剣狩りイクサ

一色まなる

火炎胎動編

第1話 狭間の子

 チチチ、と無機質なアラームが鳴り響く。二回目のアラームが鳴ったという事は今は6時ぐらいだろう、といくさは思った。朝は得意ではないけれど、家の仕事があるから、子どもの頃から早起きだけは続けてきた。

 チチチ、とまだ鳴っている。手を伸ばし、布団のすぐそばに置いてあるはずの携帯電話を目を閉じながら探っているのだけれど、なかなか見つからない。

「おかしいなぁ、音は聞こえてるんだけどな」

 そうつぶやく声は、布団の中から聞こえてくる。よく言えば穏やかな、悪く言えば締まりのない声だ。布団から飛び出てくる一本の腕は年頃の少年らしく締まっている。しかし、その右腕の表面にはうっすらと火傷の痕が見え隠れする。赤ん坊の時に負った火傷らしい。

「あ、あったあった」

 目当ての物を見つけたらしい戦はむくりと立ち上がり、携帯電話を拾い上げた。夜の間に友人たちとSNSで盛り上がって、そのまま寝てしまったのだ。充電機に繋いでいないせいで、電池残量が赤色になってしまっている。

「しまったなぁ、今から繋いでもフルにはならんし、仕方ない。バッテリーもあるから別にいいけど」

 ぼそぼそとつぶやき、戦は二階の自室を出てそのまま横にあるリビングに向かう。朝食のいいにおいが鼻をくすぐり、急に腹が減ってきた。

「あ、いく。おはよう」

「おはよう父さん。今日の朝市はいいのが見つかった?」

「あぁ、質の良い春キャベツがいくつか手に入ったからね、これを塩昆布キャベツにしてお通しにしようと思っているよ」

「いいね、それ」

「つまみ食いはダメだぞ」

「へーい」

 読みかけの新聞紙から顔を上げ、父の丹治が笑った。

「いくちゃん、顔を洗っていらっしゃい。そしたら、これをお仏壇に」

 対面式の台所から顔を出したのは、母の紅緒だった。父とそっくりの全体的に丸く可愛い感じの母。二人とも子どもの頃の呼び名をずっと使っている。中学生の頃は少し気恥しい気もしたけれど、そう呼ぶ理由が分かっていたから悪い気はしなかった。

「おはよう、お母さん、お父さん」

 物壇の前に朝食の一部を取り分けた膳をおく。今日はバターロールパンと切ったりんごだ。米を供えるのではなく、普段食べているものの方が良いのだと、母が言うので、これが庵家のルールになっている。

戦には父母が2人ずついる。産みの親と育ての親。産みの親は戦が赤ん坊の時に自宅のアパートの火事に巻き込まれて亡くなった。なので、彼らの顔は写真の向こうにしかない。

 丹治が見せてくれた煤まみれのアルバム一冊が彼らと戦を繋ぐ唯一の品。

  父親の名前は門前 たすき、母親の名前は門前ういといって、まだ30歳を少し越えたくらいだったらしい。紅緒とういが幼い頃からの親友だった事があり、事故の後に養子縁組を申し出たのだと言う。

「今日も見守ってくれよな」

写真の彼らはまだ若い。子どもの頃は何度か会いに行きたいと泣いたことはあるけれど、2人は実の子のように大切にしてくれると知っているから隠れて泣いた。

 二人が営んでいるのは小料理屋で、屋号をおかげ堂という。丹治の父親が開いた店をそのまま息子夫婦が継いでいるという形だ。子どもの頃から手伝ってきたから、自然と進路は決まっていた。

(おかげ堂を守りたいな)

 

 ささっと残ったバターロールパンを口に含むと、制服に袖を通した。通うのは五水市にある、紫陽学園高等学校商学部調理科という長い肩書きが戦の選んだ道だ。店を手伝うと決めてから、調理師免許が取れる学校を探した。そこから一番近い学校を探し、入学を決めた。

「じゃ、行ってきます」

「行ってらっしゃい、気をつけて」

 そう笑って、自転車を転がす。もう桜は散ってしまい、あちこちに葉が見える。自転車が走るたびに、アスファルトに散らばった花弁がふわりと舞い上がる。風を切って進んでいくと、すぐにレンガ造りの校門が見えた。

「よーす、セン」

「おす、ノリちゃん」

 同じく自転車通学の孝則が声かけてきた。今日はバスケ部は休みなのだろうか、こんな時間にいるなんて珍しい。孝則は自転車を止めると、教室まで一緒に上がっていく。孝則とは小学校から一緒で、同じ商学部だけれど、孝則が選んだのは観光ビジネス学科。進路はまだ決まっていないが、即戦力になるべく励んでいるようだ。

「今日は部活じゃないんだ?」

「まぁなー。それより、これ見てくれよ!」

 孝則が制服から取り出した携帯には女性アイドルのような格好をした3Dキャラクターがくるくると踊っている動画が映っていた。最近じわじわと人気を獲得した、ViAという名前のデジタルアイドルらしい。白銀の髪に、左右で色の違う瞳、青と黒を基調にした衣装をまとい、歌や踊りやゲームなど様々な活動をしている。

 反応の薄い戦に、孝則はやれやれと肩を落とした。

「お前はもうちょっと流行というものを知った方がいいぜ。すぐジジイになるぞ」

「そうやってすぐ飛びついて冷めるのが面倒だからなぁ」

 第一、普通のアイドルもわらわらと集団行動をしているし、皆同じように見える。それどころか、最近では3Dモデルを使ったデジタルアイドルというのも出てきて、もうなんだかわからない。

「今度ライブ配信のURL送るから、ちゃんと見ろよ」

「あぁ」

 孝則はそういうと、2年C組の教室へと足早に駆けていく。抜かされないように戦もその後を追いかけていく。踏み込んだ右足が廊下に出たとたん、ぐにゃりと視界が歪んだ、気がした。

「なんだ?」

「おーい、セン。置いてくぞー」

「あ、わりい!」

 そそくさとついて行く少年の背をじとりと見ている影がひとつ。その影の形が鮮明になる前に、その影は一陣の風となってかき消えた。

 見つけました、とそう呟いて。


 

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