第8話 蜜味を覚えること

 トトフィガロはメイドである。

 甘い物には目がなく、探究心を持ち続けるメイドである。


 自動クッキングマシーンは高さが二メートル近くあり、幅と奥行きは一メートルほどと、なかなかに嵩張るサイズではあるが、広い食堂に置かれていると、実際の大きさよりもやや小ぶりに見える。

 食堂には一堂に会して食事が取れる机と椅子の並ぶスペースと、自動クッキングマシーンを始めとする細々とした調理スペースとで分けられている。その二つを仕切るものはなく、謂わばアイランドキッチンといった様相だ。

 調理スペースには四口のコンロとフライパンや鍋などの器具があり、そして、コンロの下にある黒い蓋を開けるとオーブンである。竜達は全く料理をしないので無用な長物ではあるが、形から入る楽しみもあるため、一通りのものは揃っていた。

 祭事用の食事はまた別の格調高い部屋があるため、此処はあくまで簡易的に食事をする場となっている。


 自動クッキングマシーンにはタッチパネルがついている。そこでレシピを検索して作成するのだが、一つのレシピにしても、甘さの強さであったり、火の通り加減など細かい設定を付け加えることが出来るので、先程のカインレの発言の通り、作ったことがある者の方が比較的美味しいものを作成出来る。


 前にトトフィガロが作った時は、それはそれで充分美味しかったのだが、甘味がもう少し強い方が美味しくなる気がした。カインレも甘党であるし、と考え、トトフィガロはやや砂糖を多めに設定する。

 焼きと蒸し、冷やしが選択に出るが、いまいち違いが分からないので、以前と同じく焼きを選ぶ。


 設定を完了したら、魔力を注ぎ、調理が完了するのを待つのみである。


 画面には調理時間十分と表示される。


「成程、このように設定するのだな」

「カインレ。待っている間に紅茶を飲みませんか」

「それはよいな。あれは香りがよいので好きだ」


 珈琲の豆や紅茶などの茶葉は、事前にクッキングマシーンで作られたものが棚にストックされており、好きに使うことが出来た。また、海水から真水を抽出する技術が確立されており、調理スペースにあるタンクに溜められているため、唯、コンロでお湯を沸かすだけでそれらを飲むことが出来た。


 トトフィガロは引き出しからやかんを取り出すと、タンクから水を注ぐ。お湯を沸かす時にはこの変わった形の鍋を使うのだと、王女殿下に習っていた。

 コンロは発火するガスが一定量噴出する物で、手元のレバーでその量を調節出来る。そのガスは海底にある穴に吹き溜まるものを調達しているということだけ、トトフィガロは知っていた。ガスだけでは火にならないので、火種を加える必要がある。トトフィガロは引き出しの中にあるマッチと呼ばれる棒の入った箱を取り出す。外箱のやすりのような荒い面と、棒の先端に付いている荒い塊を擦り合わせることで、火を起こすものだ。


 すると、やおらカインレが近付き、ふっとコンロの隙間に息を吹き込んだ。その息は唯の二酸化炭素ではなく、小さな火炎であった。

 ぼっという燃える音と共に、コンロに火がつけられる。


「ありがとうございます」

「お前は火が吹けないからな。こういう時に不便だ」

「うっ、その通りです」

「嗚呼、しかし、火が吹けない竜もそれなりにいるものだから、気にする必要はない。出来る者が行えばよいのだ」

「火を吹くってどんな感じなのですか」

「普段の呼吸と同じように息を吐き出す時に、喉の奥を絞るんだ。すると、呼吸に火が混じる。カザミナルが言うには、喉に蓋の付いたポケットのようなものがあり、そこに発火性の分泌液が溜まっていて、それを呼吸と混ぜると火になる、と言っていたが、私にはよく分からん。喉に力を込めて吐けば火が出るというだけだ」


 カインレの眉が忌々しそうに顰められる。


「あいつの話は兎角、小難しくてよろしくない。態々、分かりづらい表現を使ってるのではないかと思うほどだ。どれがああで、あれがどうでとか、いちいち細か過ぎるのだ。もっと簡潔に話すべきだ」


