第3話



 誰もいない室内でポツリとライトの光が灯っていた。

 辺りは既に暗く、この空間の利用者はいないようである。一人を除いて。

 彼女の目の前には、いまだに解読がされていない冒涜の書が開かれた状態で硬質ガラスに展示するように収められていた。


 ここは牧野が所属している遺物の研究部門の一室である。あらかじめ付け加えておくがドアの前には完全武装した警備員が配置されており、万が一の事態に備えている。


 ドアの開閉音と共に牧野に近づく影が現れた。


「わざわざ申し訳ございませんねぇ。こんなところにまでお呼びだてしてしまって」


 牧野が振り向いた先にはローマ・カトリックの司教服の男性が立っていた。

 どこか不機嫌で、苛立ちを感じさせる表情を浮かべているが牧野は別段気にもしていないようである。


「そちらから来るのが礼儀では?」


「いやー、そうなんですけども。これ、社外に持ち出せないので」


「それが?」


「近くでご覧になりますか?」


 司教は言われるがまま、自前の眼鏡を取り出し、開かれたページに記されている文章に目を通していく。その姿を牧野は焦らすわけでもなくただただ眺めていた。


「本物か?」


「九分九厘」


「本当に存在していたとは……」


「信じていただけました?」


「では、古代の門の言い伝えも正しかったか」


「ええ、この世界には人ならざるもの達が蠢いていることになりますねえ。我々が思よりずっと多く。この存在が広がれば間違いなく大事になる。そうだ、先日、何でしたっけ今のなうい言い方をすればえーと、そう、魔法少女だ。これを取り返しに来ました」


「これはもともと人間が彼もの達に打ち勝つための苦肉の策だったはずだ。それは大事だろうな。この世界に取り残された彼の者達が、こちらで築き上げてた平穏を奪い去る危険がある代物だ。中には、人間を支配しようとするものさえ出てきかねん。魔法少女の考えもわからんでもない。この均衡を崩したくないんだろう」


「あなたに彼女の考えが?」


「お前が言ったんだ。彼女は取り戻しに来た、と。そうなればこれを守っていたのはその少女の一族ではないかとな」


「口は災いの元ですねぇ」


「それで、我々は何をすれば良い」


「あ、こちら既に2割の解読は終わっています。それだけでも我々の技術は躍進しました。そこからの進捗がどーにも。古代ギリシア文字、ルーン文字などなど、こういった、ありがたい古語であれば、あなた方が得意ではと思いまして。宗教を司る上で古語は必須。そしてぇ、魔術や儀式にも精通しておられる。これ以上の適任者はいませんよ」


「古文書が読める人間など他にもいるはずだが?」


「言ったでしょう? 読めるだけではダメなんですよ」


「お前達はこれで何をしようとしているんだ?」


「はて? 何をとは、一介のしがない会社員に酷なご質問をされますね。んー、ただそんな大それたことなんてしないと思いますよ」


 そう笑顔で答えられてしまうと、特に何も言い返せなくなってしまう。少しばかり目的を聞いているかも知れないが、やはりただの下っ端という事なのだろうか。


「ところでこれ解読できそうですか?」


 牧野のメガネのブルーレンズに展示用の光が反射してしまい眼物は見えないが、口の形から先ほどの笑顔を崩していないことは分かった。

 彼女は一体何を考えているのだろうか、あの色付きのレンズから世界をどう見ているのか気になってしまう。

 それもそうだ、この世に人外や魔法を使えるもの達が存在して、あまつさへその本を狙ってくるとなれば身の危険くらいは感じていても不思議ではない。それに、そんな連中が手に入れようとするこの本を使ってこれから会社が行おうとしていることを恐れないのだろうか。


「教会もこのご時世、資金繰りが厳しいとお聞きしました。協力していただければ、ご満足いただけるお礼は約束いたします。政府から横槍も入らないようにこちらで抑えてあります」


