第25話 大業物・弐

 大業物の気配を何となくわかってきた。そもそも、大きな感情の塊だと思えば分かる。目の前の馬から伝わってくる感情は、常に何かに追われているようなものだ。

(劣等感や焦燥感、そんな感情なんだな)

 イクサは今まで一枚壁を挟んだ向こうから見つめ続けてきた。刀を握り、馬の動きを追う。馬は雨など気にならないかのように、イクサの周りを駆け巡る。

 ザァザァ、地面をえぐるような雨はまだ止む気配はない。ヒトじゃないから視覚がほとんど機能しなくても何となくわかる。

 馬の動きは単調だ。だが、相手は400キロも500キロもあるようなサラブレッド。気性の荒い馬のようで、ひっきりなしに蹄で地面を掻いている。馬という生き物の速度は車にも匹敵する。その足の強さも人間とは比較にならないほど強い。

(足を狙えば……いけるか?)

 速さをとり、堅さを捨てたその躯体は足さえ砕ければ自然に崩壊する。だが、この足場の悪い中でも気にせず青影の鬣は疾走しているところを見ると、その策は優先度を下げざるを得ないだろう。

 急に馬はイクサの懐をめがけて突進してきた。今まではかすりもせずに走り抜けていたのに、確実に跳ね飛ばそうとして来ている。

「っ!?」

 とっさに刀を握り、馬の眉間に刃先を突き立てた。しかし、とたんに馬の形はまるでもやのように歪んで消える。

「消え―――!?」

 ドスン、と鈍い音と共にイクサは地面に叩きつけられた。消えたかと思われた馬のもやはイクサの背後のすぐそばで形を取り戻し、イクサを蹴り上げたのだ。地面に這いつくばったイクサの頭上では馬のいななきが聞こえた。馬はイクサの背に足をのせると、じわじわと体重を乗せてきた。

「~~~~~~~~!!!」

 雨に奪われた体温が上がって来たのを感じる。吹き飛んだ刀を探すように手を彷徨わせる。

「行きましょう、小暮」

 雨に隠れるような小さな声が聞こえた。ふ、と背中の重しが消える。しかし、傷ついた背中に力を込めることはできなかった。

「初めまして、若君。そして、ごきげんよう」

 雨に溶けるように力のない、しかし明らかに敵対する声色をした少女だった。少女はそれだけを告げると去っていく。


 ざぁざぁ、と雨は止むことなくイクサの背中を叩いて流れる。


「で、のこのこやられてここに流れ着いてきたのか」

「まぁ、そんなところだぜ。戦」

 気を失ったイクサは見知った海岸にいた。先に着いていた戦は木陰を見つけて涼んでいた。戦は刀を腰にさしその隣に座った。

「今回の持ち主は女らしいな」

「あったのか!?」

 驚いたように戦がこちらを向くので、イクサは答えようか迷った。なにせ相手は声だけだった。雨で匂いを追う事も出来ない。

「だけどな、どこかで聞いたような声なんだよな。戦、分かるか?」

「分かるわけないだろ!?」

 だろうなぁ、とイクサは腕を組んだ。魂の自分はずっとこの海岸線で待ちぼうけていたのだ。感覚の一部でも分け与えられれば、少しは役に立ったのかもしれないが、そんなことが万一にできた場合、頭の中に自分以外の意識が溶け込むことになる。

(それをやったら、混乱するだけだしな)

「とりあえず、大業物の銘の一部は分かった。小暮っていう物だ」

「小暮?」

「目覚めたら知ってるか、八尋に聞いてくれ」

「はぁ……」

 あからさまに嫌そうな顔を戦が向けてくる。そうはいっても、こっちは出てこられる条件が決まっている。そのうえ、異形の姿に変わってしまうから、人間の中にはいられない。八尋や父母ならまだしも、普通の人の中には入っていけない。

(そうやってきたもんな、俺は)


 目覚めた戦が驚いたことは、傷が全くなかったという事だ。八尋が言うのだから間違いない。戦からは馬に跳ね飛ばされ、背中を踏みつけられたと聞かされている。下手をしなくても骨にひびが入っていると思っていたのに。

「まったくございませんね」

 そう八尋は目を白黒させながら言う。八尋も不思議がっている。

「その馬を小暮と言ったのですね………」

「そうだよ。何か聞いてない?」

「……」

 八尋は黙ったままだった。

「どういう刀か知っているのか?」

「刀自身の事は存じませんが、同じ魄の気配を感じました」

「噴水の時のあれ?」

 雪のように消えたプリズムの事を思い浮かべた。

「あの時、馬は別の所にも表れたのです。それの対処に追われ、私は向かう事が難しかったのです」

「そうか」

 あの後学校に戻ると、ノリちゃんから例の馬の幽霊の投稿が跳ね上がったことを聞かされた。馬の目撃に関してのタグも増えているようで、これはもうあの配信者一人の仕業ではなくなってきた。

「この辺りだけじゃなくて、いろんなところからも投稿があるんだけど、反応欲しさのコラ画像もあって、どれが本当か分からん」

 その言葉に戦はうなずいた。馬の目撃情報は日を追うごとに増えていく。まるで戦と追いかけっこを楽しむかのように、現れては消える。

(何がやりたいんだ?)

 戦を呼び出すだけなら、普通の人を巻き込む必要はないはずだ。それなのに、戦の前に持ち主が現れたことは無い。

(このままじゃ、誰かが大けがをするかもしれない)

 馬は姿を消せるとはいえ、その実態がないわけじゃない。誰かが何らかの拍子にあの馬を興奮させ、足で蹴飛ばしでもしたら―――。

 ぎゅ、と見えないところで拳を強く握る。

「あ、見てみろセン!」

「なにが?」

「Viaのホールライブが決まったって!」

 にこにこと、今まで見た中でも最大級に嬉しそうな表情をこちらに向ける。いつも笑っているが、ここまで嬉しそうなのは珍しい。

「ライブ?」

 配信者なのに、ホールでライブをしてもいいのだろうか?

「まぁ、遠隔ライブだろうけどさ。でも、チケット争奪戦が激しそうだな。しっかりチェックしてないと、即サーバー落ちでもしたら目も当てられないや!」

 善は急げ、と孝則が詳細を目で追っていく。その光景を見て、戦はやっぱりこの件は集結させなければ、と強く思った。

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