 カザミナルも竜宮城に住まう竜の一人である。

 自動クッキングマシーンの製造に関わったことがあり、どのような術式配列にすれば目的の味になるのかという、味覚に関わる部分で貢献したと聞いている。


 その性格は実にドライだ。この世の全てが数字に見えているのではないか、本人も数字で出来ているのではないかと思われているほど、情に流されることがない。自身については無頓着で、唯、夥しい知識欲さえ満たされればそれで良いとばかりに、部屋に引き篭もって計算ばかりしている。


 そのような研究の権化であるカザミナルの脳は、五つあると言われている。仮想脳と呼ばれるものだ。

 生まれ付き持っている元となる脳とは別に、魔術的に作成した脳を繋げることで、平行思考数の増加などが行え、一度の処理速度が向上させられる。脳を一つ作るのも実に大変な作業で、元の脳の全てを理解出来、再現が出来る者だけが行える特殊な技法だ。簡単に言うなら、天才にしか出来ない所業である。

 カザミナルはそれを五つ分作成していると言う。そのために、彼の思考は同時平行で五つまで行うことが出来る。元々天才であるのに、更に手数も増えたのだから、より彼の研究は複雑化を極めていた。

 それ故に、他の竜から理解を得ることは少ない。しかし、本人は気にしていないし、こういった己の理解の範疇の外にいる他者というものは、竜宮城ではよくあることなので、困ることはないけど、変わった竜だな程度の認識である。唯、カザミナルは挨拶も返さないので、それに文句を言う者はいる。

 しかし、カインレの言い方は、そういったものとは少し違う手触りがした。


「カザミナルは研究者肌ですから、一つ一つを確かめたくなるのかもしれません。そして、説明するにも、ちゃんと全部説明しようとして、詰め込み過ぎるのかも」

「それで話が全く頭に入らないのだから、説明の意味がないではないか。あいつも試験管やミミズだらけの紙相手にぶつくさ言わないで、もっと人前に出て会話をすべきなのだ。そういう意味ではヘイルガイルはまだマシだ。あいつは些か喧し過ぎるが、引き篭もって細かい何かを捏ねくり回していても、ちゃんと外に出て、会話をするからな」

「カインレはお話するのが好きですか」

「好きか嫌いかではない。良好な竜関係が、良好な秩序を招く。会話を楽しむのが一番だが、それが出来ないにしても、顔を合わせたら挨拶くらいはすべきだし、眠っていないのなら、外の空気を偶には吸うべきだ。換気もせずに引き篭もって研究し続けていては、体に悪かろう」


 それを聞いて、トトフィガロは微かに笑った。

 カインレは訝しげな表情を浮かべて、少し威圧的に「なんだ」と問い掛けた。


「つまり、カインレはカザミナルのことが心配ってことでしょう。ずっと部屋にいて、寝ずに研究を続けているから、体調崩さないか心配だし、起きているのなら顔を見て話がしたいと」


 その言葉を聞いた途端、カインレの表情が崩れる。そこには怒りというより、戸惑いや羞恥が濃いように見えた。


「何でそうなるのだ! そんなことはない。私が何故あいつを気遣わなくてはならないのだ」

「でも、カインレと話すと、よくカザミナルが話題に出て来ます。それに彼が他人と会話するのは稀なことだと思いますし、お二人は仲が良いのかなと」

「私はこの国の秩序のために、声を掛けているだけだ。それに何回中何回、私との会話にあいつが出て来たんだ。ちゃんと数字で出して貰わないと、私は納得しないぞ」

「今月、カインレと会ったのは六回ですが、六回ともカザミナルの話をしましたよ」

「数え直せ」

「数え直しても同じです」


 カインレは腕を組み、落ち着きなく周囲をぐるぐると歩き回った。考え事をする時の癖だ。

 トトフィガロは彼女を観察する。甘味が好きという情報はあるが、決断の早い彼女があそこまで何を作るか迷っていたのは珍しい。もしや、カザミナルへの差し入れを作るために、此処に来たのだろうか。


 邪推の先に、あるかも分からない正体不明の潜められた想いに指を引っ掛けた気がした。勿論、気のせいだ。だが、ラルコンドゥの他人を揶揄う気持ちが少し分かったような、分かりたくなかったような、それでいて、顔がにやけるのが止められない。

 微笑ましく思うトトフィガロに、カインレはよく通る声で叫ぶ。


「お前はいつからこんな悪い子になったのだ」





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