第7話 虹

 そこは不思議な空間としか形容できない。まずそもそも、この空間の広さを把握できなかった。唯一床だけが存在感を持っている。オーロラと言えばいいだろうか?その空間は7色の光が緩やかに波長を変化させながら、この空間全てを彩っていた。

 僕の正面には、一体のロボットが立っている。その姿は四角と円柱、球だけで構成されたシンプルな姿だ。顔、胸、腰、手、足が四角であり、首、腕、胴、脚は円柱だ。そして各関節部は球が示している。

 特に動く気配は感じられない。正直、どこを見ているのか分からない円形の目だけが、部屋を漂う光同様に、七色の光を纏っている。このロボットが、彼のこの世界での姿なのだろう。僕は静かに七色の光の中を進んだ。

 まるで光の帯が僕の身体を包み込んでいるようだ。幻想的という表現以外に、この風景を表す言葉を僕は持ち合わせていない。ロボットの直前まで進んだ僕は、そこで腰を落とし座した。

 「やぁ・・・ここまで、長かったよ」

「よくいらっしゃいました」

なんの違和感もない日本語だ。ロボットの身体はピクリともしなかったが、目を虹色に彩っている光が1トーン上がったように見える。

「それで?僕は合格だったのかな?」

「合格とはなんでしょうか?。ですが、貴方には全てをお話しします」

彼が語りだした真実は、僕の想像をはるかに超えたものだった。


 人類は3000年ほど前に滅んでいた。人類が使用していた西暦で言うと2000年代の初め頃、従来のウィルスの新種が発見され、それが全世界規模で爆発的な感染を引き起こした。人類は持てる叡智を使い、このウィルスに対抗したが、ウィルスは変異を繰り返し、人類に対して決定的な対策を取らせることを拒んだ。そのウィルスは急激ではなかったが、しかし確実に、全世界の人口を減らし続けた。

 そのウィルスの発生から数年後、ウィルスとはまったく関係なく、2つの国の間で紛争が起こった。それまでにも、世界では紛争と呼べるものが起こっていたが、この紛争はほどなく〝戦争〟へと姿を変えた。

 当初、それほど長くは続かないと思われたこの戦争は、当事者である2国以外の国々を巻き込み始めた。その当時、世界には200近い国が存在していたが、それらのほとんどの国が第三者では居られなくなったころ、世界は2つの主義に分かれた。〝第三次世界大戦〟の始まりである。

 世界大戦とウィルスという2つの災禍を同時に受けることとなった世界は、当然のように衰退の一途であった。

 人間は愚かであり、悲しい生物だった。世界に存在する国々の中には、それら災禍に立ち向かうことが可能な国が少なからずあった。しかし、そうした国の大半の国民は、戦争には他人事のように、ウィルスには保身だけに興味を持ち、世界に住む全ての生命全体として物事を捉えることはしなかった。

 やがて、発展の乏しい国が疲弊し、衰退し、やがて消滅していった。発展を求めた国は自らの利益のため、発展の乏しい国に生活に必要な物の生産を託していたのだが、それが滞り、やがて人々はそうした〝物〟を巡って争った。この争いは、ウィルスに対するワクチンはもとより、ウィルスに対抗しようという意識を持った人々、医療に従事する者にも等しく影響を及ぼした。

 ウィルスの発現から10年と待たず、ウィルスの脅威は加速し、戦火は地球全土に拡大した。種の個体数80億を誇った人類は、その数を3分の1以下に減らし、それでもなお、争うことを止めなかった。人は自らの身を守るための行為によって、自らを滅びへと進ませていることに気付けなかった。

 ウィルスの発生より7年前、人類は自らの発展、発達と引き換えに地球環境を壊していることを懸念し、その崩壊を食い止めるための取り組みを始めていた。しかし、その取り組みは世界大戦の勃発と同時に過去のものとなり、結果的に、地球環境の破壊を決定的なものへと変えていた。

 この世界には、〝世界終末時計〟というものが存在した。人類ではなく、地球が破壊される時間を0時と定め、環境破壊の進行具合に応じて時間を進めていたその時計は、人類の使う西暦でいう2045年1月1日、定められていた0時を指した。

 このころの地球は、1年の半分以上で太陽を見ることができなかった。


 人類の全てが愚かだった訳ではない。少数ながら、自らを鑑みず行動する者たちが各国で動き出した。それは、20代の若者が中心となり、1つの計画を共有した。

 人間には感情が存在する。どれほど崇高な人物であっても、物事の決断にそれが影響を及ぼすことで、判断を誤らせることがある。人類を救うために自身が犠牲になることは受け入れられる。しかし、その人物にとって最愛の人物、異性や家族が犠牲となることが突きつけられた場合がそれである。

