第31話 羊頭狗肉

「お前……!」

 頭を取り戻したから、先程まであった揺らぎはどこにもなかった。鼻筋に白い線の走った見事な馬なのが余計にイクサの焦燥感を煽っていく。

「いいぜ、かかって来いよ」

 頬を伝う汗を乱暴にぬぐってイクサは吐き捨てた。


「はっ!!?」

 何かに呼ばれたような気がして八尋は目を覚ました。鬼の世界に連れてこられた八尋は体の自由がきかないことを悟った。その原因はすぐに分かった。泥が自分の体に巻き付いてまるで罪人のように繋がれている。首を回し後ろを見ると、杭が地面に突き刺さっていた。

 背中に感じる難く冷たいものの正体はこれだったのか、と八尋は息をついた。

「ここまで魄が汚れてしまうなんて、人間の世というのはついにここまで……」

 大きな時代の流れの中には多少なりとも魄が澱んだことはあった。しかし、ここまでの穢れはいまだかつてあっただろうか。

「そうだ、七番傘白波は!?」

 視界の隅々まで見渡してもどこにも揺籃らしきものはなかった。しかし、近い事は分かる。おそらく水去が何かしらの細工をしたに違いない。

「ヤァ、御目覚めかな。お嬢様」

「!!!???」

 目の前に椅子に座り、背もたれに体を預けている青年がいた。水去だ。その姿を認めた瞬間八尋の身体の紋が強く輝き始めた。髪もほのかに光りはじめ、辺りに小さな光の粒を生み出していた。

「きさまぁああああ!!」

「吼えない吼えない。せっかくの可愛い顔が台無しじゃないか。特にその綺麗な金髪がね。姉妹揃って美しい金髪なんだしさ」

「うるさい!」

「まだ怒っているのかい? 俺達鍛冶師が目覚めるのだって、ずっと昔から予見されていたじゃないか、それがたまたま今だっただけで、そこまで怒る必要はどこにもないじゃないか」

 そうだ。幼い頃から何度も聞かされていた。鍛冶師は決して滅んだわけではなく、力を温存し、いずれ世に出てくると。だが、その口ぶりは自分達のやってきたことを棚上げするかのようだ。自分達はそういう存在なのだから見過ごせ、と言っているに等しい。

「怒らずにいろだと! ふざけるな! その姿でそのようなことを吐くな!!」

 八尋が怒っている核を知っているのに、わざと気づいたふりをした。頬を軽く撫で、にやにやと笑い始めた。

「あぁ、そういうこと、ね。ガワが問題、か。この姿気に入ってるんだけどなぁ。だって本当の姿俺あんまり好きじゃないんだよなぁ。気づいてもらえないし」

「早くその体から離れろ!!!」

 急に張り上げた声が裏返り、つばがのどに引っかかった。八尋は思わず咳き込んだ。ゲボゲボという音が黒い空間に響き渡る。その姿を見て、水去は言わんこっちゃない、と肩をすくめた。

「無理だね。この姿はもう俺と同化してしまっている。俺をはがしたかったら、この姿もろとも消すしかない」

「この……! どこまでも、どこまでも外道になるのか!!」

「外道って酷いなぁ、昔から言いたいことをズバズバいう子だって、この”ガワ”が知っているけど、それでも言葉ぐらい選んだらどうだい? 尺五あたごがきいたら悲しむよ?」

「貴様! その名を口にするなっ!!!」

 尺五、それは姉の名だ。姉はもう、この世にはいない。一振りの刀だけを残して、彼女は――――。

「貴様が、姉様を!! 姉様を!!」

「あ、そうだったそうだった。ごめんねぇ、あまりにも印象に深いもんだからまだ居てくれているような気がしてさ」

 足を子どもの様にぶらぶらさせ、水去はにやにやと笑う。記憶にある姿とはかけ離れた行動に八尋の怒りは増していく。彼は、そんなことをするような鬼ではなかった。いつも真面目で、四角四面だとみんなは揶揄っていたけれど、姉の側に相応しいのは彼しかいない。なのに、なのに!

「~~~~~~~~!!!」

 やはり、この男は滅さねばならない。消さねばならない。どんなに強かろうが、残忍であろうが、構うものか。自分の全てを使って、刺し違えてでも!