 まるで悪魔の囁きである。分かりきっている、こちらが持っているノウハウも弱みも全て握られてしまっているのだ。

 その上、聞いていればこちらを脅すわけでもなく、諭すわけでもなく、頼むわけでもなく、ただひたすらに呟いてくる囁きがまさに悪魔のようだ。


「尽力させていただこう」


「今度、皆様が集まる晩餐にご出席ください。お喜びになられると思いますよ」


 司教を会社のロビーまで案内した彼女は青く光るカラーレンズの下から先ほどと変わらない笑みを浮かべている。

 黒で統一されたスリーピースと革靴、そしてあの表情。先程は悪魔と表現したが、これは違う得体の知れない何かだと司教は考えを改めたのだった。





「それでどうだったの?」


 司教を送り出しロビーに戻った牧野に、待合用に備え付けられたソファーに腰掛けたヴァーニが声をかけた。


「お久しぶりですね。バカンスはいかがでした?」


「何がバカンスよ。ヨーロッパのクソ田舎に行かせといて」


「私が行かせたわけじゃないですよ。それで?」


「場所を変えましょうか」


「えー?」


 そのまま連行されるように連れ出された牧野はヴァーニが御用達の店へと連れてこられた。

 目の前には彼女がおせずめだという品が次々と並べられてくる。どう考えても高待遇だということが分かる。


「あのヴァーニさん?」


「あんたワイン飲めたわよね?」


「まぁ、嗜む程度には」


「じゃあこれをお願い。……それで、まださっきの答えを聞いてないんだけど?」


 身をテーブルに乗り出す形でヴァーニは牧野に詰め寄る。その裏にはワインのテイスティングをしてもらうためのウェイターが困り顔で立ちすくんでいた。ヴァーニが話し始めてしまったため、声をかける機会を失ってしまっているようだった。


「さっきの? あぁ、たぶん大丈夫でしょう。金がなければ宗教も人は救えませんからね。あー、そこの君ね、えっとそこのウェイターの。ワインのテイスティングはなしでいいよ。よろしく」


「かしこまりました」


 胸を撫で下ろしたように去っていく彼に牧野は新人さんかなぁと呑気な感想を持った。


「くだらないわね、これだから人間は。そもそも奴らにアレのの力を引き出せるの?」


「さぁ、まあ概要だけでも分かれば」


「なら、あいつら引き入れる意味あるの?」


「数百年も宗教戦争やってきた戦争のプロですよ? 大いに意味はありますって。それに横槍も少ない方がいいでしょう? ……それにダメならその力を持つものを探しますよ」


「また手間取りそうな話ね」


「そうでもないかもしれませんよ?」


「ま、あんたに任せるわ」


「司教からは何をするつもりなのかと聞かれましたよ」


「それで?」


「さぁ、私には荷が重い質問でしてえ。そうだ、世の中の人間の何割が自分という存在とその役目を理解していると思います? ちなみに私だっていい給料をもらって生活水準あげたいってことくらいしか考えてませんよ」


「……さぁね」


「企業だって同じですよ。そりゃまぁ理念なんてのはあるんでしょうが、その根幹は会社を拡大させていくことだけですから。その理念というウイルスは組織での相乗効果を生み出して、勝手に蔓延していく一種の風土病ですよ。そしてそのウイルスに取り込まれた下位の者達に崇高な理念なんてありません。みんな自分の生活が大切なので、目の前の仕事をこなしてゆく」


「あんたはどうなあのよ?」


「私? 私だって会社の歯車にすぎませんよ。アニメの悪役じゃあるまいし。それで、そちらはどうでした? 冒涜の書の以前のありかは分かったんですか?」


「はっきりはしない。ただ、書が移されたのはナチス政権が確立してまもなくのことよ。書を保管していた者達は、ナチスと友好関係でかつ遠方に書を移すことにした」


「んふふふ、なるほど。それで日本へ。友好国へならばそこまで荷物を調べられることもない、と。よく考えましたね」


「そしてその書を守っていた一族も来日したようだけど、そこからは各地に分家化を図り形跡をできる限り消してたわ」


「日本人の血を入れて名前を変えてる可能性もあると。いやー、厄介ですねえ」


 タバコに火をつけた牧野は言葉とは裏腹にどこか楽しそうであることにヴァーニは気づいていた。たが、それをあえて言うことはない。


「ヴァーニさんは、なぜこちら側に?」


「ここは私が払っておくわ。お疲れ様」


 そうしてヴァーニは牧野の質問には答えずにその場を後にしていったのだった。

 張り詰めた空気が一気に切れると牧野は大きく背伸びをして再びタバコに火をつけた刹那、「まきのさぁーん!」との大きな声に驚いてピクリと動きが止まる。

 声の主は加賀であった。


「牧野さん、ずるいですよ」


「何がさ」


「今日、食事誘ってたのに」


「しょうがないじゃないか。急に連行されちゃったんだから。私は悪くないよ」


「こんないいお店連れてきてもらったことないですよ!」


「だぁかぁらぁ、私じゃないの? 分かるかい?」


 加賀は牧野に泣きついていたかと思えば慌ただしく席に腰掛けてあまり手のつけられていない料理をひたすらに眺めていた。


「食べたいなら食べればいいじゃないか」


「いいですか!」


「彼女を連れてくる勉強にでもしてなさい。あ、ウェイターさん飲み物だけ別会計でもらえるの? 大丈夫? ならそれでお願いします」


「かしこまりました。あのご注意は?」


「ハイボール。うんと冷たくね」


「かしこまりました」


 牧野は料理をパクつく加賀姿を見て、椅子に浅く腰掛けて砕けたように足を組みながらただ窓の景色を眺めていた。何か思うことがあるのかは今は彼女しか分からない。

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