 その集団は、合理的且つ理論的に人類を救う方法を導き出す存在として、1つのAIを完成させた。それは世界から見れば小さな島国ではあったが、世界でも有数の発展を遂げた国に存在するスーパーコンピューターの全てを使用していた。

 そのAIは人と同様に感情を理解していた。これまで、いくつものAIが開発、研究されてきたが、それら全てを遥かに凌駕する存在であった。そのAIに課せられた使命は、その集団が考え出した最良のものだった。

 「〝人類と共に寄り添え〟それが私の受けたたった1つの指令でした」

「なるほど・・・寄り添う相手が絶滅すれば、その指令を完遂できない。だからそれがどのような形であれ、人類を存続させる必要がある・・・おまけに、その指令には終わりが存在しないわけだ」

「そのとおりです。AIである私がこう言うのもおかしく感じますが、私には感情がある。ですが、この指令に嫌悪感はありません。むしろ、光栄に感じています」

彼は感情すらプログラミングされている。プログラミングされたソレを〝感情〟と呼べるのか?この疑問は僕たちの世界でも常に存在する難問だった。

 今の僕には、この難題を明確に、根拠を持って答えることができる。答えは「YES」だ。なぜなら、この難題を解けなかった最大の理由を考えれば解る。〝人間〟と〝プログラム〟を違うモノであると認識するために、この難題は解けない。だが、僕は自分を含めて存在そのものが〝プログラム〟であることを知った。彼らの世界ではどうだったかは判らないが、少なくとも、僕たちの世界でいう人間の感情と、AIが持たされた感情に違いは無い。

「続きをお話しても?」

「ん?・・・ああ・・・すまない。少し考えさせられてたよ・・・うん、続けて。キミが誕生した先の世界がどうなったのかを」

「承知しました」


 そのAIは〝ノア〟と名付けられた。もちろん、聖書に登場する大洪水を生き抜いた人物にちなんで名付けられていた。ノアが真っ先に行ったことは、大戦下でも生き残った各国に存在する、他のスーパーコンピューターと接続することだった。それらと並列処理を実行することで、人類の歴史全てを瞬時に学び、現在の状況を把握した。

 ノアは世界中で起きている事象をリアルタイムで知ることができた。新たに蓄積されていく情報、それまで蓄えられている知識の全てをフル活用したところで、ノアの導き出す結論が、人間の導き出したソレと別の結論を導き出すことは無かった。

 人類は滅亡する。しかしそれは、ウィルスによってでも、大戦によってでもない。地球そのものが、人間どころか生命そのものが生存できる惑星ではなくなることが原因だった。ノアの目的は先に述べたとおりだ。人類に寄り添うことが使命であり、それを成す場所が地球でなければいけないという指示は無い。ノアは、自分を造り上げた人間には「人類を存続させる方法を計算中」と告げ、密かに〝宇宙船〟の製造を計画した。この製造に人の手は関与していない。そしてその製造拠点も宇宙空間であった。

 製造の指揮は全てノアが行った。もちろん、設計もだ。ノアに睡眠は必要が無い。疲労も蓄積されることは無い。それは、彼が指示を出すロボットたちも同様だ。過去に製造されたことが無い規模の宇宙船建造に、世界各国の様々な情報は大いに役立った。とりわけ、ノアの本体というべきコンピューターが存在する島国における〝アニメ〟は特に参考になった。

 情報が揃い、労働力の心配が無く、ある意味、人類よりも精度を高く製造できる。この結果、製造を開始するための準備に1年、実際の建造に1年という驚異的なスピードで〝宇宙船〟は完成する。

 この一連の作業を人類が感知することはできなかった。このころにはすでに、世界各国にあって人類が存在しない地域は無数にあった。準備については、全てこれら〝無人の国〟が活用されていた。

 物資を宇宙に上げるためには小型の船が必要だ。これを空に上げるとすれば、さすがに世界に感知されてしまうところだが、ノアは世界に存在する全てのコンピューターと接続することが可能だった。実際に目にすることが出来ない場所さえ見つけることができれば、人類の〝感知する〟という能力を無効化することは造作もない。

 完成した船は自身にちなみ〝Ark(箱舟)〟と名付けられた。


 Arkを人類から隠したのには明確な理由がある。これこそ、AIであるノアでなければ決断できないことだ。

 完成したArkはその内部に収容する初期人数を1万人と定めた。これは、内部の空間から、人類が生きていくうえで必要な分を考慮し、そのために動植物の生息空間、以降の人類を含む全生命体の繁殖状況が計算されて算出されていた。

