第2話 キスなんてしないで

のばらがシャワーを浴びている間、ゆりかはベッドの隅でくまきちを抱きしめながら三角座りをする。


思い出すのはあの時の・・・のばらの姿。

シャワーを浴びる音が余計にそれを連想させる。


ゆりかは首を振って現実に戻ろうとする。

冷血人間。無表情人間。潔癖な人間。

あの時ののばらは、どれ一つをとってものばらではない。

そして、それを自分は見てしまった。

のばらはどう思っているのか・・・。


「きっと私の事、最低な人間だと思ってるわ。私だったら耐えれないもの。二人で歩く度に思われるんだわ。最低な女って。のぞき見をする卑劣な女って。」


ゆりかは頭を抱えて悩む。


「私、そう思われながらずっと一緒にいるなんて無理よ。」


そして、何より・・・のばらのあの姿を思い出してしまう。


「言っておくけど、いつも通りにして。私、今も貴女の事は何も思っていないから。貴女の考えなんて昔から興味ない。外では一緒にいることが大事、それだけよ。」


ゆりかの背後から彼女の考えを読んだように、のばらがそう答えた。

シャワーから出たようである。いつからどこからゆりかの話を聞いていたのか・・・マイナス思考のゆりかはぞっとした。


「あ、あの・・・のばら、ごめんなさい・・・私、そういうつもりじゃ・・・!!」

「私の言葉聞いてたの?そういうのやめて。私は何も思ってないから、貴女は私と美しい関係を続けることだけ考えて。」


ゆりかは気まずそうに頷いた。


「夕飯、行きましょう。ゆりかさん。」


のばらは微笑むと彼女に手を差し伸べたのだった。


どうせ、この手も帰ってきたら洗うのだろう。どうせ。


ゆりかは、いつも気にしない彼女の行動が辛い。しかし、そうは言っていられない。ゆりかとのばらは誰よりも美しい関係だ。お互いを尊重しあっているのだ。


ゆりかは無言で差し出した手を取り、彼女と手をぎゅっと繋ぐと部屋を後にしたのだった。


ゆりかとのばらは手を繋ぎあいながら、食堂へ向かう。

女学生とすれ違うたび、微笑みかけて手を振る。勿論、先ほどあったことなど知る由もない女学生たちは二人の美しい関係性にうっとりしていた。

ゆりかはいつも以上にそれが苦痛だった。


食堂。

今日も二人は隣同士で夕食をとる。

二人はいつも向かい合わずに隣同士で食べる。その方が、距離が近いからだと以前のばらが提案したのだ。


二人がコンビを組んで以来、どうすればいかに美しい関係を演じられるのか・・・それだけが二人の唯一会話する内容だった。


そんな折、気が散りがちのゆりかはパンを自分のスカートに落としてしまう。


「あ・・・。」


それをすかさずのばらは見たのだが、その目が一瞬こわばったようだった。


「ゆりかさん、パン。」

「ごめんなさい。」


すると、のばらはこともあろうかそのパンを拾うと自分の口に運んだ。


「ゆりかさんはそんなもの食べられないでしょ?私が代わりに食べてあげる。」


それを見ていた周りの女学生は黄色い声をあげる。

粗相をしたプリンセスが辱めを受けさせないようにプリンスがかばっている。彼女の口にしたパンを自ら食べたのだ。これほど皆が沸き立つ行為ほどない。


いつもなら、すぐにありがとうと言うゆりかだがその言葉がなかなか出てこない。

ちらりとのばらをみると睨んでいる。はっとしてゆりかは会話を成り立たせた。


「ごめんなさい、のばらさん。貴女にそんなことさせるなんて、私、なんて愚かなのでしょう。」


この気持ちは本当だ。嘘ではない。


あの極度に潔癖なのばらが!

