第12話

 王宮にきらびやかな明かりが灯る。

 いたるところにあるシャンデリアや燭台に明かりを灯すのは、その係の使用人たちである。そんな彼らを、イオニアスはいつものように手助けし、これまたいつものように夜どおし消えない魔術をほどこしていった。

 使用人らとイオニアスが王宮中を歩きまわっているころ、大勢の貴族らは続々と王宮に集まりはじめた。


 すべての明かりを灯し終えて王妃のサロンに向かうと、すでにアントンが待っていた。

 王妃はゆるやかな絹のドレスを身にまとい、腰まである髪を結わずに垂らしている。ダニエラも、渋みのある色合いの簡素なドレスを着ていた。

 二人とも、本当にこれでいいのかと不安げな面持ちである。なんなら猫のアンドレアですら、腑に落ちていない顔つきに見えた。


「ほ、本当にこんな感じでよろしいのですか、魔術師殿」

「大丈夫です、ダニエラ殿。ご安心を」


 王妃と顔を見合わせるダニエラを尻目に、イオニアスは説明した。


「アントンの持つクリスタルが光ったら、合図です。お二人をここから魔術で移動させますので、床の上に立ってお待ちください」


 アントンが首から下げたペンダントを見せた。もちろん、まだ光ってはいない。ただの透明な丸い石である。


「最初だけ、お二人の行動にも魔術がかかりますが、抵抗せずにいていただけたら、じょじょに解かれて自由になります」


 イオニアスは深く頭を垂らし、言った。


「どうぞ、そのあとはご自由に。思う存分、今宵をお楽しみください」


 ニャアとアンドレアが返事をした。その鳴き声に、王妃とダニエラ、アントンが笑う。

 王妃が言った。


「ええ、そうします。あなたを信じて楽しむわ、イオニアス」


 

* * *


 

 色とりどりのドレスが、広間を埋めつくしていた。

 上座の玉座には、当然ながら若き国王の姿しかない。精一杯に着飾った貴族らが、一人ひとり前に出て国王にお辞儀をしていた。

 その列が終わりそうにないことを悟った国王は、笑いながら立ち上がった。


「堅苦しいことはもうよい。今宵はみなのためにあるのだ。私に気遣わず好きに楽しむがいい!」


 歓声と拍手があがり、国王が手を叩く。軽快な音楽が流れはじめた。

 あちらこちらで笑い声がたち、貴族らは輪になって踊る。その様子を柱の陰から見ていたイオニアスは、やがて口の中で呪文を唱えた。

 広間のあちこちにキラキラとした細やかな光を飛ばしたり、音楽にあわせて花びらが宙を舞う様を魔術で演出する。

 以前ブランカに言われたいやみを、そのまま再現したものであった。


 ――どうせそのへんをキラキラさせたり、花びらみたいなものをあちこちに飛ばす程度のことでしょうね。


 いまごろ、この広間のどこかにいるブランカは〝それ見たことか〟と笑っているはず。けれど、ほかの貴族らは喜んでいるようだった。


「あら、素敵!」

「まあ、きれい!」

「ほう? もしやこれは、魔術師殿の仕業かな?」

「そうだとすれば、なかなかじゃないか。このような幻想的な舞踏会ははじめてだ!」


 演出しているのはイオニアスなのだが、貴族らは玉座の国王を讃えて拍手した。嬉しそうな国王を見て、イオニアスはとりあえず安堵する。

 どうやら無事に役目を果たせているらしい。もっとも、こんな魔術はただの序章にすぎないのだが――と思ったときである。


「いいじゃないか、イオニアス」


 いけすかない宿敵の声がした。振り返ると案の定、目いっぱいに着飾ったクリスティアーノであった。いつもと変わらないローブ姿のイオニアスを見るなり、クリスティアーノは失笑した。


「もう少しお洒落をしたらどうなんだ?」

「私は裏方だから、目立たないほうがいい。これでいいんだ」


 クリスティアーノが笑う。


「これから陛下と妹が踊る。せいぜい妹をきらめかせてやってくれ。そうしてくれたら、お礼に我が家のバラの家紋入りペーパーナイフを、きみに贈ってあげるよ」


 激しくいらない。全力で拒否しようとしたとたん、「クリスティアーノ様だわ!」と女性陣が騒ぎ出した。クリスティアーノはあっという間にドレスの山に囲まれ、宿敵は両手に花の状態で去っていった。


