第11話 陽炎の帷

「若君! 今までどこにいらしたのです!?」

「八尋、そういうお前だってどんどん走っていったじゃんか」

 荷物を置いているベンチに戻ってきていた八尋が何やら怒っているので、とりあえず反撃をしておいた。

「若君、あれから剣の気配を感じますでしょうか?」

「あの、なんか湿ったような、濁ったような臭いって事?」

 八尋がこくりと頷いた。

「大業物の気配は同じように大業物を持つ者にしか分からないのです。私は、ただの業物なので、そこいらの雑魚しか回収できません」

「そういうもんなのな……って、俺ソナーって事?」

 漁船になった覚えはないのだけれど。

「ソナー?」

「八尋、もしかして文明が無いとこから来た?」

「失礼な。鬼はそもそも人の世とはかかわりのない土地に住むもの。人の物事に興味を持つことなどあり得ません」

「とか言いつつ、この間駅前のケーキ屋のショーウィンドウの前うろちょろしてたろ」

 ぎくり、と八尋が身を震わせた。鬼の世界がどのような所か分からない。戦の脳内には桃太郎の鬼ヶ島しかないのだ。

「私の事はよいのです。それに、あの大火が起こった日から断続的に小さな火事が頻発しているのです。私は若君の特訓を兼ねて偵察に来ているのです」

「ふぅん。どのあたり?」

「この広場を中心にそう広くありません。人の足で歩ける程度、あるいは車に乗れば行ける範囲です。剣の力に違いありませんが、私には大業物かどうかの判断がつかないので、若君を連れてきたのです」

「それって、危なくないか? この辺りって、住宅街があるし、ちょっと歩けば学校が密集している地区だぜ」

 この間垣間見た剣同士の戦いはそれほど大きな被害は出ていなかったけれど、大業物同士の戦いとなれば、どのような被害が出るか分からない。

「そう、なのですね。では、今宵この辺りを回りましょう。大業物を回収し、元の形に還元するのです」

「……」

 実は、それっぽい臭いかいだことあるんだよね、と言いかけて飲み込んだ。この八尋の事だ、学校中をひっかきまわしかねない。そうなれば、厄介なことこの上ない。

(夜になれば現れるって、やっぱりこの世ならざるものだからかな)

 ふと空を見上げると、午後の太陽が強く輝いている。白ではなく、少しずつオレンジが混ざっていく夕方になりかけている太陽の光。


「どうか、気をつけて」

「分かってるよ、父さん。母さんも、店を手伝えなくてごめんね」

「私のことはいいのです。八尋、お願いね」

「かしこまりました、紅緒様」

 ぺこりと、あの忍者装束に着替えた八尋が頭を下げる。忍者の格好はどうにかならないのかなぁ、と思っている戦だった。戦はというと、いつもと変わらない格好だ。八尋が装束を着てくださいといっていたけれど、格好だけそれっぽくしたところで、意味がない。

 戦うのは八尋か、もしくは底から出てきた”あいつ”だろうし。

「人祓いの呪をかけます」

「なにそれ」

「呪いと書いて、シュと言います。我らの体質をこの場に付与するのです。この場を皆が”知らない”状態にできます」

「すげ……バリアじゃんそれ」

「?」

「いや、こっちの話。ほんと、実はちょっと気になってたんだよね。バトルもので街とか道路とかががぼこぼこに壊れても、ちょっとしたらすぐ戻るじゃん。だから、巻き込まれる人はどう思ってるんだろ、って」

 戦の言葉に八尋はむっとして言い返す。

「若君はどうやら、事の重大さがまだいまいちつかめていらっしゃらない様子」

「いや、この数週間割と頑張った方だと思うよ。普通だったら、もっとあわててるって」

 今まで生きてきた基盤が足元からガラガラと音を立てていた。それでも、と。

(あの”声”は……)

 戦が顔を伏せようとしたとたん、鼻にあの臭いが突き刺してきた。物が焦げた臭いをもっとひどくしたような、炎を直接嗅いでるような熱さ。

「八尋! 近いっ!」

 あわてて八尋の方に手を伸ばした。とたん、八尋の身体がぐにゃりと歪んだ。

(陽炎!?) 

 確か、熱せられた空気が光をゆがめてできる幻。その幻は一瞬でとけ、八尋が目をぱちくりさせている。

「若君!?」

「八尋、何が何だかわからんと思うが俺もそうだ!」

「近い……大業物ですね!」

「分からない、でも! なんかやばい雰囲気をビシビシ感じる!」

 シャン、と八尋が剣を顕現させる。忍者っぽい鍔の無い、反りもないシンプルな片手剣。それを逆手に持ち、八尋は体勢を低くする。

「先程から徐々に辺りが熱くなっています。自然発火する可能性もあります。お気をつけて」

「熱波で発火するのか……。どんだけチートだ」

 そう言われても、戦は暑さをそんなに感じない。けれども、周囲に目を向けてみれば街路樹の輪郭がどんどんとぼやけて行く。

 陽炎が辺りをゆがめていくのだろうか。

(来る!)

 ふと、そう感じ戦は後ろに跳んだ。と、戦が立っていたところに大きな火柱が立った。あのままぼさっと立っていれば、確実に焼かれていた。

「っと、火傷は二度と作りたくないんでね」

 炎に焼かれたのは遠い昔過ぎて覚えてはいないけれど、立ち上る炎を見れば驚きよりも恐怖が先に立つ。

「若君、大丈夫ですか?」

「大丈夫! 八尋、臭いが辿れそうにない!」

「この炎に臭いが消されているのでしょう。 若君、早く顕現を!」

 顕現。戦の場合、是空を呼び出すことなのは頭でわかっていても、どうやればいいのか、全く分からない。何度も八尋の真似をして念じてはみたけれど、影も出てこない。

「できなっ――!?」

 今度は巨大な炎の塊が上空から降り注ぐ。その1つ1つはサッカーボールぐらいだけれど、数が半端ない。空を覆いつくすように一斉に飛んでくる。

(初見殺し、ってあるんだな)

「お任せを!」

 戦が背中を向けようとした時、八尋が空高く跳ぶ。そのまま、縦横無尽に空を駆け巡る。彼女が通った道のりは閃光の様に瞬き、次の瞬間には火の玉は砕け散っていく。

「大業物でなくても、この八尋、引けを取るわけには、いかないの、です」

 さすがに大きく動いたからか、少し息が上がっている。ぜぇぜぇという息の音が戦の耳に届いてくる。

(どうやって、どうやれば是空は来るんだ?)

 何かの条件があることは間違いない。まるで宝箱のようだ。鍵がどこにあるのか分からない。

 空から降ってくる火球と同時に、またもや火が上がっていく。それを躱しながら、戦は思った。

(戦う勇気がない、からか?)

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