自分のスカートに堕ちたパンを食べる。自分が口づけたパンを食べる。


きっと本当は汚くて汚くて気持ちが悪いに違いない。今すぐトイレに駆け込んで全てを吐き出すくらい気持ちが悪いに違いない。

しかし彼女はその気持ちを押し殺してでも美しい仲を続けている。

それほど彼女はこの関係を大事にしているし、それ以上にゆりかはどうでもいい存在なのだ。


「気にしないで、ゆりかさん。」

「ごめんなさい・・・のばらさん。私のせいで・・・。」


案の定、のばらは部屋に帰ると洗面台に駆け込んだ。

食事からしばらくたっているのでさほど吐くものはない。だが彼女は、水を流しつつづけて震えながら洗面台に顔をうずめている。


「ごめんなさい・・・のばら。私のせいで・・・。」


のばらに近寄ると彼女は思い切りゆりかを突き飛ばした。


「お願い、もうあんな失態を犯さないで。次やったら・・・私、耐えられる自信がない。」

「ごめんなさい、もうしない。貴女と私は・・・美しい関係。それに専念する。」

「わかったなら、あっちに行って。今日はもう貴女の顔なんて見たくもない。」


ゆりかはそれ以上何も言えずに自分のベッドに帰っていった。

そして何をするでもなく膝を抱えて座っている。本当はくまきちと話したい。彼女の安定剤のくまきちと。だが、これ以上のばらを刺激したくなかったのでただうずくまっていた。

のばらを見るとようやく治ったのか口を濯ぐと、イライラしながら制服を着替え出した。


当初こそ、のばらは服を着替えることすら誰かに見せるのを嫌がってシャワー室で着替えていた。

だが、それは慣れていったのか面倒になったのか分からないがゆりかの前でするようになった。

少しは心を開いて人間らしくなったのかしら。

そう思った時もあった。

だが、のばらは何も変わっていない。相変わらず汚いものを嫌うし、ゆりかと手を繋ぐことも嫌がる。


そして、今も。


やめよう。

自分が気にすれば気にするほど、のばらが傷つく。何も気にしない方がのばらは傷つかなくて済む。

これ以上、のばらに迷惑をかけたくない。


「もう、困らせたくない。」

「何か言った?」

「別に・・・。」


困らせたくない。

ゆりかはぼんやり考えた。

今までそんなこと思いもしなかった。むしろ、いつか困ればいい。人を見下すのばらなんていつか見下さればいい。

それに、のばらだってゆりかを嫌いなのだ。そんな最悪な人間に嫌われるなんて上等である。のばらに限っては、何を考えているのか知りもしたくない。


なのに、今は少し変だ。

のばらに迷惑をかけたくない。

それによって嫌われたくない。

彼女が何を思って動いているか気になって仕方がない。

そして最後に浮かぶのは、あの美しい表情で喘ぐ彼女の姿。

考えては考えては結局、最後にその姿に行き着く。


何を考えているのかのばらには絶対悟られたくない。のばらとは美しい関係でいたいから。だがらのばらはそんなことは一欠片も望んでいない。


「ごめんね、のばら。」

「ゆりか、貴女って本当に気持ち悪い。」

「・・・でしょうね。私もそんなのばらが嫌い。」

「そう。安心した。」


いくら何を思っても彼女たちの関係は冷え切っていた。


次の日。

二人は何もなかったように仲良く並んで歩く。

ただ、誰もいない間は手を繋ぐことはなかった。

いつもは部屋を出たらすぐに繋ぐのに。

これは、のばらなりの怒りの表現なのだろう。それが痛いくらい伝わってきてゆりかは辛かった。

結局それは寮を出るまで続いた。

だが、外に出るとそうはいかない。

アイドルを待つように外には彼女たちを出待ちしている女学生がたくさんいる。


「おはよう、みなさん。」


のばらは女学生たちに笑顔を振りまく。その笑顔はもちろんゆりかにも向けられる。


「行きましょう、ゆりかさん。」


のばらは、いつものようにゆりかに手を差し伸べた。


その時、ゆりかの脳裏にさまざまなことがよぎる。


悦んでいる表情ののばら。

真実の美しいのばら。

みんなに微笑みかけるのばら。

嘘の美しいのばら。

手を繋いだ後、執拗に手を洗うのばら。


そして、最後にのばらの言葉が響く。


"気持ち悪い"


