第5話 倉山の歩む道

 恭仁は高校に合格した。卒業生の99%が国公立大学へ行く進学校であり、恭仁の姉の霧江も通っており、兄の貞義や隆市も通ってきた高校だ。兄2人は既に卒業して首都圏の国立大学へと進学し、キャリア警察官のエリート道を志した。しかし長男の貞義は、国家公務員試験の合格に至らず、卒業後は帰郷。大卒資格の地方公務員枠で警察学校の門を叩いた。次男の隆市は未だ在学中で、貞義より頭脳明晰であり成績はトップクラス、倉山一族の悲願たるキャリアへの道に照準を定めていた。


「兄貴は遊び過ぎてたのさ」


 春休みで帰郷していた次兄の隆市が、手酌でビールを注いだグラスを傾け嘲った。


「恭仁、兄貴が東京でどれだけブイブイ言わせてたか、お前知ってっか?」


 恭仁が頭を振ると、隆市が居間をぐるっと見回し、彼に顔を寄せて囁いた。


「女漁りだよ。難関大に受かったエリート様の身分を鼻にかけてサ、顔合わせる度に女が違うんでブッたまげたね。まぁ俺も、彼女の1人や2人そりゃいるけど? 兄貴の女癖の悪さときたら異常なもんだ。女が俺を放っておかないんだって言って憚らずに取っ替え引っ替えのやりたい放題さ。へへ……親父が聞いたら卒倒するだろうぜ」


 恭仁はどこか遠くの世界の出来事のように、隆市の言葉に生返事で応えた。


「恭仁よ。俺の調べによりゃ、倉山の家系にゃ代々の傾向があるぜ。男も女も関係なくだ。祖父さんや親父、あのクソ真面目の堅物どもだってよ、今となっちゃあ口を固くしてるが、若い頃は波乱万丈だったろうぜ。血には抗えないのさ」


 隆市は片手で卑猥なジェスチャーを象り、ゲヘヘと低俗な笑みをこぼした。


「女だけには気を付けろよ、恭仁。人の色恋にのめり込んだら穴二つ。どっちの穴に入れっちまうかは入れた時のお楽しみ……ってお前にゃまだ早かったな」


 隆市はグラスのビールを呷り、瓶もラッパ飲みで飲み干して笑うと、両手の卑猥なジェスチャーを前後させ痛快に笑った。彼の眼差しが据わってギラつく。


「恭仁、俺はやるぜ。警察庁に乗り込んで一山当てて、権力も金もいい女もみーんな物にしてやる。長男より優秀な次男が居たと、家系図を塗り替え語り継がれるようなぶっとくて長い伝説的な人生を生きてえ。それでこそ男の生き様だろうが」


 上気した顔で隆市が捲し立てると、お前も頑張れよと恭仁の肩を叩いた。


「お前が兄貴をブッ倒したって聞いた時、ぶっちゃけ俺は胸がスッとしたぜ」

「……そうだったの?」

「ああそうさ。俺も正直、あのトンチキにはいつもイラついてたからよ」


 隆市が大儀そうに腰を上げると、そう言って冷蔵庫に向かった。


「……だがよ恭仁。男は腕っぷしだけじゃダメだ。分かるか」


 隆市は缶ビールのプルタブを引き開けて歩き飲みしつつ、恭仁を横目に見て語ると腰を下ろした。恭仁は俄かに眉根を寄せ、身構えた。全身から殺気が立ち上る。


だよ、恭仁。常にでギラついてちゃ、碌なヤツが寄ってこねえぞ」

「……大きなお世話だよ、兄さん」

「そうカッカすんな、まあ聞けって」


 隆市は赤ら顔で旨そうに缶ビールを呷り、缶の底をテーブルに叩きつけると恭仁を尻目に見た。


「リアルな話、一人の人間の強さってヤツぁ上限がある。強いヤツの上には決まって別の強いヤツがいるし、天辺の最強の座は常に入れ替わり立ち代わりしてる。誰にも舐められないよう、最強の男を目指すのは得策じゃないってことさ」

「……何が言いたいんだい?」

「おおこわ。そんなんじゃ女にモテねえぞ。要するに、腕っぷしの強さだけじゃなく立ち回りの良さ、知恵の周りも大事ってことだ。お前もちっとは、歴史を学んだ方がいいだろうぜ。万軍を率いる勇ましい大将軍様も、仲間内でしょうもない逆恨みからの罪をチクられて、皇帝に処刑されることだってあるんだ。人一人の力がどんなに強くたって、大軍隊に取り囲まれりゃお手上げだ。って言うだろ。人間は神様じゃねえからよ、どんなに鍛えても殺されりゃ死ぬだろうが」


 恭仁は視線を感じ、肩越しに振り向いた。居間の戸口の向こうに、人影があった。姉の霧江だ。物音一つ立てず、隆市と恭仁の会話を聞いていた。霧江の苛烈さを宿す切れ長の双眸が、焼き入れした地金のように深く暗い恭仁の瞳と視線を交わす。


「うぉーい、聞いてんのかぁ恭仁クン? 兄ちゃん、今スゴクいい話しただろが?」


 酒臭い息を吐きかけ、隆市が半笑いで恭仁の肩に腕を回した。風鈴のように左右へ揺さぶられた恭仁が、再び背後へ視線を戻した時、霧江の姿は既にそこに無かった。

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