第2話「契約」


「はぁ……はぁ……。どういうつもりなのか、説明してもらおうか?」


 俺は肩で息をしながら一瞥をくれる。

 吉川が栗田に煽られた挙句、まさか俺を矢面に立たせるとは思ってもいなかった。その衝撃のカミングアウトから数十秒後に誰よりも早く正気に戻った俺は吉川の手をとって教室を駆け出していた。行き先は誰も人気のないところ。つまり、屋上だ。

 ちなみにあの状況の中で一番驚いていたのは栗田だった。完全なる勘とブラフだけで彼女を追い詰めてしまったようだ。


 あの場に留まり続けていても、俺の言葉は聞いてもらえそうにないし、それどころか実力行使が実行されてもおかしくない。それほどまでに吉川凛という少女は人気であり、盲目にさせるのだ。


 とはいえ、全くのデマで殴られるわけにはいかない。

 よくも俺を巻き込んでくれたな、という視線で睨みつけると彼女は浅く呼吸を繰り返すと生意気にも睨み返してきた。


「それはこちらのセリフです。前触れもなく手を引かれて、しかも全力疾走……。私、これでも女の子なので星野くんの体力にはついていけないんですけど」

「その割には……平気そうな感じ、だけどな。……じゃなくて、俺の質問に答えろ」

「……まずは巻き込んでごめんなさい」


 吉川は深く頭を下げた。その表情は先程までの平然としたものではなく、謝罪の色が滲み出るような表情をしていた。それだけで何故か俺が罪悪感を感じてしまう。必死にその罪悪感を闘っていると、吉川はさらに続けた。


「栗田くんに聞かれた時、私はすぐに否定することができなかった。反応に困って言い淀んでしまった。その時に私は否定しても意味がないんだろうなって思ったの。……だからあの場を誤魔化そうとするために星野くんの名前を使わせてもらった」

「まぁ、だいたいそんなことだろうなとは思った。俺が居眠りしてて近くにいたから名前を使いやすかったんだろ? でも困る」


 俺のある意味で拒絶を告げる言葉に吉川はぎゅっと唇を噛み締めた。


 俺は基本的に吉川凛に対して興味がないというスタンスで学校を過ごしている。人気があるのは知っていて、その理由も理解できるがお近づきになりたいとは思わないという態度でいるために誰からも被害を受けることなく平穏な日々を送ることができている。

 しかし、咄嗟のこととはいえ、彼氏のように言われてしまうと俺のこれまでの立場や信用は崖崩れのように一瞬で失われる。たとえ弁明をしたとしてもみんなが大好きな吉川凛と平凡な俺の言葉、どちらが信用されるかと言われれば一目瞭然だろう。


「俺は人の視線を気にしながらびくびくと震えて生活するのではなく、平穏な日々を送りたい。嫌がらせを受けたりいじめられたりするのはもっとご免被りたい」

「わ、私だって好きで人の視線を浴びてるわけじゃない。一人で居たい時だってあるし、ストーカー紛いの事をされるのも嫌。ちょっと見た目がいい人はこれぐらいの我儘も許されないの?」

「……俺に言われてもその気持ちはおそらく永遠にわからない。ただわかるのはこれに関しては俺はただの被害者であなたは俺を巻き込んだ加害者だってことだ」


 吉川が訴える内容も理解できないわけではない。有名税などと言われてしょうがないと諦めざるを得ないようなことはよくよく注視してみるとただの犯罪行為であることが多い。

 たとえば彼女に関していえば尾行という名のストーカー行為などが当てはまるだろう。そんな犯罪行為をされて嬉しい人間などいない。ただ恐怖が募るばかりだろう。注目するだけで犯罪行為だとは言い切れないが、見られている側が不快に思うのならば少し考え直す必要はあるだろう。


 しかし。


 それは俺が勝手に名前を使われたこととは何の関係もない。


「よくもまあそんなことが言えるね。切れ味のいい刃物で容赦なく刺されている気分だよ」

「不快にさせたのなら謝る。でも俺は日常を壊したくないんだ」

「私が助けてって頼んでもダメ?」

「もし頼まれていたとしてもできたことは陰ながら支えてやるぐらいだっただろうな」


 そもそも彼女との接点はたまたま隣の席だというだけで会話も挨拶を交わすかどうかというぐらいだったので頼まれることは皆無だっただろうが。

 俺の言葉を聞いて、そっかと小さく呟いた。


 風が吹く。

 長髪が風に揺られる。

 彼女の視線が空を見上げる。

 その瞳は潤んでいるように見えた。


 俺は勝手に屋上に連れてきたことは申し訳ないと思いつつ、居た堪れなくなり彼女に背を向けた。


「ともかく、これ以上は誤解を与えるわけにはいかない。吉川さんからしっかりと俺との関係は何もなくあの時に名前を出してしまったのは単なる言い間違いだということを説明してくれ。それで終わりだ」


 これ以上話すことはない、と身体でも伝えるために俺は歩き出し、屋上から出るための扉に手をかけた。

 友達のいない俺に彼女との関係は危険すぎる。学校は社会教育の場所であり、一人で生活することは許されない。これまでの良くも悪くもない関係を取り戻すためにも彼女とは何もなかった状態にまで戻す必要がある。


「待って!」


 俺はぴたりと止まった。


「本当に私が説明しただけで解決すると思ってる?」


 次に彼女が発した言葉は俺が予想していなかったもので、つい身体の向きを変えて向かい合ってしまう。この態度を見て話を聞いてくれると思ったのか、堰を切ったように話し始めた。


「確かに私が勝手に星野くんの名前を使ってあの場を切り抜けようとした。それについては私が悪いって思ってる。けど、ここに来る時には星野くんが私の手を引いてたよね?」

「……つまり、何が言いたいんだ?」

「勘違いの証拠を星野くんもまた作り出してしまったってこと」

「違っ、あれはただ急いで」

「うん、それは私にもわかってる。けどその説明で本当にみんなは納得してくれるかな? 私に聞かれても『手を引かれたから従った』って正直に答えるし」


 俺の無我夢中の行動が仇となってしまった。

 あの時はしっかりと思考する暇もなかったし、とりあえず話ができる場所へと行こうとしか考えていなかった。それを彼女は突いてきた。


「誰も嘘を言ってない。けど二人の意見には矛盾が生じてる。聞いた人は次にどんな場所を見て判断すると思う?」

「……」


 俺は答えない。その答えをもう知っているからだ。


「信頼、だよ。今までの関係性がその人の心を揺さぶるの。私とあなた、果たしてどちらを信じる人が多いのかな?」

「俺を脅すのか?」

「脅してないよ? ただ事実を言ってるだけ。でもそうだなぁ、星野くんがこれからも私の彼氏として振る舞ってくれるなら私は彼女としてあなたが予想している被害から守ってあげる」


 条件を突きつけてくる吉川に対して、舌戦で完敗したことを悟った。

 信頼や人間関係は俺にはなく吉川は最も得意とするところだ。そして吉川が言うように俺と吉川が共に真実だけを弁明をしたとしても彼らの中にはどうしても埋まらない飛躍に対して矛盾を感じるだろう。そこを埋めるために信じる言葉は俺の言葉ではない。


 俺は選択肢が一つしかないことを素直に受け入れてそれに乗ることにした。

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