「ゆりかさん?」


のばらがゆりかの手に触れた。

だがその瞬間、ゆりかは信じられない行為をしてしまった。


「嫌っ!触らないで!!」


のばらの手を思い切り振り払ったのである。

しぃんと辺りが静まり返る。

辺りの空気が凍りつく。女学生の目線がゆりかに集中する。何が起こったのか分からないといった顔で。

あののばらの顔ですら凍りついている。


「あ・・・。」


何かを言わなければ。

だが、元々コミュニケーション能力の低いゆりかである。急に対応する言葉が見つからない。

目線を動かし、ただ狼狽えていると、のばらが慌ててゆりかの手をとる。


「ごめんなさい。ゆりかさん、静電気が起きちゃったわね。痛かったでしょう?」


ゆりかはその言葉で会話をつなげなければと必死に合わせる。


「いえ、私の方こそごめんなさい。痛くて、思わずあんなはしたないことをしてしまったわ。のばらさん、驚かせてごめんなさい。」


のばらは微笑みながら首を振り、ゆりかの手の甲にキスをした。 


「痛かったわよね。私、貴女がそんなことになるなんて・・・とても嫌なの。だから、いつも通り手を繋ぎ直しましょう?」


周りの女学生たちは、そういうことかと安堵する。むしろ一連の行動に歓喜の声をあげているくらいだ。


しかし、先程ののばらの言葉は嘘ではない。こればかりは本当だ。


お前が失態をおかして、それを自分がカバーするなんてとても嫌だ。はやく、いつも通りしろ。


といったところであろう。

それだけではない、ゆりかの手の甲にキスまでして。


ただただ辛かった。


その日の夕方。

二人の部屋。

やっと二人きりになれて、のばらはゆりかを睨んだ。


「何やってるの?ねぇ、何やってるの?ただでさえ嫌な思いをして私はやってるの。これ以上嫌な思いをさせないで。頼むから、やめて。」


ゆりかは右肘をぎゅと押さえてゆりかに謝る。


「本当にごめんなさい。私のせい。全部、私のせいよ。引っ叩いても構わないわ。」


すると、のばらは完全に見下した目で言う。


「嫌よ。貴女の頬を触るなんて汚い。」


返す言葉もない。

こう言われるのはわかっていたはずだ。なのに何を言ったのだろう。それでも触れて欲しかったのか。

そして、その悲しい気持ちは苛立ちに変わる。


「汚い、汚い!のばらはいつもそう言う!あんな行為しておいて。それはなんとも思わないの?それは汚いの部類に入らないの!?」


のばらは暫く黙り込むと、声のトーンを落として口を開く。


「汚いと思ってる。でも気持ちいいっていうから、どっちが本当なんだろう、どっちが嘘なんだろって思っただけ。でも何回しても分からない。あと一回、あと一回したらわかるかもしれない。そう思ったらこれよ。」

「のばら・・・?」

「でも、もう終わりにする。貴女がそんなに気にするなら。」


ゆりかが何も言えず黙っていると、のばらは嫌味な笑い方をして彼女に近づいてきた。 


「もしかして、貴女もしたいからそんなに気にしているの?」

「違う!!」

「そうね。貴女にはそんなことする度胸もないでしょうけど?だったら私が手伝ってあげましょうか?」

「え・・・?何を言っているの・・・?」

「少しお手伝いしてあげる。少しだけね。」


のばらはゆりかの顎を引き寄せるとそのまま彼女の唇に口づけた。


「・・・っ!!」

「・・・っはぁ。」


そして、のばらは呆然とするゆりかを突き放す。

そして唇を手で拭うと一言。


「汚い・・・。」

「・・・・・・っ!!」


それを聞いてゆりかは悔しくて悲しくて辛くて、必死に泣くのを堪える。

のばらはというと、お構いなしに洗面台で口を濯いでいる。


「・・・キスなんてしないでよ。」

「何?聞こえない。」

「汚いと思うなら、キスなんてしないでっ!!」


のばらはゆりかをちらりとみると、そうよね・・・と言う。


「もうやめておく。やっぱり汚かったから。」


辛い。悲しい。苛立つ。悲しい。

そんなこと言わないで。


これを明確な言葉にするなら、多分「恋」だ。

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