第4話 ぐしゃぐしゃにされること

 トトフィガロはメイドである。

 不器用だけど、頑張り屋なメイドである。


 そのメイドを前にして、ラルコンドゥは楽しそうに、下品さを感じさせない程度に口の端を上げながら、トトフィガロを揶揄からかっていた。


「貴方にとって不都合なことかもしれませんが、トトが王女殿下を大好きなことは多くの竜も知る所です。何せ、見て分かりやすいですから」

「そんなことは」

「あの鈍感なイーエンスさえも、知っていますよ」

「イーエンスにまで」


 それはトトフィガロにとっては衝撃だった。


 イーエンスは此処、竜宮城に住まう者の一人で、細かいことを気にしないことに定評のある竜だった。

 彼には触覚がない。触覚が皮膚になく、何に触れていてもそれに気付かない。より正しく言うなら、触覚が自分の皮膚よりもかなり離れた外側にだけあり、皮膚そのものには感覚がないので、身体に何かされても感じないという状態だ。感覚が身体と乖離しているのだ。

 それがどのような感覚であるのか、トトフィガロは想像が出来ない。手で触れるから、それがあると認識出来るし、冷たい熱いも触れてこそ分かるものだ。触れても分からないという感覚も、触れなくても近寄れば分かるというのもいまいち理解出来ない。

 そんな感覚の持ち主であるイーエンスは、何かにぶつかっても気にしないし、他人に何されてもあまり怒らない。痛感もないのではと言われるほどだ。それは体質故か、それとも頑丈な身体の作りのためか、或いは元々大らかな性格であったのかは定かではないが、兎に角、細かいことは全く気にしないし、心の機微に関しても、度を越したポジティブ思考で薙ぎ払って行くのだ。


 こんなことがあった。

 ある時、トトフィガロは汚れを布巾で拭くために、箒を壁に掛けていた。そして、立て掛け方が悪く、その箒はぐらりと倒れてしまった。竜宮城の床は石であるので、珊瑚樹さんごじゅを加工して作った箒が勢い良くぶつかると、それなりの音が鳴る。


 音に驚くトトフィガロの元に、城内を散歩していたイーエンスが話し掛けて来た。


「やあ、トトフィガロ。そんな顔をしてどうしたの」

「あ、音に吃驚して」

「音?」

「箒を倒してしまって」

「嗚呼、あれか。ヘイルガイルが何か喋ってるのかと思ったよ。彼の声は煩いだろ? 一瞬で居場所が分かるから便利だよな」

「すみません、大きな音を出して」

「え、気にしてないよ。言ったろう、ヘイルガイルかと思ったって。俺はあいつの声を不快に思ったことなんてないよ。だから、何も問題ないさ」

「なら、良いんですけど」

「何ならもっと倒してしまえよ。床の強度が分かるし、ヘイルガイルが沢山いたら賑やかで楽しそうだしな」


 そう言って、イーエンスは一度空中で手を握り締めた後、また開いた。そして、掴みにくそうに箒を拾い、トトフィガロに手渡した。

 彼の発言はやらかしたと思い込んでるトトフィガロに気を遣ったものではなく、本気でヘイルガイルがいると思ったから出て来たものだし、耳を劈くような音に対して全く不快感を抱いていないのだ。

 不快感を覚える基準がとても高く設定されていて、大概のことはそこまで大したものではなく、寧ろ好ましいものであると考えているのだ。他人から喧しいと思われているヘイルガイルの声も、普段と違う雰囲気になって心地が良いし、うっかり強く壁にぶつかって怪我をしても、ポピュロスハロラが手当てしてくれて嬉しいから良しとしている。

 イーエンスとは、そういう細かいことを、時に細かくないことも気にしない竜であった。


 だから、そんな彼にも知られていることが、トトフィガロにとって、如何に衝撃的だったかは、想像に難くない。


「いえ、いえ、イーエンスが気付いている筈は。だって、トトが何を考えているかなんて、きっと彼には分からないですし」

「まあ、私がそうだと伝えたので、彼は必ず知っていますよ」

「ラルコンドゥ!」

「ははは、何せこの竜宮城は平和ではありますが、退屈極まりないので、ちょっとした日常のアクセントとして足してみました」


 憤慨するトトフィガロだったが、ラルコンドゥはどこ吹く風で高らかに笑う。

 普段落ち着いた様子である彼が、このように声を張って笑うことはそれほどなく、こんな状況ではあるが、トトフィガロは新鮮さを感じた。そして、楽しげな様子であることに、少し安心を覚えた。自分が粗相をしていない証左だからだ。


