第6話 盲目になること

 トトフィガロはメイドである。

 思いを秘めたメイドである。


 ラルコンドゥは徐に目を開けた。千年もの間、閉じられていたと言う瞼が上がり、その目が晒される。


 右目の白目は真っ黒で、虹彩は三つあり、大きめの蛍光ピンクが二つに、小さな白が一つ。それらは常に眼球の上を動き回っている。左目の白目は黄味がかった白で、虹彩は四つある。大きく黒いものが二つ、中くらいのピンクのものが一つ、小さく黒いものが一つ。それらも右目と同じく忙しく動いている。

 どの生き物にも似ていない眼球だ。彼の目は、人によっては悍ましいとさえ思うかもしれない。気味が悪いと、生き物の目ではないと言う者も中にはいるかもしれない。

 だが、虹彩が幾つもあるのは、同時に幾つもの視界を見られるためであるし、それが忙しなく動くのも、一つ一つが別々の視界を見ていて、独自に動いているからだ。ラルコンドゥは常に複数の世界を見ている。彼が更なる視界を求める度に虹彩は数を増していくが、脳が処理に間に合わず、回路が焼き切れる可能性があるため、現状の数で止まっている。

 奇怪にも見えるその目は、唯おかしい訳ではなく、ちゃんと理由があってその見た目をしているのだ。


 ラルコンドゥの瞳は忙しく動くのをやめて、一点へと焦点を合わせる。


 トトフィガロは見たことのない、その目を見て少し驚いたが、絵画を見つめるその横顔が酷く美しくて、それに彼の心の純粋な部分を垣間見た気がして、そちらに心が向いた。人と異なる姿形などよくあること。それよりも、その人らしい心のあらましを見ていった方がよっぽど面白いことだと、トトフィガロは思う。だから、その横顔を黙って見ていたいと思った。問い掛けたくなる言葉を飲み込み、彼と絵画の時間を見守っていた。

 憧れとも違う、恋とも違う、もっと根元から湧き起こる感情を、彼はその絵画から受け取っている。そして、それを見るトトフィガロの胸にも、穏やかな熱が流れ込むようだった。

 純粋な眼差しを見てトトフィガロは、想いを馳せられる人だけでなく、馳せる人もまた美しいのだと気付いた。美しいから想いを寄せられる人は多くいるが、その人を純粋に見つめる横顔も絵になるのだ。


「嗚呼、瞼が開いていようと閉じていようと、見えている世界は変わりはしない。それでも、時折、意味もなく遮るものをどかして見てみたくなるのです。この絵だけは」


 他人を知りたくてたまらない竜は、その目では捉えられない、一つの理想へ思いを馳せた。手に入らないものを、求めてしまったのだ。

 もしかしたら、永遠に答えを知らないことは、一つの幸せだと言えるかもしれない。少なくとも、今、絵画へ向ける眼差しは柔らかく、盲目だからこそ、美しいものを見続けることが出来ているのだ。


 ラルコンドゥは絵画から視線を外すと、瞼を閉じた。そして、此方の方へ顔を向ける。トトフィガロは溜まっていた疑問を口に出した。


「どうやって、この絵を手に入れたのですか?」

「この絵は作者の家にずっと置かれていました。私が初めてこれを見たのも、作者のご家族の視界を使ってのこと。どうしても欲しくなったので、直接交渉をしに行ったのです」

「海の上ですか?」

「ええ。海の上の、世界の裏側まで行きました。少々、骨を折りましたが、どうにかお譲り頂けました。二、三百年前の話です」

「この絵の女性はいなかったのですか」

「絵が描かれてから、大分年月が経っていましたから」


 ラルコンドゥは再び、絵画へと顔を向けた。細く短く息を吐き出して、呟くように低い声でトトフィガロへ話し掛ける。


「やはり、この絵は美しいのです。私がこの絵を飾るのは、唯、そう思ったことがあるからですよ。そして、偶にまた見たく思うからです。つまらない回答になりましたね」


 閉じた瞼を動かさず、彼は穏やかなはにかみを口元に浮かべる。


 トトフィガロは何か引っ掛かっていた。だが、それが何かは分からなかった。


 それはラルコンドゥの絵の女性に対する姿勢が、ちくはぐなことから来る違和感だった。労力を厭わず、その絵を手に入れに行く情熱があるのに、その理由となった絵の女性への興味の持ち方は薄い。名前や半生などを調べる所までやるが、その先については無理だと諦めている。それに、彼女の人生については、特に興味があるような態度でもなく、さらりと流していた。

