これらをふまえて新しく法を作るのならば、必ず徹底してその内容を人民に通達しなければならない。人民は政府が定めた法を見て、不便だと思うなら遠慮なくそれを論じて訴えればいい。それで人々が納得し、認めたならば、その法の下にいる時は私的にその法の是非を問うことなく、謹んでこれを守らなければならない。

 最近のことを言おう。先月、わが慶応義塾にも小さな事件があった。華族の太田資美君(もと遠州掛川藩主。明治四年、慶応義塾に入学し、その後援者になる)は、一昨年から私金を投じてアメリカ人を雇い、義塾の教員にしたが、この度、交代の期限になり、他のアメリカ人を雇い入れようとしていた。そのアメリカ人との話はすでに整っており、太田氏が東京へ書を出し、このアメリカ人を義塾に入れて、文学、科学の教師にしようということを出願したところ、文部省の規則に「私金をもって私塾の教師を雇い、私的に人を教育するにしても、その教師が本国で学科卒業の免状をもっていて、それを所持している者でなければ雇い入れてはいけない」という箇条がある。それで今回雇い入れようとしているアメリカ人はその免状を所持していないため、ただの語学教師であればともかく、文学、科学の教師としては出願されたが、許可することはできない。これが東京から太田氏への通達だった。

 こういうことがあり、私も東京へ書を送った。「この教師は免状を所持していないが、その学力は当塾の生徒を教えるのには充分だから、太田氏の願いを許可して欲しい。あるいは語学教師として許可をもらい、文学、化学について教えさせればすむのだろうが、もとから、わが生徒は文学、科学を学ぶつもりでいるので、語学教師と偽って官を欺くことはあえてしないことにしました」と出願したけれど、文部省の規則は変えられない、ということでこの諭吉さんの願書もまた却下された。このため、すでに内約の整っていた教師を雇うことができず、去年の一二月下旬に本人はアメリカに帰り、太田君の常々抱いている志を遂げることができなかった。さらに数百の生徒も望みを失い、実に一私塾の不幸というだけでなく、天下の文学のためにも大きな障害で、ばからしく、そして不愉快なことだが、国法は尊く重いものだからどうにもできない。また近日にでも再び出願するつもりである。今回のことについては太田氏をはじめ、社中のみんなを集めて、「あの文部省によって定められた私塾教師の規則も、いわゆる御大法だから、ただ文学、科学の文字を消して語学の文字に改めれば願いはききとげられ、生徒のためにはいいことだ」などと何度も相談したが、結局のところは、今回、教師を得られず、社中の学業が退歩するかもしれないが、官を欺くのは士君子の恥じるべきことなので、謹んで法を守り、国民の分をわきまえることが上策と思えるので、この始末になった。もとより、一私塾の処置で、事は些細なことと思われるかもしれないが、議論の内容は人々が知っておいてもいいことと思い、ついでながら巻末に記した。

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