葬式

 やがてバスは停まった。


 伯父さんは私たちに降りるように口と手で促すと、ひょいと軽い身のこなしでバスから離れて行った。




「すんげえ家だな」



 坊主頭の少年がそう言ったのはもっともだ。

 私の目の前にある建物は私の知っていた家と言う枠の中で、最上級と言っていいそれだった。私たちどころか伯父さんよりも背の高い玄関に、私が暮らすマンションの部屋の何倍もありそうな長さの木のへい。

 その奥に見える家は高さこそそれほどでもないがやたらに広く、一体何人の人間が住んでいるのか全然予想できない。

 伯父さんがその家の玄関を3回右の手で叩くと、母がいつも料理の時に着ているのと同じようなかっぽう着を着た1人の女性がゆっくりと門を開けた。


「こんにちは」

「よろしくお願いします。ほらキミたちも」


 おそらくここが、「お出かけ」の舞台なのだろう。

 伯父さんはその女の人に向かって右手を出しながら頭を下げ、私たちにも同じようにするように促した。私が言われるままによろしくお願いしますと言いながら腰を曲げると、女の人はにこやかな顔を向けた。


「そんでここで何をするんですか」


 坊主頭の少年が待ちきれないと言わんばかりに早口でしゃべると、女の人は右手を横に振りながらしずしずと歩き出した。そしてその女の人は緑の草がいっぱいに広がり飛び石が並ぶ玄関ではなく、左手の方へと私たちを導いて行った。

 図鑑や教科書でも見た事のない様な花が咲き、草が生い茂っている。

 名前を知らないのではない、これまで見た植物のどれかに似ているような気がするがどれともほんの少しだけ違っているように思える花。

 どこがどう違うのかは全然わからないが、とにかく何かが違う。かと言って持ち返って調べるとか言うほどでもない、不思議とそういう気分になって来ない。大人の導きがうんぬんとか言う話ではなく、なぜかそうならないのだ。


「しっかし広い家だよなー、ここ一体何人ぐらい住んでるんだろうなー」

「6人、いや5人です」


 女性が少しつっかえながら5人と言った途端、メガネの少年が坊主頭の少年の頭をはたいた。普段クラスの誰よりもケンカが強く、運動神経の良いはずの坊主頭の少年が避けられないほどの速度だ。

 怒るでも泣くでもなく何が起こったんだかわからないと言わんばかりの表情になった坊主頭の少年の右手を、メガネの少年は力強くつかみながら先ほどの倍ぐらいの速さと角度で自分の頭を下げた。


「申し訳ありません」

「どうしたんです、そんなにあわてちゃって」

「いやその、この人が」

「まあ優しい子ですね、でも気にしなくてもいいんですよ」


 ——バカ、この家に住んでいる人が死んだばかりなんだ。そんな中でそんな事を聞くなんて無神経だぞふざけるな。メガネの少年の言いたいことがそういう事だと言うのは私にもなんとなくわかった。

 だがこの二人の行動を伯父さんも女の人も特段坊主頭の少年の“うかつな”質問を責め立てる様子はなかった。




「あれって何だ」

「鯨幕だよ」


 やがて私たちの視界に白と黒のラインが並んでいる布が映った。その途端にメガネの少年の顔が青くなり、地面ばかり見るようになった。

 あれは鯨幕と言う、人が死んだ時にかける幕らしい。

 とすると、この家の人間が誰か死んだのではないかと言う予測は当たっていたと言う訳だ。大変な事のはずなのにあっけらかんと女の人が話しており、そして伯父さんもさほど気にしている様子がなかった事から考えるとこの事を承知していたのだろう。

 それなのにムダに気を配った自分が情けなくて仕方がなかったようだ。

「えーと…オレたちこれから何するの」

「葬式です」




 板石泰。


 いたいしやすしではなく、いたいしたいと読むらしい。その板石泰と言う名前が書かれた、見るからに作り物とわかる花が白と黒の幕の前に立っている。




「葬式ってさ、誰かが死んだ時にする事だろ?オレたちこれに出る訳」

「そうですよ」


 私も一応おじいさんのお父さんが死んだ時に葬儀と言うものを経験したことはあったらしいが、まだ1歳になったばかりだから全然覚えてなどいない。事実上初体験だったと言う訳だ。


「享年ってわかる?死んだ時何歳だったかって事。板石泰、私のおじいちゃんは七十八歳で死んじゃったんです」


 この家にはその板石泰と言う人とこの女の人のお父さんとお母さん、女の人の夫だと言う男の人と女の人の子どもが住んでいたらしい。これからその板石泰さんの葬儀が行われる事になり、私たちも加わる事になるらしい。

 たった今、名前を知ったばかりの人間の葬儀に出ると言う事がどういう事なのか私は知らなかった。

 しかし

「人間いつかは死ぬものだよ、キミたちだって同じだ」

 と伯父さんに言われると、とりあえず私は悲しくなり自分の手で少しでも出来る事があればしてあげたいと言う気持ちになった。


 板石泰さんのお孫さんの女性に導かれて行った先には、黒い服を来た人がたくさんいた。正面には板石さんの物と思われる写真が飾られていた。少しがんこそうではあるがそれでも笑っていた顔はどこか愛らしく感じられた。

