第3話 炎に呑まれる

 ―― 街が燃えている。

 ほんの少し前までは、何もなかった、どこにでもある町。それが今はあちこちで火の手が上がり、ひっきりなしに救急車ともパトカーともとれるけたましいサイレンが鳴り響いている。

「父さん! 母さん!」

 戦は坂道を全力で駆け降りる。いつもは安全運転を心がけているが、今は緊急事態だ。一刻も早くおかげ堂にたどり着かなければ。

(さっきの女子と関係しているのか?)

 自転車を走らせている間にも、あちこちで倒れている人が見られた。火の手から逃れようと高台を目指す人もいれば、呆然と立ち尽くす人達もいた。

(2人とも無事でいて!)

 そう願うしかなかった。自然と視界が潤んできたが、無理矢理袖でぬぐった。途中折れた電信柱に足止めされたが、戦は戻ってくることができた。

「父さん! 母さん!」

 おかげ堂の前に自転車を止め、中に入る。まだおかげ堂の中には火の手が上がっていなかったが、二人の姿はなかった。戦は声を上げ、家の中を探し回った。

「早く避難しよう!! どこにいるんだ!?」

 そう声を張り上げつつも、響くサイレンの音で声はかき消える。リビングにつくと、机の上に食べかけのスナック菓子とお茶が転がっていた。めちゃくちゃになってはいるものの、二人が外出時に持っていくバッグが消えている。

「避難、している……のか?」

 ほっとしたと同時に戦の携帯電話が鳴った。表示には”庵紅緒”の文字。電話をとると、紅緒の興奮した声が聞こえてきた。

「いくちゃん!? 今どこなの!?」

「母さん! 俺、今家に……」

「逃げて!」

「母さんたちは!?」

「母さんたちは心配しなくていいの、安全な所に隠れているから」

「そう、なんだ。忘れたものとかない? 通帳とか、判子とか」

「なに悠長なことを言っているの!! 早く逃げて! 勘づかれているのなら!」

「母さん?」

「いい、いくちゃん。なるべく人の多い所に逃げ込みなさい。何があっても、無茶な事だけはしないで」

「わかってる。じゃあ、電話を切るよ」

「…………うい姫様になんとお詫びしたら」

「?」

 なんて言ったの、と問いかける前に電話は切れてしまった。

「うい姫様って、母さんの事?」

 そう言えばさっきのコスプレ少女も似たようなことを言っていたような気がする。けれど、今はそれどころじゃない。戦は旅行用のボストンバッグにタオルや救急セットなどを詰め込んでいく。

「これも……だな」

 最後にすすけたアルバムをのせる。チャックを閉め立ち上がった瞬間、視界が揺らいだ。朝に感じた違和感が強くなったようだった。

「なにが……おこって?」

「お邪魔するよ、若君」

 ノイズの走ったような声がどこかから聞こえてきた。声のする方へ視線を向けると、テーブルの上に誰かが腰を掛けている。見知らぬ学生服をまとった青年がにやにやと笑ってこちらを見下ろしている。優男然としてはいるが、その周囲には重力を無視するかのように水玉が浮いている。

「誰だっ!」

「さっき八尋に会ったじゃないか。彼女から何も聞いてないか?」

「八尋……さっきのコスプレ忍者の事か?」

 その言葉を聞いた青年はぷっと吹きだす。腹を抱えて大笑いをする。

「仕方ない事とはいえ、兆木ちょうぎも少しくらい記憶を残せばよかったのにな。さっき口走ってたろ、水去すいこって」

 そう言えば、そんな事言っていた気がする。

「鍛冶師って……鍛冶師ってなんだ?」

 足を組みなおし、水去という名前の青年は目を細めた。シャボン玉のように浮かんでいた水がその形を変えていく。鋭利な水の刃となったそれは先ほど女子生徒が操っていたそれによく似ていた。

「これから面白いことを始めるんだ。ようは鬼ごっこさ。俺達が鬼で追いかけて破壊してごらんよ。詳しい事は八尋がくっちゃべるだろうしさ。俺は単にゲーム開始の宣言を若君にしてほしくてわざわざ来たんだよ」

「なにを言って……」

 鬼ごっこ、という。ゲームにしては馬鹿げていると戦は思った。この街を巻き込んで何をしようというのだろう。

「さぁ、目を閉じで10秒数えてくれないかな? ゲーム開始の宣言だ」

「ふざけるな!」

 近くに転がっていた懐中電灯を投げつけるが、水去にあたる前に水の刃で切断される。粉々になった懐中電灯を水去は水玉に閉じ込める。水玉が収縮すると、懐中電灯は跡形もなく消え去った。

「俺達も時間が無いんだ。温羅族の連中が集まる前にこのゲームを終わらせなきゃならないし」

「俺には関係ないだろ! 訳の分からないことに俺をまき込むなよ!」

「関係あるから、ほら、大好きな町がこんなふうになったんだよ」

「っ!」

 睨み付けるだけの戦に水去は何かを思い出したように手を打った。

「忘れてた。兆木がかけた術を解かなきゃだ。ハンデはあった方が楽しいし」

 ニヤッと笑った水去は手近にあった水の刃を戦に向かって投げつけた。

(まずい!)

 そう思った時にはもう遅い。刃が胴を貫き、床に血が飛び散った。

「う、ああああああ!!!???」

 戦の胸に激痛が走る。バタリと床に転がると、荒い息をくりかえす。どくどくと全身が波打つ。体をくの字に曲げたり、伸ばしたり、ともだえるが何も変わらない。視界もどんどんとその精彩を欠いていく。

「これで君ら温羅族のカードも揃ったね! さぁて、仕事を始めようか! どんな剣ができるか楽しみだなぁ!」

 遠くで聞こえる水去の歓喜の声に戦は何も言えなかった。手を伸ばすものの、その手は相手に触る事すらできなかった。


 ――。

 ――――。

 イクサ、と呼ぶ声がする。振り向くと、青い花が咲き乱れる花園にいた。

 あぁ、臨死体験だなぁ、そう思った。

 確かこの先に行ったら川があって、それから――。

「イクサ、来てはいけない」

 その川の向こうに立つ人に止められるんだっけ。戦の目の前には自分によく似た男性が立っている。その傍らには妻と思しき物静かな女性がいる。川は飛び越えられるほど狭い川だった。だから、その表情もはっきりとわかる。

 あ、あの二人は……。

 何度も写真で見た両親の顔だ。

「お父さん! お母さん!」

 言いたいことがたくさんあるんだ。夢もあるんだ。やりたいこともたくさんあるんだ。今まで頑張ったこととか、悔しかったこととか。

 ずっとずっと、逢いたかったと、言いたかったのに。

 戦が走り出すよりも早く、二人は遠ざかっていく。もがけばもがくほど、戦の身体は上へと引っ張られていく。今まで明るかった光景は暗くなっていく。

「イクサ、その名の通りいきなさい」

 もう一度父の声が聞こえた気がした。

 

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