第4話「不穏」


 その日、翌日、さらにその翌日に渡り、凛は俺の側を片時も離れようとはしなかった。授業中に話しかけてくることはないが、隣の席ということを存分に利用して他の人が俺に話しかける暇を無くしているようだった。

 契約として俺に危害がないようにする、という項目は確かにあるのだが、対処法が何とも原始的というか逆撫でしているというか。日にちが経過するにあたって段々と男子たちの視線が細く恐ろしいものになっているのを感じる。今からでも全てを放り出して俺の無実を証明したいのだが、三日も経って仕舞えば俺も充分な詐欺師だろう。


 俺の心配を他所に凛は全く彼らの視線など気にしていないようだった。元々、視線が集まる人だからだろうか。神経というか胆力がすごいな、と素直に驚いた。


「これって効果あるのか?」

「現に誰も空に声かけてないでしょ? だから効果覿面ってやつじゃない?」

「凛がいるときは確かにそうだが、確実にヘイトは溜まってきてるだろ。この分だと一人の時間はおろか、トイレも満足に行けなくなりそうだ」

「男女共同トイレでも使えば? 私も入ってあげようか」

「ばか言うな。それだと出るものも出ない」

「そっちなのね……」


 じとっとした視線を向けてくる凛。

 俺はその視線をさらっと流してため息を吐く。


「契約があるからだろうけど、自分の時間も大切にした方がいいと思うぞ。俺は友達いないけど凛は『名前誰だっけ?』ってなるほど友達いるだろ?」

「名前忘れる友達は友達じゃないと思うけど……。友達優先してその間に空がボコボコに殴られてたらどうする? そのとき笑って私を許してくれる?」

「誰だよそんな心の広い男。殴られて笑って許せる人間はただの虐められたいやつだろ」

「だから私の時間は空と一緒にないといけないの? 分かる?」

「……まぁ」


 だからどうして俺は罪悪感をそこで抱いてしまうのか。


「だから私の時間をとって悪いと思ってるなら、空が友達と遊んでいる時の私以上に楽しいって思わせてよ。そうすれば全部解決でしょ?」

「それができたら俺はひそひそと凛とだけ話してないし、友達がいないのに偽彼女がいるような事態に陥ってない」


 確かに、と凛は笑って同意した。笑い事ではない。

 ただ凛の楽観視とはまではいかないが前向きに物事を捉える気持ちは必要だな、と思った。一ヶ月が一応の期限とはいえそれ以上に長続きする可能性はあるし、少なくとも確実に凛とは会話をしなくてはならないのだ。そのためには今までの皮肉めいた考え方は一度放棄して少し積極的な考え方をしていくべきだろう。


「まぁ私もいつまでもこうしているわけにもいかないから、そろそろ別の方法も考えないとね」

「友達か?」

「うん、やっぱり友達付き合いって大事だよ。一人の人とずっと仲良くしていると他の子が嫉妬しちゃうから」

「人気者は大変ですなぁ」

「友達いないからわからないと思うけど」

「うるせぇ、余計なお世話だ」


 キッとして言い返すと何が面白かったのか凛はけらけらと楽しそうに笑った。ボケにツッコミを入れてくれたことが嬉しかったのだろうか。


 しばらく笑った後、凛は急に真面目な顔をして言った。


「放課後、何もされてない? 大丈夫?」


 学校が終わると部活動もしていないので俺は速攻で帰宅する。その意味では生粋の帰宅部と言えるかもしれない。凛も流石に俺の家まで護衛(?)または牽制するわけにはいかない。性別が逆ならまだしも女の子に護衛をさせた挙句に一人で帰らせるような真似はいくら俺でもさせられない。


 今のところ実害はないのだが、チャンスだと思えば仕掛けて来る可能性はある。そこまでの行動力があるのならば他のことに存分に生かしてほしいと思うのだがそれができないのが恋心なのだろう。いっそのこと凛に告白して散ってくれれば、と思わなくもないがそれだと俺が偽彼氏になった意味がない。

 苦しい立場に立たされていることを感じつつ、俺だけの力で何かしらの対策を打たなければならない。


「今のところは大丈夫。だけど行動派がチャンスだと思えば狙い所だろうな」

「何せ一人だしね」

「今、一人をばかにしたか?」

「い〜え、別に。というかそれだけわかっているなら何かしないと、マジでボッコボコにされるんじゃない? 私は男の喧嘩を見たことないから知らないけど」

「喧嘩は苦手だ」


 俺は小さく愚痴のように呟いた。

 凛の思い描いている喧嘩は恐らくドラマの世界のものだろう。中にはそのような喧嘩もあるのかもしれないがことうちの高校に限ってそのような尖った人はいない。


 喧嘩は痛いだけ。殴っても殴られてもただ物理的な痛みが襲ってくるだけ。

 それは知性のない動物と何ら変わりのないこと。

 弱肉強食。

 争うならせめて人のみに与えられた言葉を使った舌戦だろう。


「意外。喧嘩口調なのにね」

「そうか? 自分では意識したことなかったな」


 そう嘘を一つ落とす。

 意識して喧嘩口調にしていた。無意識になったのはつい最近のことだ。人から極力話しかけられないようにするにはこうすることが手っ取り早いと思ったからだ。凛に指摘されてしっかりとできているんだな、という手応えとどうしてこんな選択をしてしまったのだろうと言う恥ずかしさが両方襲ってくる。


「仮にも私の彼氏なんだからそう言う敵を作る話し方は改めた方がいいと思うよ。争いごとは回避したいはずなのに口調が喧嘩腰だとちぐはぐな感じだし」

「人と話さなかったのが原因かもしれないから、凛とたくさん話せば段々と治っていくかもしれないな」

「何で私限定なのよ。もっと他の人と友達になろうとか考えないの?」

「今の俺を友達にしてくれる人がいると思うか? それは例えるならライオンが獲物を捕まえて見せびらかした挙句、この獲物はあげないけどまぁ囲んで団欒しようぜ、って言ってるようなものだ」

「ごめん、普通に理解できてたのに例えのせいでよくわからなくなった」


 渾身の例えだったのに不発に終わってしまったようだ。残念。

 ただ大まかには伝わったようで凛は申し訳なさそうに眉を八の字にさせ、俺の臆病さに呆れるようにため息を吐いた。

 たった数日で人は変われない。まして対極にいるような場所へは直線距離ですら結構な距離がある。

 俺は凛との契約を交わしたときに、凛の元まで歩いて行こうと決めた。どれだけ時間がかかるかわからないし、許される時間がどれほどなのかは知り得ないが、足掻こうと決めた。

 それだけに放課後に起こることは凛には伝えないようにしようと決めた。

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