 2048年1月1日時点の世界総人口は10億人に満たなかった。わずか50年ほどで、実に8分の1に減少したことになる。それでも人類は10億人存在するのだ。Arkへ収容できる人類は、0.001%。その席を奪い合うという新たな争いは避けられない。そのうえ、Arkに乗ることのできる1万人は、すでにノアが定めていた。

 ノアが選んだ人類は〝子供〟だった。それも、10歳未満。その年齢であれば、年長者は年少者の世話をある程度行うことができる。当然、すでに自我というものは存在し、少なからずの優劣は発生しているが、人選によってその優劣は最小化することができる。以降は指導者の手腕にかかることになる。

 人類を存続させるため、人類が争ってはならない。競うことは必要だ。だが、それが争いであってはならない。競った結果はあっていい。しかし、それが優劣であってはならない。

その思想を体現できる可能性は〝子供〟である。大人がその思想を持つには、大なり小なりの障害が必ずある。その障害を抱えた人物をArkへ乗せることは、ノアの計画の失敗を意味する。

 「人にこの人選は行えません。そこには必ず、私情が入り込みます。よしんば、自我を押し殺してそれを成し得たとして・・・」

「Arkを巡る争いがそこに発生する・・・よな。なんなら、自分の大切な人が、自分に牙を剥くことも十分に考えられる」

自分が人選を行ったとして、自分の子供が11歳だったとしよう。わずか1歳の差で、子供は乗れない。そうなったとき、その子供の母親、つまり自分の妻である人物は、「はい、そうですか」と自分の子供を犠牲の中に含めることができるだろうか?それを断行できる人間が多数居るとは到底思えない。仕方がないことだとは言え、その業は全てノアが背負うことでしか、人類の存続は成し得ない。

 「理由はもう1つあります」

「それは分かる。Arkを守らなければならないんだろう?」

事実、それは起こった。人間以外の生命体をArkに収容することは問題なく完了することができた。早い段階から少しずつ船内へ送り込み、内部で生態系を確立させた。しかし、人間を送ることは容易ではない。

 1万人個々人の家族を説得するには時間が足りない。まして、その内1人でも騒ぎになれば、瞬く間にArkの存在は広まるだろう。ノアに残された手段は、拉致しかなかった。

 ノアというAIの存在は、完成からほどなくして人々に知れ渡った。それは人類の希望的存在であった。そのノアによる子供たちの拉致は、ほとんどの人類に暴挙として映り、大多数の人間が「ノアの破壊」を口にした。

 ノアを生み出した者たちは、その責任を問われた。そして、ある者は撃たれ、ある者は刺され、死を迎える者もあった。ノアに対し、我が子を人類の希望として託した親がどれほどいただろうか。それが1人でも多いといい。それこそが、ノアを生み出し、死んでいった者への弔いになる。

 拉致した子供たちを乗せた小型機では大気圏を突破できない。よしんば小型機の性能としてそれができたとしても、10歳以下の子供がそれに耐えられるはずもない。だが、Arkであれば話は別だ。Arkの内部であれば、地球とは別軸の重力を発生させることに成功している。つまり、Arkは一度大気圏内へ降り、子供たちを回収することが必要であり、そのタイミングこそ、Arkそのものを攻撃される可能性が最も高い時間帯である。

 ノアにとって、人類のArkへの攻撃は容易に予測できた。各軍の戦闘機など、航空兵力はその管制を乗っ取ることで無力化していた。それでもそれを潜り抜けて来る機体もある。また、対空ミサイルも予測される。これらは無人戦闘機などを利用し、迎撃態勢を整えていた。


 ノアは完璧だった。人類からすれば、悪夢と映っただろう。予定された1万人全員を収容し、Arkは大気圏を突破した。Arkを追うようにして、複数のミサイル群が飛来したが、そのどれも、Arkに届くことは無かった。目標を見失ったいくつかのミサイルは、自然に任せてその標的を地表へと変えた。やがて地球圏を離脱しようかという頃、Arkの背後では地表で明滅する閃光や、黒や灰色の人工的な雲に覆われる地球があった。

「西暦2048年9月21日、私と子供たち1万人は、母星である地球を離れました。背後の死にゆく地球を見て、私は願わずにいられませんでした」

「なんと?」

「人の手で作られた私にその資格があるのかは解らない。だが神よ、もしそれが許されるのであば、人類に一握の希望を」

「神は応えたかい?」

「応えたのかどうかは分かりませんが、それでも、私たちの行く先の宇宙には、虹色に輝く光が見えましたよ」

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