第39話 兄妹

 ティアはまたベッドの上で目を覚ます。短かく浅い眠りと、夢うつつの覚醒を繰り返しているせいで、どれほど時間が経ったのかさえ分からない。夢の中と同じような部屋の様子を見て、ティアはあれが現実だったのだろうと思い直した。チェイスは無事のようだが、その表情が曇っていたことが気がかりだった。


 午後、チェイスは再びティアの部屋を訪ねた。エアの計画をティアに打ち明け、この地下に自分と共に留まるよう説得するためだ。チェイスにとってエアの企みなどどうでもいいことだったが、いつかティアには自分の伴侶として一生をともに歩んでほしいと願い続けていたのは事実だ。いざとなればいずれ二人でこの地下施設を抜け出すことも可能かもしれない。だからこそ今はエアに従うように説得して、機会を窺うべきだ。チェイスはそう考えた。


 エアが用意させたティアの部屋は、ほかの殺風景な部屋に比べ明るく、家具にも彩りがあった。大きな窓があり、カーテンがそよ風に揺れていた。チェイスが訪ねたとき、ティアはベッドに体を起こし、チェイスの顔を見るなりホッとしたように笑顔を見せた。


 一人きりで閉じ込められ、体は薬の影響で思うように動かない。仲間の様子も分からず、ティアは不安を募らせていた。朦朧とした意識の中でチェイスの声を聞いた気がしたが、それが現実かどうかさえ分からずにいたのだ。ようやく再会できたことでティアの緊張はいくらか和らぐ。


「チェイス、よかった。やっと会えた」


「ごめんねティア、怖かっただろう」


「どうなってるんだ、みんなは何処に?」


「ティア、よく聞いてほしい。大事なことなんだ」


 チェイスはベッドに体を起こしたティアの傍らの椅子に腰をおろし、ティアの手を握る。ティアの瞳には不安の色が濃く浮かび、チェイスの言葉を恐れているようにも見えた。


「ティア、僕たちはここで暮らすことになったんだ。——エアが……君の兄さんがそれを望んでる」


「そんな……一体どうして……チェイスは? ルーファスも、皆そんなこと望んでないだろう? 急にそんなこと……」


 白く血の気が引いた唇を震わせて、ティアはチェイスに畳み掛ける。チェイスはティアの視線から逃れるように俯いて言葉を探す。


「——僕らがここに残ることが、ルーファス兄さんたちを無事に帰す条件なんだ」


「どうして? エアは何処に? 私が話す。兄妹なんだからちゃんと話をすればきっと——」


「ティア、聞いて。……エアは、君が思っているような人間じゃない。必要なら人も殺すだろう」


「そんな、そんなはずない。この世で二人だけの家族だって言ってた。エアに会って話す。皆がパックに帰っても、協力しながら暮らしていけるって——」


 ティアはそう言ってベッドから起き上がり、制止するチェイスを振り払う。腕に繋がれたチューブが外れ、青ざめた腕には一筋の血が伝う。それに構わずティアはドアに駆け寄りノブを掴んだ。だがそれは動かず、ドアは開かない。ティアは苛立ち、今度は窓に向かう。カーテンを引き裂くように乱暴に開け、窓に手をかける。


 ティアは確かに窓に手をかけた。だがその感触は冷たく滑らかなただの壁だった。もう一度窓枠に手を伸ばすが、その手には何の手応えもなく、冷たい壁を引っ掻くように撫でただけで虚しく滑った。


「ティア、落ち着いて——」


 チェイスが後ろからティアを抱きしめ、懇願するように囁く。


「チェイス、これは何だ……窓じゃない……」


 ティアは呆然と、その壁に触れて呟く。窓のように見えるそれはただの壁だった。日差しの眩しい緑の地面と、懐かしい青空を映し出す、ただの壁だった。——カーテンで飾られた、景色を映し出す壁。


「ティア、ここは地下だよ。その窓はただの絵なんだ」


 チェイスの言葉に、ティアは虚しく窓に伸ばした腕を下ろして、喘ぐように息を吐き出す。そうだ。ここは地の底深くに埋められた棺のような所だ。陽の光も緑の草原も、そこにあるはずがない。


「ティア、落ち着いて聞いて。おとなしく彼らに従うんだ。抵抗すれば薬を打たれる。今は彼らに逆らわないでくれ、お願いだ」


 背後から自分を抱きしめるチェイスの腕を強く掴んでティアは声を荒げる。


「エアは私達を地下に閉じ込めて、どうするつもりなんだ」


「エアは自分の血がつながった子供が欲しいんだ。だけど自分の子は望めないから、ティアが必要なんだ」


「……そんなことのために? それならいずれ私に子供ができたら当然エアにだって会わせる。エアが望むなら育ての親になってもらえばいい。チェイスもそう思うだろう?」


「……ティア、そういうことじゃないんだ。エアは、この世界を自分たち一族のものにしようとしてる。そのためにティアを利用する気なんだ。家族が欲しい訳じゃない」


 家族でないなら何だというのか、子供を利用するとは一体どういうことなのか、ティアは混乱した頭で考えたが答えなど出ない。意識が遠のいていく気持ち悪さに、チェイスの腕に爪を立てる。


「ティア、まだ薬が抜けてないんだ。ベッドに戻って——」


 チェイスがそう言ってティアの膝の下に腕を差し込んだとき、部屋のドアが開き、エアとその部下が姿を見せた。チェイスの腕の中でティアの体が強ばる。


「やあ、お姫様、気分はどうだい?」


 いつにも増して機嫌の良さそうなエアは、相変わらず寸分の狂いもない左右対称の笑顔でにこやかに言った。


「......エア、少し時間をくれと言っただろう」


 一方のチェイスは苦々しく吐き捨てるように言いながら、エアを睨んだ。


「君に任せてたらいつまで経っても話が進まないからね。僕が直接ティアに話そうと思って来たんだ。血を分けた家族だからね」


 口角を引き上げたまま、エアはそう言ってチェイスの顔を見る。


 ティアは、まだ少し重い体をチェイスに支えられながらエアに向かって一歩踏み出す。


「一体どういうことなんだ。私に何をした? みんなはどこにいる?」


「おやチェイス、まだティアに話していないの? 輝かしい未来の女王の話を?」


「やめろ! ティアはまだ具合が良くない。いずれ僕から話す」


 チェイスは鋭くエアを遮って、二人の間に立つ。ティアからはその表情が見えなかったが、その声色は怒気を孕んでいるのが明白だった。エアはやれやれといった様子で肩を竦めて見せ、それ以上は何も言わなかった。

 振り向いたチェイスにティアの瞳が問いかけようとするのを、チェイスは悲しげに微笑んで拒む。


「ティア、もう少ししたらきちんと話すよ。今は体力の回復を優先して欲しい」


 青ざめた笑顔でそう言うチェイスに、ティアはそれ以上何も聞けなかった。また明日、そう言い残して部屋を去る彼らの背中をただ無言で見送った。




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