風説研究会

鮎河蛍石

正義が落ちる日! 魔法少女フローズンリリィ登場

 霧煙る夜の街、石山聡いしやまさとしはママチャリを漕いでいた。

「聡もっと飛ばせないの! 逃げられちゃう!」

 聡の漕ぐママチャリの後ろに同乗する、青を基調としたゴスロリ服に身を包んだ少女が叫ぶ。

「前が霧で見えねえんだよ!」

「だったら! 凍てつけ!」

 少女が右手をかざすと、空気が冷えた。

 まるで空気が少女の言葉に従ったかのように。

 否、少女の言葉に空気が従った。

 聡の視界を阻害する宙に舞うほど微細な水の粒は、氷の粒となりアスファルトの上に転がり、視界はサッと晴れた。


「よっしゃ! サンキュー葵!」

「良いから急いで!」

「おう!」

 三井葵みいあおいは街の平和を守る魔法少女フローズンリリィである。

 聡はひょんなことから、自分の彼女が魔法少女フローズンリリィだと知り、身を案じて協力していた。

 魔法少女フローズンリリィの能力は凍結魔法。

 彼女は冷気を意のままに操ることができる。

 そんな彼と彼女が追いかける者は、街の平和を脅かす怪人であった。


「待ちなさい泥棒!」

 フローズンリリィは、ビルの屋上から屋上を飛び回る怪人に向かって怒鳴る。

 怪人は着ぶくれした白いあご髭を蓄えたを大柄の男で、盗品で膨らんだ大きな袋の口を片手で掴み、軽々と肩に担いでいる。その様はサンタクロースを思わせた。


「待つわけないだろ阿呆が、悔しかったら追いついて見ろよ! 冷血女!」

 サーカスの軽業師が如く月を背に跳躍を繰り返す怪人は、下卑た笑いを垂れ流しながらローズンリリィを煽る。

 聡は腰にしがみ付いたフローズンリリィの腕に力がグッとこもったのを感じた。彼女は相当腹に据えかねている。怪人を取り逃がそうものなら、聡はへの八つ当たりは避けられない。


 不機嫌な彼女こそ、この世で一番恐ろしいことを聡は知っている。

 それは人知を超えた怪人よりも恐ろしい。

 不機嫌だからと構わなければ叱られ、不機嫌だからと構えば叱られる。

 そのような理不尽を何としてでも避けたい聡は、ペダルの回転を一層に早めた。


 しかし聡は特殊な能力を有しない、平均的な体力を持つ高校生である。

 彼の思いとは裏腹に、追跡時間の経過に比例して、体力は消耗しママチャリのスピードは、徐々に落ちていく。

 だが追跡者の背中は一向に小さくならない。


「クソ!ふざけた野郎だ」

「どうしたの聡」

「あの野郎、絶対に本気で逃げてないぞ」

「どういう事?」

「俺がバテてチャリのスピードはだんだん落ちてる。なのにアイツとの距離はまったく離されてない。それにアイツ、道に沿って逃げてるよな。チャリが入れない路地方向にジャンプすれば、。俺たちはアイツを追ってるんじゃない、!」

「お前らをおちょくってるのがバレちまったか、冷凍馬鹿女と違ってお前は頭がいいな!」

 聡の推察を怪人特有の鋭敏な聴覚で聞き取ったサンタもどきは、ママチャリの進路上に躍り出た。

「うっわッ!」

 聡は反射的に両手でブレーキを握りこんだため、ママチャリはバランスを崩し横転する。

ッつ……」

「大丈夫、聡」

「ああ、大丈夫」

 フローズンリリィも横転する自転車共々、路上に投げ出されたが、魔法で編まれた衣装によってダメージはほとんどなかった。

 彼女の手を取って、聡が立ち上がる。


「おいおいおいおい、お前の相手はこっちだろうが」

 怪人はフローズンリリィの背中を人差し指で突ついた。

 フローズンリリィは聡を肩に担ぎ、怪人から飛びのき間合いを置こうとしたが、できなかった。

 力が思うように入らず聡が持ち上がらない。

 まるで非力な女子高生が彼氏を軽々と担げないが如く。

「俺の名前は能力怪盗アビリティシーフ、無能を晒したなメスガキが!」

 葵は能力怪盗アビリティシーフによって、魔法少女の力を盗み取られたのである。葵は変身前の私服姿に戻っていた。

「おらよっと」

 アビリティシーフは大きな袋を担いでいない側の肩に、葵を担ぎ上げる。


「放せ! 変態!」

 葵はアビリティシーフの熊のように大きな背中を全力で叩き、膝で丸々と肥えた腹を思い切り蹴ったが、怪人はびくともしない。

 普通の女子高生に戻された葵の力は、怪人の前では無力そのものだ。

「葵を放せ!」

「ほおれ飛んでけ」

 聡はアビリティシーフに体当たりを仕掛けるも、怪人が突き出した腹に押し返され、あっけなく吹っ飛ばされる。


「畜生……」

 聡は残された力を振り絞り立ち上がるも、ママチャリを漕ぎ続けた疲労とダメージで膝が震えた。

「だっはっはー、生まれたての鹿かよてめえは」

「放せよ! 盗人!」

「おいおい無能そんなに暴れたら、小便くせえてめえのパンツが膝ガクバンビ野郎に見られちまうぞ」

 アビリティシーフは万力めいた力で、葵の腰を二の腕と前腕で締め上げ、手首をくいとスナップさせ尻をぽんぽんと叩いた。


「うごぉ……」

 怪力に押しつぶされた葵から苦悶が漏れ、四肢が一度ビクンと跳ねると抵抗を止めた。

「葵!」

「ピイピイうるせえなバンビ野郎、力加減はミスっちまったが殺しちゃいねえよ」

「この野郎葵をどうするんだ!」

「頂いて行くに決まってんだろうが、俺は怪盗だからな」

 アビリティシーフは聡から踵を返すと悠然と歩き去っていく。

 聡は必死で、痛む脚を引きずり追いかけるも、結果は虚しく怪人の背中は徐々に小さくなっていく。


 ――その日、街から正義が奪われた。













  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る