第34話~夏美サイド~

背中に壁がぶつかって逃げ道がなくなってしまった。



背中に汗が流れていき、恐怖のために声を上げることもできない状態だ。



目の前にあの男がいる。



自分が好かれていると思いこみ、気が狂ってしまった男がいる。



「ねぇなっちゃん。これから俺たちは2人だけの世界に行くんだよ? 俺たち以外の人間はみんな下等な生き物だ。そんな生き物たちから開放されるんだよ」



男があたしへ手を差し伸べる。



急に饒舌になったのは、自分の勝ちが見えているからか。



じりじりと距離を縮めてくる男からは汗のすっぱい匂いや、カビくささ、それに水臭い臭いも漂ってきていた。



きっと何日もお風呂に入らず、洗濯もしていないのだろう。



いろいろな不快臭がまとわりついていて、吐き気を感じた。



「なっちゃん。さぁ、俺の手を取って」



その手もアカまみれで黒ずんでいる。



こんな状況で裕也が戻ってきたら、この男は本当に裕也を殺しかねない。



そうなったら、終わりだ。



あたしはゴクリと唾を飲み込んで、男を見た。



濁った瞳には一体なにが見えているんだろう。



どんな生活をしていれば、こんな風になってしまうんだろう。



こんな男の手を握るなんて死んでも嫌だった。



今だって吐き気がすごい。



だけど……裕也が死んでしまうほうが、もっとずっと嫌だった。



ここであたしが頑張らないと、きっとやられてしまう。



だから……あたしは男へ向けて手を伸ばしたのだ。



アカまみれの手を掴むと全身に鳥肌が立った。



その瞬間男が微笑み、あたしの手を強く握り返してきた。



笑え。



笑え!!



自分を叱咤して、無理矢理笑顔を作った。



その顔は引きつっていたはずだけれど、男は気がつかない。



「やっと、気がついてくれたんだね。俺が正しいってことに」



そんなの、気がつくわけがない。



仮に男が正しくても、あたしは絶対に肯定しない!!



「ああああああああ!!」



男と距離を縮めた瞬間、あたしはもう片方の手でズボンの後ろのポケットからスタンガンを取り出していた。



裕也が護身用にと用意してくれたものだった。



男が一瞬ひるんだ。



電圧は最大にしてある。



あたしは男の手をきつく握り締めて逃げられないようにつなぎとめた。



そしてスタンガンを男の腕に押し当てたのだ。



バチバチバチッ! と強力な音がリビングに響き渡り、男が悲鳴を上げて膝をつく。



横倒しになった男に馬乗りになり、更にスタンガンを押し付けた。



男がビクビクと痙攣し、そのまま意識を失ってしまった。



あたしはスタンガンを投げ出すと、窓から外へと逃げ出した。



同時に昨日見た警察官が家の前でパトカーを停車させるのを見た。



「助けて!!」



あたしはようやく、声を振り絞って助けを呼ぶことができたのだった。

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