壱島 

鳴海京玄

第零話 夢枕

  無垢なる者が育んだ豊穣の大地 

   聳え立つは一本の宇宙樹

   樹に実りしは7つの果実 

  繰り返される星の輪廻と運命を共にし

   二人の時間は繰り返される


月明かりに包まれて目覚めた時、視界には見知らぬ天井が広がっていた。

意識は朦朧としているし全身の感覚も非常に鈍かった。

「ここは、いったい……?」

満足に動かない首筋をそれでも無理に動かしながら辺りを見渡してみる。

扉、椅子、机、窓、鏡、花、水、月

真っ白な壁紙に清らかな空気、ほのかに香る 花菖蒲の匂い、居心地の良い空間である。

おそらくこの部屋は病室だろう。

ここでようやく自分がベッドに臥していることに気が付いた。

「目、醒めたんだね」

海から吹き込んだ夜風の様に落ち着いていてどこか懐かしい声、彼女は枕辺に佇みこちらを覗いていた。月光を頼りなんとかその姿を一目見ようと必死に目を凝らした。

濡れ羽色の髪がとても印象的であった。

浅黒く焼けた肌、晴れ渡る空をそのまんま宝石にした様に澄んだ瞳、彼女は夏を纏っていた。

「誰……?」

「きっと君は私の事、知らないと思う。

でも僕にとって君は大切な人だったんだ……」

「渡したい物があるの、一緒に来て!」

「……!?」

そう言うと彼女は僕の手を握ってそのまま駆け出す。さっきまで鉛の様に重かった四肢はなぜだか急に思いのままに動く様になっていてベッドから体ごと引きづり下ろされても平気だった。しかし進む先はなぜか出入口と思しき扉とは正反対に位置する窓の方である。

さほど広くない部屋で起こった時間にして数秒間の出来事。

次の瞬間、窓から体が投げ出され声にならない声で僕は絶叫していた。そんな中、彼女はまるで自らの落下すらも楽しんでいるかのように小気味良く笑っている。この実に一方的で不条理な状況を瞬時に理解することは到底かなわないが本能的に脳が死を覚悟していた。

遂には大地に叩きつけられ衝撃と共に全身に燃えるような痛みがはしる……

はずだったのだが、着地した場所は硬い地面ではなく何か別の物だった。

「うわっっ!!」

茄子を連想させる黒くて滑らかな質感、そこそこの高さから落ちたのにも関わらず全く痛みがなかった。

「ごめんね、驚かせちゃった?」

平然と言う彼女に正直、度肝を抜かれた。

なんといっても今、自分たちは巨大な勇魚の上に乗っているのだから。

「あぁ……信じられないよ、クジラが飛んでるんだから……?」

鯨は宙に浮いて目一杯その躯体を活かしながら夜空を泳いでいる。

「この子はアタシの友達だよ、安心して、とっても優しい子だから」

笑みを浮かべながら言う彼女の表情にどこか見覚えがあるのはなぜだろうか。

「ボクの名前は菖蒲、君は?」

「僕の名前……、なんだったかな?

 可笑しいな、どうも思い出せない……」

「ほんとはあんまり時間ないんだけどね、

もう少しだけ君と喋っていてもいいかな……

何か思い出すよきっと」

「うん、僕も君から色々聞きたくなってきた。なんでだろう、君は記憶を失う前の僕にとって大切な人だった、そんな気がするんだ」 

彼女は照れたみたいに顔を背けて頬を紅らめていた。

何もかも滅茶苦茶でこの少女が誰なのかも思いだせない。それなのになぜだかこの女性の言葉は一言一言、心地良くて全て受け入れてしまいそうなのである。

巨体の上で二人は並んで天海を見上げながら語らった。

いとおしげに思い出の欠片を口にする彼女、

空の大海を彩る虹色の水母、虚空に響く海鳥の唄、目に映るもの全てが幻想的な世界で彼女の甘美な声が彼の耳に潤いを与える。

菖蒲は色々な事を話してくれた。


友達のこと、趣味のこと、小さい時のこと、

夢のこと、恋のこと、この世界のこと…… 


どれくらい時が経ったのだろうか、彼女が満天の星々を指しなが言葉を発した時、突如として自分を束縛していた枷が音を立てながら崩れさる様な気がした。

「昔ね、今みたいに君と一緒に星空を見ながら……」

「約束……したんだよな?」

記憶の波が流れ込む。

これは僕の記憶じゃない。

でもそんなことはどうでも良かった。

今は彼に菖蒲と一緒にいて欲しかった。

俺は彼女の言葉すら遮り溢れ出した感情をそのまま口にしていた。

「ずっと……ずっと会いたかったよ菖蒲!」

彼女の頬に一筋の涙、満面の笑み、

「おもいだすのおそいんだからな……ばか……」

全てを犠牲にしてでも守りたかったたった一人の恋しい人、それが菖蒲。こうして再び顔を付き合わせて話す事が出来た奇跡に感謝するしかない。

「菖蒲……ずっと一緒にいたいよ、もう二度とお前を離したくないから、だから二人で……」

情欲のままに言葉を紡ぐ俺に彼女は優しく宥める様なキスをした。

柔らかい彼女の唇が堪らなく辛い。

少しだけあたった彼女の鼻先が堪らなく辛い。

俺を見つめる純粋で美しい瞳が堪らなく辛い。

彼女の唇がゆっくりと離れていくと同時に止まった時が再び動き初める。

凍えた月が堕ちる時、世界は一瞬、瑠璃色の闇につつまれる。暗くて彼女の顔がよく見えない。

「もう時間だよ!君のいる場所はここじゃないんだから早く戻って!

今の君は神崎椿樹じゃなくて巫天、だからね、そんな顔しないできっとまた会えるんだから!」

これは悲劇的な運命なんだから受け入れる他ない。

しかし永遠ではない。この輪廻もいつかは終わりを告げるのだ。七つの世界が広がる場所、その全てを救う。それが神崎椿樹、或いは巫天に課せられた贖罪なのである。

そう分かっていても涙が止まらない。

「またお別れだな……でもいつか絶対お前を救ってみせるよ、この輪廻から……だから気長に待っててくれよ」 

菖蒲は満点の笑顔で俺を見送ってくれた。

「何百年でも何千年でも、いつまでも待ってるからね……愛してるよ椿樹」

そう言った彼女の姿は段々と霞んできていた。

「危ない……!忘れる所だったよ!」

菖蒲は何時もの調子に戻って言うと

優しい手つきで俺の首筋にそっと橙色の石がついた首飾りをかけてくれた。

「これを持って行って、きっと役に立つと思うから……」

それだけ言い残すと彼女は幻想の世界と共に消え光明が射す鯨の背には俺だけが残った。

地平線からは陽が顔を覗かせて朝が来たことを告げる。


運命が二人を別つとき再び物語は動き始めたのである。


第零章 完











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