第2話

「そういえば、先輩って近代のエンターテインメントで描かれる九尾の狐で好きなの、ありますか?」


 飲み物を買って帰ってきた先輩に礼を述べて、僕はコーヒーを一口飲んで問うてみる。


「ん~、そうだな。やっぱりあれかな、化け物を殺す槍とそれに封印されていた妖怪と共に戦う少年漫画。作者さんがすごく念入りに調べてから描いてるのが分かるし。見た目もすごいインパクトあるし。まあ、あれは九尾の狐をモチーフにしているだけで、狐ではないらしいんだけど」

「あ~、度々話してましたもんね」


 この人見た目に似合わず、古い少年漫画とかも結構好きだもんなあと思いつつ、また僕はコーヒーを一口飲む。

 好きなものについて語る先輩は、表情が生き生きと輝いている。豪奢な振袖でも着せて黙らせておけば、日本人形めいて見える綺麗な顔があどけなく見える。


「……逆にいまいちだったな、て思うのありました?」

「あ~…あったな。以前見た作品で。キャラクターとしても個人的にいささか、チープに感じられたというのもあるんだが…。作中で美しさでいろんな国の首脳を操って戦争を起こさせようとするシーンがあるんだ。さっきの不謹慎な書き込みの中にも、そのシーンと絡めて、『今の情勢と似ている』と書き込みがあった。何が似ているものか。そう思うのは、現実とフィクションを混同している人だけだよ」

「え?でも伝承でも美貌で寵愛を受けて、国を傾けると言われてましたよね?」


 僕がそう言うと、陶器のように滑らかな白い眉間に不機嫌そうなしわが刻まれる。


「君、重要なことが抜けてるぞ?」

「え?」

「玉藻の前は美貌だけではなく、博識でも寵愛を受けるようになったんだ。特に『玉藻の草紙』では、あらゆる問いかけに、よどみなくすらすら答えるシーンがある。正直、美しい悪女と言うより、故事来歴に詳しい才女という印象が強いぞ」

「へえ……」

 感心しつつも、

(そういえば花魁とかも、綺麗なだけじゃなくて教養も必要とされたんだっけ)

とどこかで聞いたうろ覚えの知識を思い出す。


「でも確か傾国の美女とか言うんですよね。歴史上にも何人かそう呼ばれた女性がいるんじゃあ」


 そう言って、僕は首をひねる。


「まあね。でも『傾国の美女』自体が、一種の物語だともいえるし」

「え……物語ですか?」


 思わず問い返すと


「そう。物語だよ、一種の言い訳、スケープゴートのための。マリー・アントワネットだって、『パンがないならお菓子を食べればいい』なんて言ってもいないことがまことしやかに伝わって憎しみの対象にされたし」


 スケープゴート。責任を転嫁することで、不満や憎悪をそらす身代わり。

確か、そんな意味だったはずだ。


「国が傾いたのは全部この女のせいです!て押しつけるための作り話ってことですか?」

「そうだよ。笑っちゃうくらい幼稚な言い訳だけど。何故か、信じたがる人も多いみたいだね。まあ、国が成り立つ理由が政治や経済、国際などたくさんあるように、国が成り立たなくなる理由もたくさんある…なんて考えるより、全部ひとりのせいだと決めつける方が楽だからかな」


 ひょいと細い肩をすくめて先輩は言う。


「現実の戦争にそんな存在はいないよ、傾国の美女に化けて戦争を引き起こそうとする妖狐もね。倒せば瞬く間に権力者が正気に戻って、たちまち戦争はストップする。そんな都合のいい存在はどこにもいない。だって戦争は、人が自分の明確な意思で『大勢が苦しんで死んでもかまわない』と思って、引き起こすものだから。だからこそ、戦争は本当に怖いし、戒め続けないといけないのに」

「……そうですね、本当にそうです」


 そんな恐ろしい戦争に関して、不謹慎な妄想に浸っていた自分への羞恥が再びこみあげてくる。

 亀のように首をすくめる僕にかまわず、先輩はレモンティーでのどを潤す。


「さっき話した作品は反戦を謳っていてね。それならば、戦争の本当の恐ろしさをきちんと描いてほしかったな……なんて思ってしまってね」

 そう言って先輩は僕を見据える。切れ長の眼に宿る瞳は黒い硝子玉を研いだように輝く。


「まあ、これはさっきも言ったように現実とフィクションを切り離して考えられない方にも問題がある。物語はあくまで物語なんだ。鵜呑みにしてはいけないし、現実と混同してもいけない。きちんと一線を引かないと、戦争の本当の怖さにも気づけないようになる」

 さっき僕が自分へ言い聞かせた言葉を、先輩は涼やかで真摯な声で紡いだ。

 

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