 トトフィガロは思考が否定系になることが多い。

 特に相手に対して、何か不快に思われていないかということをとても気にする。

 何かをしたから問題はない、問題は除去された、というより、何かをしていないから問題ない、問題を発生させないために無駄なことをしないという風に考える。

 掃除に関しても、綺麗にしたから問題ないというよりは、役目に従事し、失敗していないから問題ないとなる。今回の場合も、ラルコンドゥが楽しそうということは自分が悪いことをしていないということ、つまり、問題は発生していない、と言った形だ。


 そんなトトフィガロに、かつて、王女殿下はこう告げた。


「トト。与えられた仕事を機械的に終わらせるだけじゃ足りないんだよ。私達の目的は、この城を綺麗にすること。掃除をすることは手段であって、それ自体が目的ではないんだ。目的をはき違えてはならない。掃除だけにね」


 王女殿下はそう言って、トトフィガロの頭を撫でた。彼女はトトフィガロよりも背が高く、丁度よい高さだと言って、よく撫でて来る。優しく、少し硬い掌の感触がトトフィガロは好きだった。

 そして、掃除をするという行為ではなく、綺麗になった城という結果を求めているのだと、優しく諭された。


 だから、トトフィガロは思いを込めて、城を掃く。

 住人に求められれば、部屋も掃除する。そういった要望に応えるのも、綺麗になるという結果に結び付くものなのだと思ってのことだ。

 だが、元々の思考によって、掃除すること自体を目的にしがちな癖は抜け切らす、度々自省の会が開かれるのだ。


 簡単に言うなら、マイナス思考だ。

 自尊心が低いとも言える。

 だから、自分なんかのために、ラルコンドゥが笑ってくれるなら、揶揄いも多少は容認するし、嬉しくも思うのだ。


「トトは少し怒っていますよ」

「はは、いえ、ははは。怒っている貴方も素敵ですよ」

「ラールーコーンードゥー」


 しかし、それと引き換えに自分の秘めた想いを露わにされたことには、断固として抗議したい思いだった。

 トトフィガロは怒れば怒るほど、顔が赤らみ、声が高くなっていくので、迫力はない。その様子を見て、ラルコンドゥは実に微笑ましいと言った様子で柔らかく微笑んでいた。


「ははは。いえ、すみません。秘密のこととは思ってもみなくて。何せ、大体の竜に知られているものですから。今更、一人増えた所で、という所です」


 ラルコンドゥは組んでいた足を直し、ベッドの側に立ち上がる。トトフィガロは身長差の問題で、彼を見上げる。

 何処となくアンニュイで、その口元には常に微笑みが湛えられている。目は口ほどに物を言うと言うが、その目は閉じられていて、口元だけが彼の機嫌を表す。

 トトフィガロにとって、美醜はそれほど興味のある事柄ではないが、優しくも油断ならない相手という人柄がよくその顔に表れているとは思う。


 不意に彼の腕が伸びて、その大きな手がトトフィガロの小さな頭を撫でる。指先だけで髪を梳くような、優しい手付きだった。


「トトは小さくて可愛らしいですね」

「小さくありません! いえ、あなたと比べると小さいですが。もう、何なのですか」


 言う割には無抵抗に撫でられている。

 撫でる手付きは段々と、大きく雑になっていく。もう片方の手も加わって、わしゃわしゃとトトフィガロの艶々な黒髪が混ぜっ返される。一頻り撫で回されると、大きな手は取り除かれた。ぐしゃぐしゃとした前髪の隙間から、薄い氷のような水色の瞳が覗き、ラルコンドゥを捉える。

 ブリムの位置や乱れた髪を手櫛で幾らか直しながら、トトフィガロは「困ります」と呟いた。しかし、その顔は何処か満足げである。


「ははは。成程、成程」


 何かを分かっているのか、分かっていないのか、よく分からないことを呟きながらも、ラルコンドゥは微笑みを絶やさなかった。





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