二膳目 おにぎり

「と、ここまでが今習ってるとこ。明日の地理の小テストに出るからしっかり覚えとけよ」

「う、あ、はい。承知しましたです」

 八尋の口調がいつもと違って覇気がない。イクサの部屋に持ち込まれたちゃぶ台には所狭しと教科書や参考書、解説書などが積まれている。

 八尋が学校に潜り込んできて最初の休日に戦は八尋に勉強を教えることになった。とはいえ、教科書を開き戦が少し解説しただけで八尋はすべての問題に答えることができた。外国語は苦手かと思えば、リスニング教材を少し聞かせただけですぐに発音をマスターした。

「しっかし、驚いたな。すぐに覚えるんだな」

「物覚えはよい方なので。それに、鬼の世界でも時折人の世を覗くことはできるので、後は見てきた物との整合性をとれば特に難しい事ではありません」

 そう言われ、戦は頭を抱えてしまった。戦はどちらかといえば物覚えは悪い方で、補習に呼ばれることもしばしばだ。テストも下の方から数えて行った方が早い。

(これ、うかうかしてると抜かされそうだな)

「そういや、鬼の歳ってどうカウントするんだ?」

「はい?」

「いや、ほら。人間みたいに歳をとるのかな、って」

 一息つこうとペットボトルのふたを開ける。ぷしゅーっと炭酸が抜ける音がした。初めこそ驚いていた八尋だが、もう慣れたようだ。

「人間の様に毎年決まった歳を取る、というわけではありませんね」

「そうなんだ」

 言われてみればそんな感じがする。見た目は自分と変わらないくらいだけれど、やっぱり言葉や振る舞いから人より長く生きているものらしさを感じた。

「丹治様や紅緒様は人間の姿を見て、少しずつ歳を取るように見た目を変えていらっしゃいましたね」

「へー。見た目を変える、って変な感じだな」

「若君も、もう一つの姿がありますでしょうに。鬼は流れる時間がとっても緩やかで、老いれば急に老い、消滅するのです」

「?」

 首を傾げた戦に八尋はルーズリーフの一部に棒線を引いてみせた。

「人間の寿命を80年と仮定しましょう」

「うん」

「そして、大人になるまでは20年、そして諸説あるでしょうが70歳から老いていくとしましょう」

「そうなると鬼は?」

「この間の時間がとてつもなく長いのです。大人である時間が人間よりもはるかに長く、何年生きていた、というのが鬼の世界ではあまり意味をなさないのです」

 イクサはその言葉に犬や猫を思い浮かべた。

「子どもである時間も長いってこと?」

「いいえ? 人間とは違い、赤子である時間はとても短いのです。その者が意識すればすぐにでも大人と同じ体格になる事は出来ます」

「は!?」

「既にご存知かと思っていましたが……」

 意外だ、という顔を向けてくるが、その言葉をそのまま返したいくらいだ。

「若君はご自身でお名前を決められたと、うい姫様より伺っていました」

「マジで?」

「マジです」

 そのことを思い浮かべでも、もやもやとした記憶があるだけで、よく分からない。赤ちゃんが自分の名前を決める? ばぶばぶという言葉で”我が名は戦だ”なんて言ったのだろうか。

 喋る赤ちゃん、存在するんだ。自分がそうだった、なんてにわかに信じがたい。

「それにしても丹治様たちのお帰りは遅いですね」

「ああ、それなんだけど、今日の昼は自分達で何とかしろってさ」

 今日は市場で会合があるようでそれについて行っている。市場までは車で二時間以上かかるし、会合も飲み会を含めたようなものなので帰りは遅くなる。

「そうなると、何か作らなければ!」

「八尋は座ってて!」

「はい!?」

 びくっとして八尋が中腰になって止まる。八尋は要領がいいが、その分最短距離を突っ切ろうとする。料理に関してもそれが適応されるので

「中火で15分? 強火で5分ではだめなのですか?」

 なんて聞くものなので、危なっかしくて困る。包丁もすべて同じ包丁を使うものだから戦は何度も止めた。

「そうだなぁ、今日はそんなに動いてないから、軽めでいいな」

「なにをつくるのですか?」

「軽食の王様、おにぎりだよ」

「おにぎり……あぁ、きいたことがあります。山道の道祖神に供えられていた米を固めたものですね」

 雑に紹介された。おにぎりを知っているのなら話は早い。米を炊いて握ればいいだけの話だから、八尋でもできるだろう。


 台所に移動し、炊飯器の中を見ると空っぽだった。冷ご飯があれば水分を補充して電子レンジで温めればよかったが、炊く所からしないといけないとなると、時間を持て余してしまう。

「具入りにするか。ええっと、高菜と鮭と、梅干しと……」

「若君?」

「ご飯の炊き方ぐらい知っとかないと母さんの手伝いできないからなぁ」

 とは言っても、店で出している米は全部土鍋で炊いている。そっちの方が味が整いやすくて戦も好きだけれど、今回は手軽に。

「炊飯器ってシンプルなものなんだけど、結構深いものなんだよな」

 単に熱線で温めているだけなのに、これでもかというほどこだわりが詰め込まれている。家電量販店に行けば炊飯器だけでずらりと並ぶ。海外で米を食べる地域はこぞって買い求めるほど、そのクオリティはとどまることを知らない。