 要するに、ラルコンドゥが好きなのは、この絵そのもの、或いはそこから想起される理想であって、彼女本人への興味はそれほどないのだ。調べたのは、単なる性格から来る好奇心であって、特別視はしていないのだ。

 だから、絵を手に入れることには全力を出すが、女性の顔については、特に本気で知りたいとは思っていないから、その二つは熱量が違うのだ。

 トトフィガロは、ラルコンドゥなら絵の女性とその本人に対して、執着心と探究心を抱いていると思っているので、ちぐはぐに見えたのだ。しかし、事実としてはこうであるので、トトフィガロの認識の方が間違いと言えるだろう。


 トトフィガロははたきを腰袋に仕舞う。


「もっと彼女について詳しく知ることは出来なかったのですか。それこそ、ヘイルガイルに聞くとか」

「もしそうだとしても、彼は聞き流しているだけでしょうから、結局、確認のしようがありません。それに、このままでよいのです。このまま、理想の枠に閉じ込めておきます。きっと、その方が美しい筈です」

「でも、本当のことが分からないままです」

「真実は必ずしも救いを齎すとは限りません。現状維持、直視回避、これらが救いになることは多々あります。私はこのままでよいのです。こう見えて、満足をしているのですよ」


 和かにそう答える彼を見て、トトフィガロは何も言えなくなった。

 真実を知らないままが幸せ、ということが、トトフィガロにはよく理解出来なかった。分からないと不安だし、知ってることは多い方がよいはずだ。現に、色々なことを知っている王女殿下のことをトトフィガロは尊敬している。だが、このままでよいと言うラルコンドゥが嘘を吐いているように見えないし、その絵画を見つめる横顔は本当に想いに満ちて美しかったから、知らないままでいる幸せもあるのかもしれないと思い始めていた。


「ラルは美しいものを見ていたいのですね」

「ええ、そうです」


 絞り出した言葉に、ラルコンドゥが優しく同意してくれる。


「嗚呼、簡単な説明だけをするつもりが、長話になりましたね。すみません」

「いいえ。ラルのことが、また少し知れました。トトはそれだけでも、とても嬉しいのです」

「それなら良かった」


 トトフィガロは、はたきで落とした埃を箒で掃いて集めると、ちりとりで回収した。蓋付きのちりとりなので、あちこち移動する時は溜めておけるから便利だ。


「お掃除完了です」

「是非、また、遊びに来てくださいね。嗚呼、トトはお仕事していたのでしたね。だったら、時間がある時に、また掃除をしに来てくださいね」

「ええ、いつでも言ってください」

「今日はありがとう。お陰で随分と部屋が快適になりました」

「どういたしまして」


 トトフィガロはいそいそと部屋を出る。そして、ラルコンドゥも一緒に部屋の外へと出た。

 臙脂色の扉がかちゃんと音を鳴らして閉まる。鍵は掛けない。掛ける者の方が稀だ。満ち足りた竜の国に、盗難は存在しない。更に言うなら、魔力痕を辿れば、一時間と掛からず犯人が捕縛出来るから、何も得られるものがない行為なのだ。


「ラルはヘイルガイルの所へ行くのですか?」

「ええ。ついでに、城を散歩しようかと」

「いいですね。では、トトはお掃除の続きを再開します」

「頑張ってくださいね」


 そう言って、何もかもが見えるが故に、見えないものに惹かれた竜は、軽快な足取りで廊下を歩き始めた。





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