第16話 六編 1

 国法が尊いことを論じる


 政府は国民の名代であり、国民の意に従い、事をなすものである。その職務とは、罪のある者を取り押さえ、罪のない者を保護することに他ならない。これは国民が思い願っていることで、その思いを政府が達成すれば、それは一国内の秩序となる。もともと、罪のある者とは悪人である。罪のない者は善人である。今、悪人がやってきて善人に害を加えようとしているならば、善人は自らそれを防ぎ、自分の父母妻子を殺そうとする者があれば捕らえてそれを殺し、自分の財産を盗もうとする者がいれば捕らえてそれにむち打つ。これらは別に問題ないことだが、一人の力で多勢の悪人を相手にとってそれを防ごうとしても、とても防げるものではない。

 例えば、傷を負って莫大な治療費を出さなくてはならなくなるかもしれないし、利益もないことだから、右のように国民の総代として政府を立て、善人保護の職務を務めさせればいい。そのかわりとして、役人の給料、政府の諸費用などを国民が払う。これは約束していることである。かつ、また政府は国民の総代として事を行う権を持っているのだから、政府のすることはそのまま国民のすることであり、国民は必ず政府の法に従わなければならない。これは国民と政府の約束である。だから国民が政府に従うのは、政府が作った法に従うのではなく、国民が自ら作った法に従うのである。国民が法を破るのは、政府が作った法を破るのではなく、国民が自ら作った法を破るのである。その法を破って刑罰を受けるのは、政府に罰せられるのではなく、自ら定めた法によって罰せられるのである。これを例えて言い表すと、国民たる者は一人で二人分の役目を勤めている、というようなものだ。その一つ目の役目は自分の名代として政府をたて、一国中の悪人を捕らえて善人を保護することである。その二つ目の役目は、固く国法を守り、その法に従って保護を受けることである。

 右のように国民は政府と約束して制令の権柄を政府に任せている者であるのだから、決してこの約束を違えて法に背いてはならない。人を殺す者を捕らえて死刑に処するのも政府の権である。盗賊を縛って牢屋につなぐのも政府の権である。裁判を行うのも政府の権である。これらのことに国民は少しも手を出してはならない。もし誤解していて、私的に罪人を殺したり、盗賊を捕らえてムチを打ったりすることがあれば、それは国の法を犯したことになる。それは自ら私的に他人の罪を裁決するもので、それを私裁と名づけて、その罪は決して許してはならない。この段階に至れば文明諸国の法律はとても厳重になっている。いわゆる威を誇示しないと言うことか。わが日本では、政府の威権が盛んなように見えるけれど、人民はただ政府の尊さを恐れてその法の尊さを知らない者がいる。今、ここで私裁のよくない理由と、国法の尊い理由とを左に書いていこう。

 例えば、自分の家に強盗がやってきて、家の中の者を脅して金品を奪おうとすることがあるとする。この時、家の主人のすることは、この事の次第を政府に訴え、政府の処置を待つことなのだが、事は火急のことだ。訴えていれば、その間にその強盗は土蔵に入って金品を持ち出すことだろう。これを止めようとすれば、主人の命も危なくなるので、仕方なく家の中で相談して私的にこれを防ぎ、当座の手段でその強盗を捕らえておき、その後に政府に訴え出ればいい。この強盗を捕らえるにあたって棒を使ったり、刃物を用いたりしてその強盗を傷つけることもあるだろう。また、その賊の足を打ち折ることにもなるだろうし、本当に危険な時は鉄砲をもって撃ち殺すこともあるだろうが、結局、その主人は自分の生命を護り、自分の家財を護るために一事の手段を行っただけで、それは決して賊の無礼をとがめ、その罪を罰しているのではない。

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