虚像の証明Ⅱ

 だいぶ見応えがあった。そろそろ見るものも見尽くしたので、僕達は塔から降りることにした。

「これから防衛局に?」

ミナマは首を横に降った。

「もう間も無く夜になりますから、明日にしましょう。博士の日用品でも買い揃えて夕食を摂るのはどうでしょうか。」

僕は頷く。

 塔を降りて広場に出ると、ミナマが「こちらです。」と案内してくれたので、後を着いて行く。大通りにはそれぞれ名前がついているようで、通りの入り口にはそれぞれアーチが立っていた。

「この通りは物販の店が立ち並んでいるので、何か欲しいものがあったら、この通りに入るといいですよ。」

ミナマが言った。通りの名前を見るのを忘れていた。帰りに確認しておかなければ。何店か見て回り、アメニティと何着か着替え、それと煙草を購入した。

「夕食は外で?それともあなたの自宅で?」

「荷物もありますから、自宅に向かいましょう。」

 僕達は大通りから小径に入り、隣の大通りに抜けた。後でミナマに地図データをもらう必要がある。細い道が入り組んでいて、一人では道に迷ってしまう。塔が見えるから、広場には辿り着けそうだけれど、行きたい場所に辿り着くのは難しそうだった。

「着きました。」

同じデザインの住宅が幾つも並んでいる。表札があるので間違えることはなさそうだ。

「ベアはファミリーネームですか?」表札を見て僕は聞いた。ミナマは頷く。

「僕のフルネームは知ってる?」

「アサ・セイメイ博士です。アサがファミリーネーム。」答えると、ミナマは玄関を開け、中に入った。

「では失礼します。」

 家の中はずいぶん簡素だった。玄関を開けた先はすぐリビングになっている。リビングにはソファとローテーブル、テレビモニターが置かれている。右手を見るとはダイニングキッチンになっていて、四人掛けの椅子とダイニングテーブルがある。リビングには二つ扉があった。おそらく寝室とバスルームに繋がっているのだろう。

「二階と地下に客室がありますので、どちらでも好きな方を使ってください。」

「地下室というのも不思議な表現だね。」

「他に言い方がありますか?」

少し考えたけれど、僕は首を横に振った。

「では二階を借りることにします。ここには一人で住んでいるの?」

ミナマは頷く。

「博士はご家族と暮らされてるのですか?」

「いや。でも犬を飼っている。もちろんロボットだけど。」

「私にはない発想です。どうして犬を?」

「うーん。疲れがとれるからかな。」

ミナマは首を傾げる。

「マッサージでもしてくれるのですか?」

ミナマにはこういう所があるのだと分かってきた。単に僕の伝え方が悪いのかもしれない。

「精神的にという意味。」

「博士が帰らないと寂しがるのでは?」

「そういう風にプログラムされてないと思うよ。荷物を置いてきます。」

 僕は二階へと上がった。扉が二つある。一つは右上に四角い小さな磨りガラスが付いていたのでトイレだろう。もう一つの扉を開けると客室だった。

 リビングと同じソファとローテーブル、テレビモニターが置かれている。あとは大きめのカプセルベッドがある。セミダブルで寝返りが打てるほど広い。ギブソンが棺桶と表現したのはこう言った代物なのかもしれない。

 けれど、僕達は眠ったからと言って死ぬことはない。起きたら生まれ変わって違う人生を生きるということはない。残念ながら連続した時間の中を僕達は生きている。何もかも覚えている。忘れられた恥も後悔も眠りに落ちる間際、不意に脳裏を掠める。そういう風にプログラムされている。

 もちろん悪い事ではない。今日見た素晴らしい街並みも空から見たあのフジサンも僕はずっと覚えているだろう。

 荷物を置いて一階に降りると、ミナマがキッチンに立っていた。黒いニットとスキニーデニムに着替えていた。ミナマは僕に気がつくと振り返った。

「余りものがなかったので、大したものは作れませんが。」

鍋の中を覗くと野菜と鶏肉が入っていた。シチューかポトフ、あるいはカレーだろうか。シチューだったら嬉しい。

 タイトな服装のせいか、ミナマのボディーラインは強調されていた。

「なんですか?」

「なんていうか綺麗な曲線だなと思って。」

「なんの話ですか?」包丁で野菜を切りながら、ミナマが言った。

「なんでもないです。」僕もバラバラにされかねないので、誤魔化して答えた。

「何か手伝えることはありませんか?」

「ありがとうございます。あとは煮込むだけなので大丈夫です。」

 僕は言葉に甘えてダイニングチェアに腰掛けた。

「そういえばあの時。」ミナマが背を向けたまま言った。「私の事をミナマと呼びましたよね。」

「え?どの時?」

「非常階段で銃撃された時です。」

記憶を遡ったけれど、まったく覚えていない。咄嗟に口から出たのだろう。

「そうでしたっけ?失礼しました。」

「むしろ呼び捨てにしていただいた方が気楽です。」

「そんなものですか?では僕に対しても博士は付けなくてもいいですよ。そもそも自分の事をそんな大層なものとは思ってないし。」

「いえ。それは少し失礼に感じますので。」

 シチューの匂いが漂ってきた。

「そんな事ないけど。」

「少し気恥ずかしいというか。」

「それは僕もだよ。」

「呼び捨てが、ですか?」ミナマは振り向いた。

「博士と呼ばれるのも、です。」

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