「子どもが私の父を含めて6人、孫が私を含めて17人、ひ孫が7人います」

 葬儀の場所と思われる大きな畳の部屋には女の人が言ってくれた板石さんの子どもや孫と言った人たちの合計30人と言う数より、もっとずっと多くの人が座っていた。これだけの人間を座らせるだけの座布団がいつもどこにしまってあるんだろうか。

「僕たちは…」

「ここです」

 私たちに与えられたのは入って来た方から見て左側の、すぐ手前の所だった。3枚空いた座布団がいかにもこここそあなたたちの席であると大声で主張しており、私たちに議論の余地を与えようとしていなかった。

 そして私たちはそれに逆らう理由も意味もなく、言われるままに座布団に座った。

「お坊さんが来るまではどう座っててもいいけど、来たら正座にするんだ。こういう風にな」

 そして伯父さんもまた一緒にやって来て、私たちに正座と言う物を軽く教えるとすっと去って行った。




「すげえよな、いろんな顔の人がいるぜ」

「声が大きいよ」

 男の人も女の人も、おじさんもおばさんも、おじいさんもおばあさんもたくさんいた。私たちより小さな子どもの姿もあった。いろんな顔が並んでいた。

 板石泰と言う人が、死ぬまでの78年の間何をやって来たのか私たちは何にも知らない。

 でもここにいるすべての顔が板石泰と言う人が死んだ事を悲しんでいるのは私にも理解できた。坊主頭の少年のいう事も、メガネの少年が言う事ももっともだ。

「ママ、いつ来るの」

「もうちょっと待ちなさい」

「そうなの、じゃ私おしっこ行きたいー」

 私より小さな女の子が母親らしき女性に向かってそんな事を言い出すと、坊主頭の少年がメガネの少年の背中を叩いた。メガネの少年が痛そうな顔をして坊主頭の少年の方を向き私も音につられてくそちらの方を向くと、坊主頭の少年がニタニタと言う単語が似合いそうな顔をしている。

「オレらは途中便所行って来たけどお前は行ってねえんだろ?行って来いよ」

「うん…」

 考えてみればその通りだ。これから葬式と言う物がどれだけ続くのか私は知らない。バスに乗ってから今までいっぺんもトイレに行っていないメガネの少年の中にどれだけのおしっこがたまっているのか、私も少し不安になった。メガネの少年はふてくされた顔になりながらその親子にすみませんと言いいっしょにトイレへ向かった。自分より幼い子に背中を押される形になったのが気に入らないのか、それとも坊主頭の少年に言われたのが気に入らないのか。いずれにせよ大事な時の前にトイレに行く事は極めて重要な事であり必要な事であるはずだ。やがて手にハンカチを持ちながら戻って来たメガネの少年は相変わらずのしかめっ面をしながら元々の座布団に正座した。一緒に行って来た女の子がすっきりした表情をしていたのとはえらい違いだ。



「ほら早く正座正座、あともうちょっとで板石泰さんが来るんだから」

 私たちよりずっと板石泰さんと近い人たちがまだそれほど引き締まった様子もなくおしゃべりしているのに、メガネの少年は声を張り上げている。正しいはずなのに、正しさを感じない。

 私は、自分では親や教師の言う事を割と素直に聞く方だと思っていたが、今回のメガネの少年の意見にはいそうですかと言ってその通りにする気にはなれなかった。


「そういやお前の伯父さんどうしたんだよ」

「しっ!」


 そして考えてみれば当然思い浮かべるべきだった坊主頭の少年の疑問に対し、メガネの少年はその事は絶対に考えるなと言わんばかりの様子で口に人差し指を当てながら強く声を出した。


 私も思わずびっくりしてうおっと声を上げてしまい、その声が消えると一挙に場が静まり返ってしまった。そしてほどなくして、坊主頭の少年の右手がメガネの少年の頭をはたく音が鳴り響いた。


「痛いとかやめろとか言えよ」

「………………」


 何を話しているのか内容についてはよくわからなかったが、とりあえず葬式と言う場にふさわしいと思われるあまり明るくない話であったようには思えなかった。それをなぜわざわざ止めなければならないのだろうか。

 坊主頭の少年はお前が余計なことしたせいで場の空気が悪くなっちまったじゃねえかどうしてくれるんだと言いたかったのだろう、私だって正直似たような気分だ。しかしメガネの少年は坊主頭の少年の期待に応えて声を上げる事をしないどころか、坊主頭の少年の方を向く事さえもしなかった。そこまでされたのにもかかわらず自分の姿勢をつらぬき通すその姿はある意味かっこよくも感じられた。とは言え、そうやってかっこよくした先に何があるのかと言う事については全然わからない。

 とりあえずもうすぐ来るんだから黙っていろと言わんばかりのメガネの少年に従い何も言わずに正座をする事にしたが、どうにも足がしびれるし退屈だ。坊主頭の少年がやってられないと言わんばかりの表情をしている気持ちが私にはよくわかるが、メガネの少年はと言うとまっすぐ前を向いて唇をかたく結んでいる。

 向かい側の人たちの視線が私たち3人に集まっている気がした。私には余計なことをしてくれたなと言う視線が集まっているように見えたが、メガネの少年にはよくぞ言ってくれたと言う風に見えているのかもしれない。


 そしてメガネの少年がトイレから戻って来てから3分後、伯父さんが現れてこれからお坊さんがやって来るとだけ言って去って行った。伯父さんは葬式には出ないのか、それを言うためだけにここにやって来たのだろうか。だがとりあえずようやく葬式と言う物が始まりそうだという事だけは理解ができた。

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