1-13

「ああ、いい。それは心配しないで。売上貢献してもらおうってわけじゃないから」


 だいたい、もう今日の営業は終了してるしな。


「お金なんかいらないから、出されたもんをちゃんと食べてほしいんだ。それが条件」


「出されたものを、ですか?」


「そう。それだけ」


 先ほど四ノ宮さんが指差した方向を見て、僕は目を細めた。


 階下から、ほのかな鶏出汁の香りがする。

 四ノ宮さんを運び入れてすぐ、一陽さんは鶏ガラを洗いはじめた。ひどく不機嫌そうに、ぶすーっとしたまま。


 その意味を、僕はちゃんと知っている。


 一年前――僕も食べたから。


「えっと……よくわかりませんけど……ごはんを食べればいいってことですよね……?」


 四ノ宮さんが不思議そうに首を傾げる。その様子に、思わずクスッと笑ってしまう。


 交換条件が成立していないのでは?

 自分ばかりが得をしているのでは?


 彼女の思考は、手に取るようにわかる。


 そうだよな。意味がわからないよな。一年前の僕もそうだった。


『いくらでも見せてやるから、飯を食っていけ。それが条件だ』


 この家を見せてほしいと言った僕に、一陽さんはひどく不機嫌そうにそう言った。


 だから――間違いなく僕の時と同じように、彼女にも、何かしら理由をつけてごはんを食べるよう迫ったはずだ。


 だって、一陽さんは許せないから。


 全国の稲荷神社には、毎日大勢の人間が、さまざまな願いを胸に訪れ、お参りしてゆく。


 それなのに――『飽食』なんて言葉があるぐらい恵まれたこの国で、この時代で、毎日食べものを口にしているにもかかわらず、栄養不足で健康を損なっている人間が、なんて多いのだろう。


 なぜだ。叶えたい夢があるのに、遂げたい想いがあるのに、果たしたい目標があるのに、どうして自分を大切にしないのか。


 明日の自分のために必要なものを、今日食べる。


 それを毎日積み重ねることで、心と身体の『健康』を保つことができる。その『食』を疎かにするということは、自身の命を、未来を軽んじていることにほかならない。


 自身を大切にできない者の心が、豊かであるはずがない。

 自身を大切にできない者の生が、素晴らしいものになるはずがない。

 どれだけ神に祈ろうと、それでは欲しいものを手に入れることなどできるはずもない。


 世界に誇る食文化を持っているのに。

 米という完全食が身近にあるのに。

 どうしてそれらを、自分を、ないがしろにするのか。


 それが、一陽さんには理解できないし、どうしても許せない。


 だからこそ――食べさせずにはいられない。食べさせることで、教えずにはいられない。


『食』とは何かを。

 自分を大切にするとは、どういうことかを。


「本当に、食べるだけ。心配しなくても変なものじゃないよ。大丈夫。普通のごはんだし、間違いなくめちゃくちゃ美味いから」


 にっこりと笑って「うち、人気店なんだよ」と言うと、四ノ宮さんはホッとしたように唇を綻ばせ、小さく頭を下げた。


「じゃあ、お言葉に甘えて、ご相伴にあずからせていただきます」


「ん。約束」


 僕はニッと笑って、素早く立ち上がった。


「じゃあ、はい」


 手を差し出すと、四ノ宮さんが「す、すみません」とはにかんで、自分のそれを重ねる。そして、ゆっくりと立ち上がった。


「眩暈は?」


「ええと……大丈夫です」


「なら、よかった。じゃあ、こっち」 


 和室を出て、吹き抜け部分の前まで連れてゆく。

 四ノ宮さんは息を呑んで、手すりに両手をついて、あたりを見回した。


 天井は三角に、両側の窓に近づくにつれ低くなっている。二階というよりは中二階――いや、一階プラス屋根裏といった風情だ。

 火袋の吹き抜け部分は、太く黒々とした見事な梁が何本も行き交っている。その造形は、近くで見ても、思わずため息がもれてしまうほど美しかった。


準棟じゅんとう纂冪さんぺき……」


 四ノ宮さんが、震える声で呟く。


 準棟纂冪とは、町家などで見られる、ハシリの吹き抜け部分の小屋組みのこと。屋根を支える大事な木組みだ。まるで巨大なジャングルジムのような、隅々まで計算し尽くされ完璧に組み上げられた構造美は、まさに圧巻の一言。


「す、素敵!」


 四ノ宮さんが、興奮した様子で視線を巡らせる。


「やっぱり、こちらは厨子つし二階なんですね!」

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