 見ているだけで心底疲れる。げんなりしていると、曲が終わった。

 いったん魔術を止めたイオニアスは、玉座から腰を上げる国王の様子をうかがった。同時に、踊りをやめた貴族らが引き潮のようにしりぞいていく。

 ぽっかりと空いた広間の中央に、真っ赤なドレスの裾をひるがえすブランカが躍り出た。


 ――さあ、本番はここからだ。


 庭園を向いたイオニアスは、呪文を唱えながら杖をつく。

 その杖を軸として、広間の床から庭園へと光が走る。それは、昨夜隠した紙片につながり、朝露にまたたく蜘蛛の巣のように刹那、輝いた。


 息をのんだように、音楽が止まる。誰もが庭園を向いて騒然となった直後、イオニアスは外に出た。

 大きく杖を振りかぶり、呪文を唱え続ける。

 どこからともなく風が吹き、イオニアスのローブがたはめいた――かと思われた一瞬、それまであったなにもかも、目に映るすべてが消えた。


 人間だけを残し、王宮の壁も天井も床も消え、庭園も消える。そこにあるのは、風にそよぐ草原と、どこまでも続く満天の星空であった。


 誰もが呆然とたたずんでいた。国王もブランカも、踊りはじめる寸前の様子で固まっている。


「……な、なんだこれは」

「ど、どういうことだ、これは」


 戸惑う貴族らをからかうように、草木の間から妖精が顔を出す。と、草原の先からなにかがこちらに向かってくるのが見えた。


「馬に乗って、誰か来るぞ」


 その声に反応してか、国王が貴族らの間から姿を見せた。

 純白の馬は、たてがみを夜風に泳がせていた。その背に乗った人物は、星明かりを浴びて黄金に輝く髪をなびかせる。

 ゆったりとしたドレスは、妖精の羽根のような軽やかさで、光の加減で七色にまたたく。この世のものとは思われない神々しさに、誰もが――国王でさえ言葉を失っていた。


「……なんだか光って見えるわ。なんて美しいのでしょう」

「ええ、まるで女神様のよう」

「おい、あれはただの馬じゃない」

「……一角獣だ!」


 たずなも持たずに一角獣の背に乗る女神が、はっきりと姿を見せる。羽のように音もなく地面に降り立つと、国王に向かって深くお辞儀をした。

 それにつられたように、国王も会釈を返す。

 国王も誰も、まだその正体に気づいていない。


 女神と一角獣が向かい合う。

 一角獣の角が地面に触れた瞬間、その場にかしずく騎士に変わった。


 歓声があがる。凛とした姿の騎士が、女神の手をとる。そうしてゆっくり、草原で踊りはじめた。

 呼応するかのように、楽団の一人がバイオリンを奏でる。それに続いて、優しい音楽が世界を包んでいく。

 

 もはや誰も、光景の一部と化すイオニアスを見ていない。それにもかまわず、イオニアスは魔術を続けた。と、凛々しい騎士が一瞬こちらを見た。どこか涙ぐんだその瞳は、ダニエラと同じである。

 彼が微笑み、口だけを動かした。


 ――ありがとう。

 

 王妃と踊れたら思い残すことはないと言った、彼の言葉を思い出す。イオニアスは会釈で応え、魔術を続けた。

 自分の魔術の使いどころは、いまだによくわからない。けれど、こんなふうに、誰かの夢を叶えられるなら、それも案外悪くないような気がした。


 誰もが現実の世界を忘れた。

 まるで物語の中に引き込まれたかのように、月光を浴びて踊る女神と騎士を見守っていた。

 

 惜しまれるように、曲が終わる。ふたたび女神と向かいあった騎士は、その場にかしずいたまま姿を消した。

 女神が国王を見る。そのときになってやっと、女神が王妃であることを国王は悟った。

 王妃が晴れやかに微笑み、国王に向かって右手を差し伸べる。


「最後の記念に、わたくしと一曲踊っていただけませんか、陛下」


 その堂々とした存在感に、国王は目を見張った。言葉を忘れたかのように王妃に近づき、その手に自分の手を重ねようとした、寸前。


「ちょっ……ちょっと待って。お待ちください、陛下! わ、わたくしが先ではありませんか!?」


 ブランカが引き止める。そのブランカに向かって、王妃は超然と言い放った。


「あなたこそ、わたくしのあとです。一曲だけですからお待ちを。そのあとでしたら、思う存分陛下と踊りくださいませ」


 国王がブランカを見た。


「すまない。一曲だけだ」


 国王が王妃の手をとった。それを合図にしたかのように、貴族たちも自由に踊りはじめた。


 まさしく、〝王宮の宝石〟が広間の中央で踊る。

 はじめはぎこちなかった王妃と国王だったが、結局、一曲では終わらず何曲も踊った。そのうちに、王妃がなにか話すたび、国王の笑みが見えはじめる。

 ささやかだった微笑みは、いつしか満面の笑顔に変わっていった。


 そこにある飾り気のない姿こそが、本当の王妃の姿なのだった。

 イオニアスは、隣国の美しい夢を王妃にたくし、ただその力を引き出しただけにすぎない。

 

 残されたブランカは、ただ呆然としていた。ドレスをぎゅうと握りしめ、蝋人形のように固まっている。その彼女から発せられる視線が、いつにも増して痛すぎる。

 当然のように、その視線をイオニアスは無視した。すると、どこからともなく令嬢らの会話が聞こえてきた。

 

「……わたくし、あの方のなにを怖がっていたのかしら」

「……本当ね。あの方も普通の令嬢だったということね」

「いい気味かと思ったけれど、道化師のようでちょっと不憫だわ」

「そうね。けれど、世界は自分を中心にまわっていないと、学ぶことも必要だわ」


 控えめにささやきあった二人の令嬢は、イオニアスに会釈すると遠ざかっていった。どうやら彼女たちが、イオニアスの手紙を受け取った令嬢らしい。彼女たちの思慮深い意見に、イオニアスは感心した。やはり、王妃の友人にぴったりだ。


 貴族らは輪になって踊り、ときに草原に腰をおろし、妖精とたわむれながら星空をあおいだ。

 恋人同士が愛を語らい、友人同士がおしゃべりに花を咲かせる。誰もが思いのまま、自由に過ごす素晴らしい舞踏会となった。


 ――もっとも、ごく一部を除いて、なのだが。


 突き刺さるような眼力が二倍になった気がしたとたん、グレゴリス兄妹が並んでこちらを見ている姿が視界に飛び込んでしまった。

 向こう数年間は恨まれる覚悟で、イオニアスは魔術を続けた。


 国王と王妃が自然に手をつなぐ、そのときまで。

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