「米はまずさっと水で洗う。2人分だから1合もあれば十分かな。米は水を吸ってしまうから、水が濁って来たと思ったらすぐ変えて、しっかり水を切る」

 しゃっしゃ、とざるに米が当たる音がする。けれど、力を込めすぎると米粒が割れてしまうので程よく切る。

「水の量は線に合わせるといいけど、新米はちょっと少なめにしてもいいかもな。で、炊飯器にセットしてちょっと待つ」

「待つ?」

「給水させるんだよ。本当なら30分くらいほったらかすんだけど、それまで俺の腹が持たないから10分くらいにしておいて、具材を作ろう」

「具材……中につめるのですか?」

「母さんが作り置きしてくれてたものがあるからそれを使うんだ。俺いつか母さんの漬物作りたいんだけど、レシピ全然教えてくれないんだよなぁ」

 冷蔵庫や床下の貯蔵スペースから瓶を取り出す。紅緒のつくる漬物は人気が高く、固定のファンもついている。どうにかしてその味を再現できないかと伺っているのだけれど、仕込みの様子を一度も見た事がない。

「漬物ですか……」

「なにか思い出す事でもあった?」

「いえ、食べ物を貯蔵するところを見たことがあったので、懐かしい気持ちになりまして」

「へー」

「ヒトというものは食べないといけないのだと、幼心にも思いました」

「食べなくてもいい鬼にとっては不思議でしかないもんな。食べ物を作るのって手間だもんな」

 米にしろ野菜にしろ、肉や魚だって取るのには時間も手間もかかる。そのうえ、物によっては加工しないと食べられない。

「でも、その手間が俺は好きだな」

「いつもおっしゃっていますね」

 ジャキジャキ、と高菜の三分の一ほど切り取って元に戻す。ツンとした香辛料の匂いが食欲を誘う。青々とした表面はたれに付け込まれてつやつやと光っている。梅干しは言わずもながすっぱめにつけ込まれている。

「見ただけでつばが出るなぁ……。でも、これがおいしいんだよなぁ」

 そして最後は鮭のフレーク。これは市販のものだけど、ちょっと手間をかける。

「これは……鮭の干物?」

「そのままでも美味しいんだけど、これはちょっと一手間かけようって思ってさ」

「なぜです?」

「やっぱり、おいしい物は一番おいしく食べたいじゃんか」

「?」

「とりあえず、炊飯器のスイッチを入れておこう。もう十分だろうし」

 ピピっと電子音が鳴り始める。これで40分後にはホクホクのごはんが出来上がる。戦は戸棚から片手鍋を取り出して、油を少し入れて熱した。

 パチパチと音が鳴り始めるのを見て、鮭フレークを入れる。じゅっと焼ける音がするので、軽く火を通す。焦げ目がつかないように気を付け、温まったところで皿に取り出す。湯気が出ているのを箸でつつけばいいにおいが立ち込める。

「いい匂いですね。魚市場を思い浮かべます」

「そこまで大げさじゃなくてもいいんだけどな……。で、これにマヨネーズと、ゴマを入れて混ぜる」

 先程まで毛羽立っていた鮭がマヨネーズとまじりあって滑らかになっていく。これで完成。

「あとは炊き上がるまで待とうかな。味噌汁もあった方がいいよな」

「それならお手伝いいたします!」

「まな板は切らないでくれよ……」

「は、はい!」

 初めて調理台に立った時、八尋は自分の苦無を出したので止めた。包丁を持たせたらまな板ごと切ったので、冷や汗をかいたのを覚えている。


 味噌汁が出来上がった頃に、炊飯器が炊き上がりを知らせるメロディーを流して止まった。一旦開けてかき混ぜ、扱いやすい温度になるまで冷ますと、戦は塩水を用意した。

「八尋はこっち」

「お茶碗? それにふたつも?」

「ちょっとは冷ましたけど、熱いの苦手な人もいるしさ」

 お茶碗であれば直接触れないので簡単に作れる。うんと小さい頃はそれでよくおにぎりを作った。

「これくらいの量でいいかな。あんまり大きくとると形が崩れやすいし、具材との相性も悪くなるし」

 ぺん、と片方のお茶碗に注いで、八尋に振らせる。ガシャガシャと腕が見えなくなるくらいまで振られ、戦は大声で止めた。

「いや、そこまでしなくていいってば!」

「でも、振れと」

「まとまるくらいの速さでいいってば!!!」

「それなら……ええっと……」 

 逆に四苦八苦してしまうのはどうしてなんだろうか。戦は苦戦する八尋をよそに小さめに握った。ぎゅっと、力を込めるたびにうまみが固まっていくみたいで戦は嬉しくなった。


「ところで、八尋っていくつなの?」

「およそ200年は生きてるかと」

「え?」

「人間の歳に合わせるとそうなるだけで、鬼の世界ではまだまだ若い方です」

「で、俺は?」

「若君はまだ17歳ですよ」

「……良かった」

 良かった、という言葉が八尋には引っかかったようで、ぴくりと眉が動いた。

「よかった、とは?」

「え、ただ、えっと……」

 実は何百年も生きてました、なんて言われたら明日から孝則たちになんて言おうか、なんて思ったのだ。

「ですから、良かったとはどういう意味ですか?」

「だーかーらー!!」

 その後もしばらく八尋の質問が止まなかった。

 

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