1-16

「…………」


 戻ってきた一陽さんが、そんな四ノ宮さんを見ながら、僕の前に同じどんぶりを置く。

 その音で我に返ったのか、四ノ宮さんがピクンと身を震わせて顔を上げた。


「お、美味しいです!」


 しっかり咀嚼して呑みこんでから、向かいに腰を下ろした一陽さんを真っ直ぐ見つめて言う。


「お出汁が美味しくて! それをたっぷりと吸ったお米も! 鶏も柔らかくて、九条葱もすごく甘くて! 具材によって口の中で味が変化するのも、とても楽しいです! ああ、本当に美味しいです!」


「――そうか」


「それに、なんでしょう? すごく、沁みますっ……!」


 僕も、あの時の感動は鮮明に覚えている。


 身体の隅々に、何かが染み渡っていくような――あの感覚。

 ただ美味しいだけじゃない。食べた瞬間に、気づいた。これは、僕の身体が欲していたものだと。


 四ノ宮さんも、同じ感覚を――感動を味わっているのだろう。


「本当に、沁みる……」


「当然だ。それは、貴様に必要なものだからな」


「私に、必要なもの……ですか?」


「そうだ。米には、様々な栄養が含まれている。炭水化物、食物繊維、たんぱく質に脂質、亜鉛、マグネシウム、カリウム、鉄、カルシウム、ビタミンB1、ビタミンB2、そしてビタミンE――さらにそのほかにも。米は栄養素の宝庫だ」


 その言葉に驚いたのか、四ノ宮さんがまじまじとどんぶりを見つめる。


「それだけじゃない。スープに使った鶏ガラには、鉄が豊富に含まれている。昆布には、水溶性食物繊維にカルシウム、鉄、ナトリウムにカリウムなどのミネラル分が。玉子も、栄養が豊富な食材だ。九条葱も椎茸も。すぐきにも、免疫力の向上に大切な役目を果たす植物性乳酸菌が、たっぷり含まれている」


 僕はどんぶりに、ゆっくりとお出汁を注いだ。ふわりと立ち上る香気が、僕を包む。

 栄養価はこれでもかと高いのに、鶏ガラと昆布の出汁の旨味を生かした味つけだから、調味料は本当に必要最低限しか使っていない。だからこそ、ろくなものを食べていなくて弱ってしまった胃にも優しい。


 一陽さんの言うとおり、まさに今の四ノ宮さんに一番適した料理だ。


「さまざまな栄養が足りていないが、とくに貴様はマグネシウム、ビタミンB群、鉄分が圧倒的に不足している。マグネシウム不足の症状は、眠気、脱力感、倦怠感、食欲不振、あとは頻繁な頭痛、吐き気、さらには気分が憂鬱になりやすくなるなどだ。ビタミンB群不足も眠気、疲れが取れない、神経過敏でイライラが募る、風邪をひきやすくなるなど」


「……!」


「鉄分不足は立ちくらみ、眩暈、倦怠感、注意力低下、神経過敏でイライラしやすくなる、食欲不振、貧血、肩こりや腰痛、肌荒れなどなどだ。思い当たるだろう?」


 四ノ宮さんが小さく頷く。


「食事摂取量が少なく栄養が足りていないため、疲れやすくなる。すると、人は動かなくなる。今度は運動不足になる。運動不足になると、筋肉量も減り、熱を作る機能が低下し、基礎代謝が低下する。それが冷え症だ。冷えは、さらに身体の不調を呼び、大きな病気の原因を作り出す。冷えは万病のもとと言うだろう?」


「……はい……」


「いいか? 覚えておけ。今日食べたものが、明日の貴様を作るのだ」


 一陽さんが、きっぱりと言う。


「好きなことがあるのだろう? やりたいことがあるのだろう? だったらまず、貴様は食わねばならん。それらをするために必要なものをだ」


 ふぅふぅと息を吹きかけて、一口。鶏と昆布の味わい深い出汁と米の甘みが、口の中に一気に広がる。

 しっかり咀嚼して呑み込むと、身体の中心がじんわりと温かくなってゆく。


「毎日毎日、それを繰り返す。明日のために、今日。明日のために、今日だ。わかるか? それこそが『生きる』ということだ。いいか? 現在いまを疎かにすることは、未来の自分を虐げることと知れ。好きなことを、やりたいことを思う存分できなくなるように、自分を痛めつけているのだ」


 しっとり柔らかな鶏肉に、ほんのり甘い金糸卵。炊いた椎茸の甘辛さ、きざみすぐきの優しい酸味、九条葱の爽やかな香気と、卵や椎茸とはまた違った甘み、きざみ海苔の磯の香り――具材によって、口の中で味が次々と変化する。


 刺激物は胃腸にあまりよくないため、四ノ宮さんには出さなかったおろし生姜と七味。それで、また味わいが変わる。


 栄養たっぷりで、胃に優しく、だけど最後の一口まで飽きさせない。


 一陽さんの『おけいはん』――。


「健康は、食事で作るものと知れ。夢を叶えるためには、想いを遂げるためには、目標を果たすためには、望む未来を手に入れるためには、健康であることが絶対条件だ。ならば、貴様の幸せとは――」


 一陽さんが、真っ直ぐに四ノ宮さんを見据える。


「食事によって作るものなのだ」


「っ……!」


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