「この”ガワ”だって、彼女とずっといたいってさ」

「当たり前だ! その体は、常盤ひたち殿……姉様の婚約者のものだ!!」

「常盤? そんな名前だったのか、こいつ。いやぁ、あんまり印象になくて。ほら、俺は女にしか興味がないしさ。 

 そういうと兆木がキレるんだけどあいつだって、攫ってきた女の一人や二人相手にさせてたからなぁ。俺だけ怒るのってお門違いじゃないかい?」

「……」

 そうだ、この男はそういう性分なのだと分かっていたはずだ。冷静になれ、と八尋は心を落ち着かせる。姉もその手に騙されたのだ。奴は演技が上手いのだ。だから、誰にも気づかずに姉の婚約者の姿を乗っ取り、そして―――。

「姉様を殺したのは、なぜですか。姉様を使えばお前達鍛冶師の目的が果たせるのではないですか」

「あぁ、そりゃ考えたさ。あんなに強い魄の持ち主はいないから、初めはそうしようと思ってたよ。でもあの子、ものすごくカンがよくてさ。こちらが騙されたよ。そして、君を見逃した」

 水去は椅子から下りると、八尋の前に歩み寄る。さらりと八尋の頬を撫で、甘ったるい声で語りかける。

「君さえ良ければこっちに来ない? だって、どのみち鬼なんて必要じゃなくなる。消えゆくだけの存在になるより、今までの鬱憤を晴らして自由に過ごすのもいいと思うよ」

「鬱憤だと?」

「だってそうだろう? 俺達は後で知ったんだけど、盟約を結ばされてこんな暗くて何もない所に閉じ込められてさ。君だってあの日差しの中を歩いていいとは思わないかい?」

「……」

「知ってるよ? 君と尺五がずっと人間の世界に憧れていたことを、ね。だから、本当はこっち側にいたいんじゃないか?」

「―――!?」

「剣を作れるほどの魄を持つ鬼なんてそうそういない。だから、君の剣はその短刀ではなくて―――」

 そこまで言って水去の顔が引きつった。2、3歩と下がった。その顔は青ざめている。今まであった余裕は消え果ていた。問い詰めるように八尋を睨んだ。

「お前、あの苦無は……苦無をどこに!」

「ああ、そうだ。私は姉様には程遠い。だけれど、私の戦い方にはこれが似合っているの」

 ここに来る途中、苦無をばらまいた。七番傘白波が視界を覆うほどの雨や霧を生み出しても、道しるべになるように。

「私が先に来た理由、それは……」

 魄の結晶が勢いよく散らばる音がする。それは固いもので踏みつけられる音によく似ていて、イクサの足音ではなかった。もっと強く、速いもの。

「八尋! 悪い遅れた!!」

「若君!?」

 白い髪の少年が黒い馬にまたがっている。馬は今まで二人で追っていた首なし馬に間違いない。しかし、今まで感じていた虚ろな殺気は鳴りを潜め、堂々としていた。

「こいつが道を塞いででさ」

「いえ、それはよいのです……が」

「すごいねぇ、魄の流れを一人で元通りにしたんだ。さすがは王の血統なんでもアリだ。やっぱり、兆木の奴面倒を増やしやがって!」

「お前! またノコノコ来やがったな!」

「おお、こわいこわい。じゃあ、今回も楽しみにしているよ」

 手を振りながら、水去は水に溶けるように消えた。

「クッソ、また逃げられた。逃げ足だけは早いなあいつ!」

 泥に是空を突き立てるとシュルシュルと解けていった。自由になった八尋は何かあったかのようで、顔が青ざめていた。

「八尋、あいつにまた何か言われたのか?」

「はっ!? い、いえ………私の事はいいのです。それより先に、大業物の回収を」

「そうだな。おい、馬公。お前の主人はどこだよ?」

「若君、それはあの馬ではありませんか?」

「そうだけど、なんかついてきた」

「……」 

 八尋が目を白黒させている。説明したいところだけれど、時間が惜しい。八尋に周囲の警戒を頼むと戦は馬にまたがった。


(あの様子、単なる仇って感じじゃないよな……)

 見えないように小さく震えていた。いずれ話してくれるまでイクサは待とうと思った。

「急ぐぞ!」

 いななくと馬は速度を上げていく。

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