蜥蜴(とかげ)

Meg

第1話 洞窟の中の化け物

 その日は、一座が村にやってきて、曲芸きょくげいを披露していた。金ぴかの着物を着た若い男が、まりを蹴りつつつなわたりをする。

 うしろでは、男と同じ金ぴか衣装の数人が、馬の尻尾を束ねた弓をすべらせ、飴色あめいろ胡琴こきん(弓で弦を擦って音を鳴らす楽器)を弾いていた。

 村人たちはめったにない娯楽を真剣に見物していた。

 綱わたりをする若い男が、胡琴の音にあわせながら、余裕しゃくしゃくで大仰にまりをける。村人たちはみな首を上下させ、鞠の軌道を目で追う。さあもう一歩で綱を渡り切るというところで、突然胡琴弾きの内の一人の娘が、やけに調子はずれな音を鳴らした。

 若い男は拍子抜けして綱からおちる。胡琴はなりやみ、一座も見物客もみなあぜんとした。

 しんと静まり返った場。胡琴弾きの娘は赤面してうつむいた。




 どこまでも続く青空の下に、みはらしのいい丘があった。背の高い木が一本だけ立っている。

 胡琴こきん弾きの娘ミオは、根の上に座り、身体からだを縮こませ嗚咽おえつしていた。幹に、黒い布に入った胡琴を立てかけている。

 ミオのうしろから、曲芸師きょくげいしの若い男、ユンが話しかけた。


「ミオ、あんまり気にすんなよ。だれだって失敗することはあるんだからさ」


 ユンは金ピカの衣装から質素な麻衣あさごろもに着がえ、身体からだのところどころに薬草の染みた布をはっている。


「ユンの兄貴あにき。だってもう三度目だよ。曲をまちがえちまうの。おかげで客は帰る、座長ざちょうにも怒られる、おまけに兄貴にけがまでさせて。なさけなくて死んじまいたい」


 ミオはひざに顔をうずめ、しゃくりあげた。

 ため息をついたユンは、ミオのとなりに座り、肩に腕をまわす。


「何度もまちがえるのはおめぇだけじゃねぇだろ。おれも客の前で何度もとちって恥をかいたし、いまじゃ凄腕すごうでの座長だって昔は見れたもんじゃないって聞いたぜ」

「でもみんな結局うまくやっているじゃないか。あたしなんか美人でもないし、人の言ったことをとりちがえるし、くだらないことでおたおたするし、いつもだれかに迷惑をかけるんだ」

「おいおい」

「もといた村がそうして居心地が悪くなって一座に入ったのに、結局同じ。あたしのいていいところなんて、この世のどこにもないんだよ。あたしはどこに行ったって独りなんだ」


 あわれなほど声をふるわせるミオに、ユンはあきれはてた。


「あのなぁ。ミオの話には『だって』だの、『でも』だの、『あたしなんか』だのが多すぎなんだよ。そこまででもないだろ。もっと気楽に考えられないのか?」

「兄貴にはあたしの気持ちなんてわからないよ!」


 泣きながらミオはすっくと立ちあがる。胡琴の入った布をひっつかむと、丘の下の森へ駆けだした。


「おい。どこに行くんだよ」


 ユンはあわててひきとめようとしたが、ミオの足は止まらない。




 気づけばミオは森の中で迷子になっていた。

 靴はすりきれ、衣装には泥や葉がついている。

 暗くなった空をみあげると、黒雲がゴロゴロと音を立てていた。わき目もふらずここまで走って来たが、頭が冷えると急に不安におそわれた。

 このままもどれなかったらどうなるんだろう。ユンや一座のみんなと二度と会えなくなってしまうのではないか。

 胸がしめつけられた。だが同時に、自分は彼らの中にいてはいけないのだから、そのほうが都合がいいのだとも思った。


「どうせどこに行ってもあたしはなじめないんだ。あたしはみんなとちがうから」


 ポツリと、鼻先に冷たいしずくがあたった。

 手にかかえている胡琴が気になる。

 自分はどうなってもいいが、この子はだめにしたくない。雨やどりしなければ。

 ミオはあたりを歩き、雨をふせげそうな場所をさがした。中々良い場所が見つからない。

 皮膚に当たる雫は、次第に数をました。体が冷えてくる。胡琴をいだき、ふるえた。

 すると、どこからか楽器の音が聴こえた。耳をすませる。

 あれは胡琴こきんの音だ。しかもかなりうまい。もしかすると、あの奏者はあまやどりをしているのかもしれない。

 ミオはわらにもすがる思いで、音の方向へ走った。


 


 雨足がしだいに強くなる。

 音をたどり、ミオは石の洞窟どうくつを見つけた。入り口には水仙すいせんが生えている。

 胡琴の音は、その中から確かに聴こえる。

 ホッと胸をなでおろし、足音を立てず静かに洞窟に入った。




 何も見えない石の暗闇で、胡琴の音がよりはっきりと、より美しく反響している。ミオは壁づたいに洞窟の中を進みながら、音に聴きいった。

 こんなにきれいな音が出せるなんて、一体どんな奏者がひいているのだろう。そう考えていると、不意にあることに気づいた。

 いま流れている曲の節は、今日まちがえて弾いた曲につながっている。その部分は昨日徹夜でひきこんだから、目をつむってでもひける。

 ミオは手さぐりで、布から自分の胡琴をとりだし、弓を構えた。

 自分の胡琴はあれほど見事ではない。うまく弾けるかもわからない。けれど、あわせてみたい。

 軽く息をすいこんでから、曲の節が始まるところで弓をすべらせた。

 闇の中の流麗な音は、一瞬とまどったようだったが、すぐに元のとおりになる。

 二つの音は完全に重なり、洞窟に心地よく反響した。



 曲が終わると、ミオはうれしげに、暗闇に向かって声をかけた。


「すごい腕だねぇ。あんただれなんだい? このあたりの芸人?」


 しばらくの沈黙のあと、くぐもった声で、『いな』と答えが返った。


「そうかい。あたしはミオっていうんだ。よかったらこっちに来て、あんたのことを教えてよ」

「ミオ! 早く逃げろ!」


 切羽せっぱつまった男の声が聞こえたかと思うと、にわかに洞窟が火の光にてらされた。

 入り口に、恐怖に顔をゆがめたユンが、火のついた松明たいまつを持ち立っていた。


「ユンの兄貴?」


 ミオはユンのほうへ近づこうとした。すると、固く、乾いたものが腕に当たった。


「はやく逃げろ! 横だ!」


 横を見れば、ボコボコとした緑の皮膚に、まぶたのないぎょろりとした目の巨大な生物が、ミオの腕をつかんでいた。

 あまりの奇怪きかいさにさけび声すらあげられず、ミオはただ気が遠くなった。

 意識をうしなう寸前、血のような赤色が視界を覆った。

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