第32話 告白

 アルトマン医師は、深く息を吸い込み、酒を瓶ごと一口煽った。


「私の高祖父もそんな男たちの一人です。それまでの文明社会で持っていた金や力はその価値を失う。地下に王国を築いて生き延びるのが唯一の救いだと信じたのです」


 突然医師の口から伝えられるリリスという名前。その女がこのシェルターを造らせたのだという。今までどの資料を見てもそんな記録は見当たらなかった。ティア達五人は顔を見合わせ困惑する。


「リリスは終末の災いに乗じて人の心を操り、自らが君臨する地下王国を作り上げたのです。そして本当の災いは、地上ではなくこの地下で起こった。――リリスは人々を操作するのに、彼らの弱点である自然への不適合を利用しました。地上の環境では生きていけないことを繰り返し刷り込み、自分への依存を強めました。実際、最も弱い人々はこの地下施設でリリスの力を借りなければ生きて行けなかった。彼らはリリスに感謝し、ますます妄信的に彼女を信奉した。リリスはこの地下で子供を十二人生みました。とりわけ優れた資質をもつ男たちの子供です。やがて子供たちの父親も含め、最初の人間は全て死にました」


 そこまで医師の話を聞いていたネイサンが、驚いて思わず呟く。


「死んだ? どういうことだ。健康だったんだろ?」


 アルトマン医師は首を振り、沈鬱な面持ちで続ける。


「おそらく最初に死んでいった者たちは、リリスによって殺害されました。そもそも彼らには何の異常もなかったのではないかと思います。健康体である彼らはリリスにとって危険因子だった。リリスは生殖能力も環境適応力もない者ばかりを意図的に残したのでしょう。自らの主張の正当性を誇示し、盲目的に彼女を信じさせるために」


「それじゃあ、この地下にいる人達は、リリスがわざとこうなるように仕組んだということなのか?」


 理解を超えたその行いに、ネイサンは非難の色がにじむ声を上げる。


「そうです。ここの者たちはその大半が、リリスの子孫やその側近たちクローンです。もともとリリスに近い者たちの閉鎖的な近親交配で生まれた人々は、すぐに数々の異常をきたしました。健康な子供は生まれなくなり、彼らは数少ない健康な遺伝子をコピーし始めたのです。生殖能力も持たず、ただその美しい容姿ばかりを受け継いだ者たちです。そうして遺伝子のコピーを繰り返した結果、もうクローンでさえも生み出すことができなくなっているのです」


「でもそれならティアは? ティアもそのリリスとやらのクローンなのか?」


 ルーファスが低い声で呟く。ティアもアルトマン医師を凝視して、その答えを待つ。


「……いいえ。あなた方双子はクローンではありません。クローンにも数々の問題があることに気づいたリリスの一族は、やがて外の世界から子どもたちを誘拐し始めました。ティア、あなたの母親は外の世界の少女です」


「じゃあもしかして、母はまだ……」


 ティアは僅かな可能性にかけて、その質問を震える唇から絞り出す。アルトマン医師はティアの言わんとする所を察し、申し訳無さそうに言った。


「残念ながら、母上は亡くなりました。あなた方を生んだ後、地下から逃げ出そうとしましたが、彼女にはそれだけの力が残っていなかった。――出産後半年ほどで、私が看取りました」


「それなら誰が、ティアをここから連れ出したんですか?」


 考え込むように話を聞いていたチェイスが質問する。


「おそらく、双子の父親ではないかと……」


「父親はここの人間ではないのか」


 ルーファスは意外そうな顔をする。アルトマン医師は険しい顔で、唇を噛み締めるように結んだ後、意を決したように静かに息を吐き出した。


「あなたの母上……クロエはここに連れてこられた時は十七歳でした」


 アルトマン医師はリリスの一族の計画について語った。彼らは健康な女性の卵子にリリスの直系の子孫の精子を受精させて出産させるという計画のために、外の世界から少女たちを誘拐していた。そして彼女達から卵子を採取し、次々に人工受精卵を作り出し、それを人工胎盤で育てる事を繰り返した。少女たちに妊娠を継続させないことで、効率よく卵子の採取をするためだったが、その受精卵は一人として誕生には至らなかった。そこで一族は、少女たちの子宮で受精卵を育てることにした。母体での育成はおよそ十ヶ月という長い期間妊娠することで効率が悪いとされ、それまで実行されなかったのだ。


 そんな中、クロエという少女がこの地下施設に連れてこられた。彼女が他の少女たちと違っていた点、それは彼女がその時まさに恋人との子供を授かろうとしている瞬間であったことだった。半一卵性双生児の着床という非常に稀な現象が起きたことで、一つの卵子に恋人と、一族の二つの染色体を受け継ぐ双子が宿ったのだ。皮肉にも健康な恋人同士の染色体と、一族の染色体とが等分されて受け継がれた結果、健康な男女の双子として産まれることになった。


 一族はクロエの体にチップを埋め込み、二十四時間監視した。クロエは自分の体に宿った命が恋人の子供でもあることを自覚していたのか、従順に従った。やがて臨月を迎えクロエは出産する。


「その時のことは今でもはっきりと覚えています。私が自然妊娠の母親の分娩を見たのはそれが最初で最後でしたから。あなた方がこの世に生まれ落ちて最初の産声を上げた時、私も泣きました。人間が生まれる瞬間とはこれほど力強く神々しいものなのかと」


「ドクター、あんた赤ん坊を取り上げたことがないのかい?」


 グウェンが意外そうな顔で言う。アルトマン医師は首を振りながら項垂うなだれる。


「ここで産まれるのは人口胎盤に繋がれた赤ん坊だけです。その誕生は、作り物の子宮から作り物の羊水が抜き取られるだけなのです。彼らは産声を上げることもない」


 ティアたちは理解を超えるこの地下生活者たちの日常に、もう驚きの声すら出なくなっていた。


「一族はクロエと赤ん坊の健康を配慮し、毎日数時間の外出を認めました。もちろん柵の中ですが、クロエは毎日外へ出て数時間を過ごしました。そしてある日、私が緊急の呼び出しを受けて駆けつけると、病室に彼女の姿はなく、血まみれのチップが残されていました。彼女は自分の腕を切り裂いてチップを取り出したのです。そしてあなた達赤ん坊を抱いて地上へ出ました。柵の外にはあなた達の父親が来ていたのだと思います。そしてティア、あなたは父親によって外の世界へ連れ出されました。クロエとエアは追跡チームに捕まり、脱出は叶いませんでした。私は病室に運ばれてきたクロエの治療に専念するより他なかった。――もしもあの時、三人の脱出を助けていたら……」


 アルトマン医師は酒瓶を握る手に力を込めた。顔を上げティアの目を見つめると、絞り出すように、半ば掠れた声で続ける。


「その二年ほどのち、私は一人の男性の遺体を解剖し、その遺伝子も調べました。とても美しい、みどりの瞳をした男性です。年齢はおそらく二十歳前後、検査の結果エアとの血縁が肯定されました」


 ティアは目をみはる。アルトマン医師は悲しげに頷き、沈黙のままティアに同意した。


「あなた方の父上です。きっとクロエを救い出そうと、ずっとこの施設の近くにいたのだと思います」


「そんな、」


 言葉を失って崩折れそうになるティアをルーファスが支えた。

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